そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2015年 徒歩の旅 第7日  日立市・ビジネスホテル朝日屋へ

2016年03月30日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月7日(火) 小雨のち曇 (大洗町・大洗海浜公園横の空き地~日立市・ビジネスホテル朝日屋)



案の定、夜はだいぶ寒かった。


5時50分、出発。雨は降ったり止んだりで寒い。風やや強し。傘がさしづらい。

正面右、大洗マリンタワー。


県道106号線を涸沼川に沿って行く。

6時20分、国道51号線に移り、涸沼川橋を渡って、水戸市に。




風は向かい風。上りの大型トラックが、かなりのスピードで走っている。

右折して国道245号線へ。

7時、鹿島臨海鉄道遠望。


7時25分、那珂川を湊大橋で渡り、




ひたちなか市に入る。


9時、風雨強く、ゴアの雨具も濡れてしまったので、道路わきに廃屋があったので雨宿り休憩。

9時40分、東海村に入る。


東海第二原子力発電所遠望。


10時20分、原子力機構東海展示館前を通過。




東海村案内図あり。


10時35分、村松虚空蔵尊(堂)というお寺と村松皇大神宮という神社が隣り合わせの地点にてひと休み、見学。


先に村松虚空蔵尊へ。




村松虚空蔵尊は、平安時代初期に創建され、地域では「別所の虚空蔵様」と言われている。






仁王門、






本堂。


三重塔、


奥の院。


境内に、芭蕉の句碑、
「野を横に馬引向けよ時鳥」。


山村暮鳥の詩碑、
「おう土よ生けるものよ その黒さに太古のかほ りがただよつてゐる」。


水戸八景の村松晴嵐。






水戸烈公(徳川斉昭)筆の「村松晴嵐」の碑。


佐藤佐太郎歌碑、
「晴れし日の砂山のうへ濡石は
みづから濡れて脂のごとし」。


隣の村松皇大神宮は時間もないので眺めるだけで割愛。




11時5分、再び歩きはじめる。

11時30分、原子力科学館。


11時40分、原子力発電所の人形の顔と、


立て札や


高圧的な標識の落差が大きい。


12時、日立市との境の久慈川へ。越えると日立市。


久慈大橋。






12時10分、久慈川大橋からは数羽のシロサギが餌をとっているのが見えた。


13時10分、さかなセンターで、雨宿り小休止。


13時50分、鹿島灘の海。雨あがる。


右奥、古房地鼻と日立灯台。


田楽鼻。


14時10分、こちらには風力発電。


14時40分、望洋台一里塚ロードパークで海を眺めて小休止。


途中で道を尋ねながらJR常磐線の常陸多賀駅へ。見上げたら宿の大看板があった。

15時10分、宿に到着。宿泊、朝食付き 6159円。

女将さんがすぐに風呂を沸かしてくれ、冷えきった体を温めることができた。
テレビの予報では、明日はもっと寒くなるので真冬並みの恰好を、と言っていた。勿来まで40㎞余りということで、明朝は6時30分に朝食を頼んだ。食後すぐに出発の予定。勿来のキャンプ場も寒そうなので、できれば宿をとりたい。

2015年 第7日(佐多岬より69日)
歩数  51561歩  (佐多岬より累計  3617178歩)
距離  33.5km   (佐多岬より累計  2334km)
費用  6801円   (佐多岬より累計  357222円)






2015年 徒歩の旅 第6日  大洗町・大洗海浜公園横の空き地へ

2016年03月29日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月6日(月) 晴 (行方市・霞ヶ浦東岸の空き地
                   ~大洗町・大洗海浜公園横の空き地)




5時35分、朝日が差してくる。


テント設営場所の様子。昨夜はかなり寒かった。


5時45分、出発。晴れて暖かい。国道355号線を行く。

6時、「道の駅たまつくり」のとなり、霞ヶ浦ふれあいランドの「虹の塔」が遠くに見える。


1時間ほどで、国道354号線との交点。右折する。頭上は青空で、暖かいので半袖になる。

満開の大島桜あり。


8時5分、旧芦澤村上山の稗蔵跡。江戸時代、凶作に備えて稗や籾を貯蔵した跡地。水戸藩内に28カ所あった、と。


8時15分、右折して県道8号線に入り鉾田方面へ。

すぐに、枝垂れ桜の若木がたくさん植えてあるのを見る。


8時40分、鉾田市に入る。


9時20分、セイコマート発見。
前の旅の時に北海道でもっぱら利用したコンビニだが、茨城県にもあったとは。「鉾田当間店」。何か懐かしくて立ち寄る。聞いてみたら、北海道の他にも埼玉や茨城にも店があるのだそうだ。菓子パンと野菜ジュースを買い、カードを作って、サービスに缶コーヒーを貰った。


