そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2015年 徒歩の旅 第19日  気仙沼市・ホテルパールシティへ

2016年04月14日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月19日(日) 晴 (南三陸町・平成の森
                  ~気仙沼市・ホテルパールシティ)








6時30分、出発。快晴無風。出発時、管理人さんの話では、歌津は起伏が多いから、すぐに高い所へ逃げられるので、東日本大震災の時もあまり死者は出ていない。ただし、それが逆に、いつでも逃げられるとたかをくくって油断したために亡くなった人もいる、と。

宿の横の仮設住宅と桜。






国道45号線(東浜街道)を北上、やや内陸部を行く。


交通整理の男性に、皆さんが復興のために汗水たらして頑張っているところを、遊山気分で通り過ぎていくのは、実は気が引けるのだが、と言ったら、地震も津波も過去のこととしてどんどん忘れられている、現状を見て行ってくれるだけでも有難い、と言われた。――首都圏で新聞とテレビだけからうけとるのではなく、実際にその状況の中で見ると、あらためて被害の大きさ・深刻さが、多少なりとも肌で感じられる気がする。首都圏では得られないものを、なるべくしっかり見ていくこと、なるべく忘れないこと、帰ったら周囲の人になるべく様子を伝えること。

7時25分、JRのBRTが陸前港駅に停まっていたので写す。




BRTは鉄路をアスファルトで埋めたところ(信越線の碓氷峠の廃線跡のような感じ)や、それができないところでは一般道を走っている。


仮設や、


桜を見て、


7時45分、南三陸町を抜けて、


気仙沼市に入る。




アップダウンが多い道。




蔵内漁港。海の人たちが働いているのを見るのは久しぶり。


その先から、浜に沿って行くところではどこも工事中。ただし、日曜日なので復興ダンプは通らず、歩くのには助かる。




8時35分、陸前小泉駅。


中で小休止。


8時55分、本吉町では、寸断された鉄路。




その周辺は大々的な工事。




再び上っていくが、高い所では津波の被害がないので、一見、何事もなかったような感じ。海岸部との落差の大きさを感じる。




9時25分、津谷高架橋。


再び海岸部へ下りてくる。










10時40分、大谷海岸。ハマナス公園の修復中。




10時45分、道の駅大谷海岸。




昼食休憩30分。

11時45分、御伊勢浜。


BRT専用道路。一般車通行禁止。


12時、二本松の一里塚。一本は道路拡張工事で消失。


松岩浜で国道45号線と別れ、気仙沼市街地へ。
賑やかな市街地を通り抜け、

14時30分、JR気仙沼駅の北側の「奥州観音霊場第三十番札所 曹洞宗 白華山 補陀寺」へ。






補陀寺は大学時代に一緒に山に登った山岳部の後輩が住職をやっていて、近況報告の後、彼の車で安部山(239m)に行き、中腹の展望地から市内を見下ろしつつ、東日本大震災の被害状況などを説明してもらった。




気仙沼は、地震と津波による広範な家屋の倒壊・流失、火事などあり、かなり凄惨な状況を見てきた、と。気仙沼市の被害は、死者・行方不明者あわせて約1500人。補陀寺は、高台にあったため津波の影響はなく、地震による一部損壊で済んだ。本堂内は一時避難所となったそうだ。

また、ビルの上に打ち上げられた漁船が話題になったが、震災遺構として保存するか、下ろして取り壊すかが問題になり、賛否両論の末、結局近隣住民のアンケートで8割の意向により後者になった、とのこと。維持管理の問題や遺族の感情などが大きかった模様。

その後、車で復興商店街などを見て回った。

いったん、彼が用意してくれた駅前のホテルで風呂に入った後、夫妻と3人で夕食をとった。‥‥というか、ご馳走してもらった。マンボウの刺身というのを初めて食べた。飲んで食べて話は尽きなかったが、翌日以降の行動もあり、21時少し前にホテルに戻った。お通夜堂にでも一晩泊めてもらえれば、と思って行ったのだったが、かえってずいぶんと散財させてしまった。いろいろと歓待してもらい感謝の一言。有難う。宿泊代も、手配してもらったので、0円。


2015年 第19日(佐多岬より81日)

歩数  46395歩    (佐多岬より累計  4215464歩)
距離  31.5km     (佐多岬より累計  2782.5㎞)
費用  2622円     (佐多岬より累計  407927円)