9時55分、鹿島臨海鉄道の新鉾田駅前にあったロータリークラブの広場で、昨晩結露したテントを乾かすため小休止。気温も上がりかなり暑くて、短パンになる。

10時40分、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線を跨ぐ。


こちらはソメイヨシノが満開。


11時30分、昨日北利根橋で別れた国道51号線に合流。


合流点は千葉からちょうど100㎞地点だった。


12時15分、庚申塔や道祖神、


牛馬頭観音などの石塔があり、


「聖徳太子之碑」なんぞというものもあったが、これはどういうことかな?


12時35分、「厳島神社」があった。




階段を下りていくと、


確かに広島の宮島に似た造りの小さな神社があった。水の中に拝殿や本殿がこしらえてある。








本殿の中を覗いたら、2匹(2頭というのか?)の龍が神様をお守りしていた。


13時50分、大洗町に入る。


原子力研究開発機構大洗開発センターの南門。


大洗・鉾田・水戸環境組合クリーンセンター、つまり清掃工場。


歩道のない道路が続く。自動車を避けるために、時々ガードレールの外側を歩いたり、草の生い茂った路肩を歩いたり。


14時、大洗海岸。海青し。


再び歩道のない開発センターの横をえんえんと歩く。


15時、大洗海浜公園へ。


海浜公園の東屋で休憩がてら時間待ちをしていたが、風が強く、寒い。
散歩をしていた地元の89歳の男性と話をした。3,11の時は、ここも1mほど水をかぶり、松は強いので大丈夫だったが、ツツジなどの公園の植物は塩水のためだいぶ枯れた。現在は、沖の方で4mの防潮堤の工事を行っており、彼としては海が見えなくなってしまうのでつまらない、ということだった。


途中で道を尋ねた男性からは、海浜公園はテント禁止だが、シーズンオフでもあり、暗くなってコソッと張って、明日の朝早く出発するのなら構わないだろう、と言われた。シラフをかぶって夜明かしかとも思ったが、何ともかんとも寒いので結局は退散。

17時、海浜公園横の松の木の下にテントを設営する。やはりテントは風を遮ってくれるので暖かい(今のところは)。宿泊、0円。

2015年 第6日(佐多岬より68日)
歩数  51927歩  (佐多岬より累計  3565617歩)
距離  36.5km   (佐多岬より累計  2300.5km)
費用  668円    (佐多岬より累計  350421円)

2015年 徒歩の旅 第5日  行方市・霞ヶ浦東岸の空き地へ

2016年03月28日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月5日(日) 小雨 (潮来市・ユースホステル潮来荘
                         ~行方市・霞ヶ浦東岸の空き地)




朝のテレビが、水戸の桜が満開になったことを伝えていた。こちらも歩いてきたところはどこも満開の桜で、桜前線を頭にいただいて歩いている。

7時55分、ゆっくりと朝食をとり出発。小雨で寒いが、風が弱いので助かる。


きのう通った県道5号線を戻り、諏訪神社。


途中から常陸利根川の水郷北斎公園に、


遠にく霞ヶ浦。


8時45分、北利根橋まで戻り、国道355号線を北上する。

9時、行方市に入る。


9時15分、上羽神社。






佃煮の創業者奥村吉郎兵衛をたたえる碑。


9時25分、県道2号線との分岐を通過。

10時10分、再び国道355号線から離れ、湖面の堤防の上(天端)を歩く。

時々小雨に降られつつも、そのまま湖沿いを行き、












再び国道355号線に戻り、






13時、テント設営地点へ。宿泊、 0円。
鉄パイプで、自動車が入れないようになっているパーキングエリアのような広場があった。屋根のついた廃バス停のような東屋風の雨避けがあり、近くには水道もあった。さらに、地域の人たちが何か集まりにでも使いそうな椅子もいくつか置いてあった。雨のためか誰もおらず。
時間はだいぶ早いが、このままあと3㎞雨の中を歩いて「道の駅たまつくり」まで行っても、営業終了の19時まではテントを張ることはできないので時間待ちが長いし、ここは車の音がややうるさそうだが比べればこちらの方がはるかにマシ。というわけで、今日はここで泊まらせてもらうことにした。あしたその分頑張ろう。途中で食料調達ができなかったので、バターロールとポテトチップの食事。

2015年 第5日(佐多岬より67日)
歩数  30742歩  (佐多岬より累計  3513690歩)
距離  21.5km   (佐多岬より累計  2264km)
費用  0円      (佐多岬より累計  349753円)








2015年 徒歩の旅 第4日  潮来市・ユースホステル潮来荘へ

2016年03月28日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月4日(土) 曇 (自宅~JR川崎駅
             ~JR成田駅~潮来市・ユースホステル潮来荘)




今日からザックを背負っての歩き旅。

5時、自宅出発。電車を乗り継ぎ、昨日の到達点であるJR成田駅へ。

7時30分、成田駅を出発。
今日も風は冷たく、はじめのうちは時折霧雨が飛んできた。昨日今日と変な空模様。


7時40分、国道51号線に出て、京成本線の下をくぐり、


すぐに成田橋を渡る。


根木名川に沿って行く。




根木名川流域の主な鳥。カワセミもいるようだ。


こちらは魚。自然が豊か。


8時50分、成田市街地を抜けると田園地帯、空には成田空港を飛び立った飛行機。




9時10分、成田空港滑走路下の十余三トンネル。


今日のルートは、基本的に利根川に向かって下っていく。

9時40分、香取まで15㎞の表示あり。国道51号線は、大型トラックがかなり走っていて、そばを通ると風を煽るので、ちょっと厳しい。

11時35分、香取市に入る。


11時45分、今日もお地蔵さんに出会う。


12時30分、佐原手前で右折し、伊能忠敬記念館に向かう。入場料500円。








記念館を見学。春休みのせいか、小学生が目立った。スライドや映像を見たり、自習コーナーで学んでいたり、ノートを片手に熱心にメモをとっていた。
彼の生涯と彼の作った日本地図を見、また様々な測量道具が展示されてあった。観星鏡という3mほどもある大きな道具もあり、これを運ぶのはさぞかし大変だったろうと推察した。

その後、伊能忠敬旧宅を見物。


さらに「小江戸」といわれる佐原の街を見物。






江戸時代に創業された小堀屋本店で「黒蕎麦」というものを食べたりした。1050円。


街並みを見た。














14時30分、諏訪公園の伊能忠敬像を見て、再び国道51号線に戻り、潮来方面へ。




15時5分、水郷大橋で利根川を渡り、








橋の上で、茨城県稲敷市に入る。






16時30分、潮来市に入る。


さらに、北利根橋で、


霞ヶ浦から流れる常陸利根川をわたり、


県道5号線を行って、

17時20分、ユースホステル潮来荘に到着。宿泊、朝食付き 3000円。

潮来荘では、一人部屋で、畳敷きの間に炬燵があり、炬燵の上にテレビとエアコンのリモコンがあった。部屋の中は暖かく、風呂もたっぷりのお湯に浸って、本格的な旅の第一夜をふとんでぐっすり眠った。
それにつけても、同じ3000円のユースホステルで、昨年経験した、素泊まりの二段ベッド、4月だからとエアコンのリモコンは取り上げ、風呂は出の悪いシャワーという宿と、ここ潮来荘との落差の大きさに感じ入った。長く旅をしていると、弘法大師にいろいろと試されるものだとはいえ‥‥。


2015年 第4日(佐多岬より66日)
歩数  57699歩  (佐多岬より累計  3482948歩)
距離  34km     (佐多岬より累計  2242.5km)
費用  7035円   (佐多岬より累計  349753円)





2015年 徒歩の旅 第3日  成田市・JR 成田駅へ

2016年03月26日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月3日(金) 曇 (自宅~JR川崎駅~JR千葉駅                                ~成田市・JR成田駅~JR川崎駅~自宅)



5時、自宅出発。昨日の到達点であるJR千葉駅に向かう。

6時50分、千葉駅出発。風冷たし。




近くの千葉中央公園に万葉防人の歌碑あり。
「千葉の野の 児手柏乃 ほゝまれと
 あやにかなしみ 置きてたが来ぬ」



また、千葉県アイバンク協会が建立したヘレン・ケラーの像も。




さて、国道14号線から国道51号線(佐倉街道)に入り、成田へ向かう。
道路は始めのうち、狭くて歩道もなく曲がりくねっていたが、その後は広くなり、歩道も分けられていて安心して歩けた。


7時25分、成田まで31㎞。


7時50分、市営桜木霊園の桜も満開。


8時10分、モノレールの下をくぐる。


8時45分、千葉市を抜けて、


四街道市に入る。


徐々に田園風景が広がる。


桜の木の下には花桃。


蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」の句や唱歌の「菜の花畑に入日うすれ」など想いつつ(まだ午前中なのに)。


9時30分、佐倉市に入る。


9時56分、鹿島川にかかる岩富橋。こちらはまだ紅梅、白梅。


10時50分、広々とした田園地帯。左の小川は高崎川、右は総武本線の軌道。


高崎川と総武本線を一緒に跨いだ長熊大橋。


11時5分、酒々井町に入る。




竹のそよぎが美しい坂を上っていく。


ポツンとお地蔵さん。


12時20分、成田市に入る。


13時10分、JR成田駅。


今日の行程は成田駅にて終了。いやぁアップダウンの多い一日だった。

その後、成田山新勝寺に参拝。


成田出身の女流俳人、三橋鷹女の像。


説明文に代表句あり。
「夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり」
「白露や死んでゆく日も帯締めて」
「口中一顆の雹を啄み 火の鳥や」


参道風景。


途中の店の看板は「成田屋」、市川團十郎。




成田山新勝寺へ。




総門、


仁王門、




三重塔、


大本堂。


外国人観光客もかなりいた。

なにかお祭りがあるようで、会館の前で大勢できれいな踊りをやっていた。


14時10分、再び成田駅に戻り、鉄道利用で、

16時30分、川崎の自宅へ帰る。

電車利用で自宅からのピストンによる空身の足慣らしは今日まで。明日からはザックを背負って北海道を目指す。

2015年 第3日(佐多岬より65日)
歩数  50300歩  (佐多岬より累計  3425249歩)
距離  31.5km   (佐多岬より累計  2208.5km)
費用  2879円   (佐多岬より累計  342718円)


2015年 徒歩の旅 第2日  千葉市・JR千葉駅へ

2016年03月26日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月2日(木) 晴 (自宅~JR川崎駅~JR新小岩駅
                       ~JR千葉駅~JR川崎駅~自宅)




5時30分、昨日と同様に空身にて自宅出発。空は晴れているが、風が冷たい。

JR川崎駅から電車を乗り継いで、昨日の到達点であるJR新小岩駅へ。

6時50分、新小岩駅出発。


都道315号線(蔵前橋通り)を東進する。街路樹のコブシの花が満開。


7時30分、新中川に架かる上一色橋を渡る。


新中川下流方面。


振り返るとスカイツリーが遠い。


江戸川交差点で、国道14号線(千葉街道)に合流し、

8時5分、江戸川にかかる市川橋を渡る。




橋上より、総武本線。




8時10分、千葉県市川市に入る。




8時20分、JR市川駅の北側に名所三本松跡。松は伐採されて今はない。


8時55分、真間川の両岸は桜の真っ盛り。






河畔の小公園にて小休止。しばしお花見。




9時10分、年代物の蔵があった鬼越二丁目交差点。


9時25分、高層建築が減り、どうも空が広くなっていると思っていたら、気づかないうちに船橋市に入っていて、二子浦の池。遊水池として整備されたかつての「溜」。


9時35分、中山競馬場入口。


9時50分、山野浅間神社。桜のトンネルの参道を行くと、


奥に本堂。


10時50分、船橋市を抜けて、


習志野市へ。


11時20分、谷津干潟。


サギなどの鳥がおり、望遠鏡で観察する人や写真を撮る人などがいた。


湾岸道路の下をくぐり、県道15号線を行く。


12時10分、千葉市に入る。


12時15分、県道から離れ、海岸沿いの「稲毛幕張シーサイドランニングコース」を行く。


遮るものがなくて、ちょっと暑かったが、静かな道をのんびり歩く。海から時折吹くひんやりした風が心地よかった。


12時25分、メッセ大橋。


隣は千葉ロッテマリーンズのフランチャイズ、千葉マリンスタジアム。マリーンズのユニフォームを着た子供たちとすれ違う。


12時45分、幕張海浜公園の海辺で休憩。
春光さんさんと降り注ぎ、東京湾は波がきらめいている。「ひねもす のたりのたりかな」の風情。






12時55分、花見川に架かる美浜大橋。


その後は海岸から離れて、国道14号線に戻り、千葉駅方面へ向かう。


千葉駅周辺は工事のため、道が分かりづらかったが、


14時50分、JR千葉駅へ。


今日はここまでにし、昨日と同様に電車利用で、

16時20分、川崎の自宅に戻った。


2015年 第2日(佐多岬より64日)
歩数  56190歩  (佐多岬より累計  3374949歩)
距離  33km     (佐多岬より累計  2177km)
費用  2093円   (佐多岬より累計  339839円)


2015年 徒歩の旅 第1日  葛飾区・JR 新小岩駅へ

2016年03月25日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月1日(水) 曇 (川崎市・自宅~六郷の渡し跡
                ~葛飾区・JR新小岩駅~JR川崎駅~自宅)


2014年の太平洋側日本縦断徒歩の旅は、足裏のダメージが大きかったため、残念ながら鹿児島(佐多岬)から川崎までで挫折、次回を期すこととなりました。そして、足の回復と積み残しおよび日常の雑務処理などで10カ月を費やしました。その上で、古希も徐々に迫り気力・体力の低下を痛感させられつつ、今を逃すと長期の徒歩の旅も難しくなると思われるので、再度、いささか(はなはだ)オーバーながら、「宗谷岬に到達せずんば死すとも帰らず」の決意を心中に秘めて、2015年春、あらためて川崎から北海道(宗谷岬)へと歩き出しました。
2014年の教訓として、①足裏のメンテナンスを毎日丁寧にやること、②ウォーキングシューズの予備を用意し、靴底の減り具合をみて途中で履き替えること、③防寒対策としてダウンジャケットをもう1着購入し、状況により二枚重ねで着用すること、などの対策を講じました。その他はおおむね前年と同様です。



1年間のブランクもあり、川崎の自宅からの再スタートということもあって、最初の3日間は足慣らしとして、電車を利用して空身で自宅からのピストンにし、

2015年4月1日5時45分、自宅を出発。空は曇ってやや暖かし。まずは、去年の到達点である六郷の渡し跡へと向かう。

途中の多摩川河畔のソメイヨシノは満開。


6時、六郷橋より歩き旅再開。


多摩川中間点を越えて川崎を後に、


東京都へ。


前回の続きで、国道15号線(第1京浜国道)を行く。旧東海道で、箱根駅伝の復路10区である。

6時15分、日本橋まで18㎞地点。


都立六郷工科高校の桜。


6時40分、京急羽田線の高架をくぐり、


7時35分、鈴ヶ森刑場遺跡。江戸時代に、江戸への北の入口にあった小塚原刑場とともに、南の入口の東海道沿いに設けられた。


処刑用の柱の礎石。


右側、丸い穴が火あぶり用。


左側、四角い穴が磔用。


国道の喧噪をはなれ1本東側の旧東海道を行く。


7時45分、浜川橋(涙橋)。


「涙橋の由来」に、「慶安四年(一六五一)、品川にお仕置場(鈴ヶ森刑場)が設けられました。ここで処刑される罪人は、裸馬に乗せられて江戸府内から刑場に護送されてきました。この時、親族らがひそかに見送りにきて、この橋で共に涙を流しながら別れたということから、『涙橋』と呼ばれるようになりました」とあり。

8時、「東海道品川宿」の表示。


すぐに、品川寺の地蔵菩薩。


8時15分、東海道13番三島宿のあった三島市から寄贈された「街道松」。ベンチで小休止。


8時25分、東海道29番浜松宿のあった浜松市から寄贈された「街道松」。


8時35分、品川宿本陣跡。


8時50分、品川宿入口で国道15号線と合流。


すぐに八ツ山橋。


9時、品川駅。


品川駅と言えば、なんといっても、中野重治の「雨の降る品川駅」の詩を思い出すが、今やビルの群れ。

駅の歩道橋から見下ろせば、新入社員の初出勤はみずほ銀行の入社式。


9時15分、高輪泉岳寺にちょっと道草。

中門を入ると、大石内蔵助像。手にしているのはもちろん仇討の連判状。


山門、


本堂。


首洗井戸。仇討成就の後、「吉良上野介義央の首をこの井戸にて洗い以って主君の墓前に供う」


四十七士墓所。


9時30分、高輪大木戸跡。江戸の南の出入り口。


9時40分、駅伝復路コースに従い、国道15号線から日比谷通りへ。正面に東京タワー。


すぐに、「江戸開城 西郷隆盛 勝海舟 会見之地」の碑。


10時、芝公園内の「伊能忠敬測地功表」の碑。


10時15分、芝増上寺。


増上寺前の松原の復元。


10時50分、馬場先門交差点。駅伝復路はここを右折し、「コ」の字型に、日本橋を通って大手町でゴールだが、このまま直進する。


右手、東京駅を遠望し、

11時5分、大手町の箱根駅伝ゴール地点(金色のプレートが目印)へ。




歴代優勝校のプレート。


街区の反対側はスタート地点。広重による箱根までの宿場の絵が飾られてある。


右折して、日銀本店を過ぎ、


11時25分、日本橋。




橋のたもとに、「東京市道路元標」と、


「日本国道路元標」のレプリカ。


知らなかったが、ここは「日本橋魚市場発祥の地」とか。


11時30分、日本橋から、


浜町河岸通りを経て、


隅田川へ。




12時5分、国道14号線(京葉道路)にて両国橋を「西から東へ」渡る。「小雨が靄のようにけぶる夕方、両国橋を西から東へ、さぶが泣きながら渡っていた。」という、山本周五郎の『さぶ』の冒頭を思い出すところである。


橋を渡ったところにある両国橋児童遊園に、赤穂義士の一人である大高源吾の句碑あり。
「日の恩や忽ち具たく(くだく)厚氷」


奥にあるのは、日露戦争の戦没者のための慰霊の「表忠碑」。裏側に戦没者の名前が刻まれている。


国道14号線から江戸東京博物館の横を通って、


葛飾北斎の出生地にちなんだ北斎通りへ。振り返るとスカイツリー。


相撲の神様を祀る野見宿禰神社。




12時55分、錦糸公園の桜も満開で、


お花見の真っ最中。


北斎通りを東進し、


亀戸水神駅を経て、都道315号線(蔵前橋通り)へ。

13時40分、旧中川に架かる江東新橋を渡る。


川沿いの満開の桜並木。




14時、荒川に架かる平井大橋を渡る。


鉄橋を行くJR総武線。


14時30分、JR新小岩駅。


今日はここまでで打ち切り。JR総武線、JR京浜東北線経由にて、川崎駅へ戻り、

15時45分、自宅へ。宿泊、0円。

2015年 徒歩の旅 第1日(佐多岬より63日)  
歩数  56360歩  (佐多岬より累計  3318759歩)
距離  31km     (佐多岬より累計  2144km)
費用  902円    (佐多岬より累計  337746円)

2014年 徒歩の旅 第62日  川崎市・自宅へ

2016年03月06日 | 2014年太平洋側の旅-前半
5月11日(土) 晴 (自宅~JR川崎駅~JR辻堂駅~川崎市・自宅)



5時45分、自宅を出る。

昨日と同じくJR川崎駅から東海道本線に乗り、今日は辻堂駅まで。

7時、JR辻堂駅を出発。

7時20分、昨日の到達点である県道30号線(湘南新道)との交点の高砂歩道橋へ。以後は、昨日と同様に、箱根駅伝の復路コースを辿る。

8時10分、藤沢駅北口。


8時25分、復路8区の難所、遊行寺の坂の上り。






8時40分、「旧東海道松並木跡」。


8時50分、横浜市戸塚区に入る。


「鉄砲宿」表示。


8時55分、藤沢バイパス出口で国道1号線と合流。


振り返り。


国道1号線は自動車夥し。


9時25分、浅間神社入口。


9時30分、原宿一里塚跡。




10時20分、橘の芳香、5月である。


11時、8区に入り、JR戸塚駅を過ぎて、不動坂。




モチノキ。




12時、標高差50mの長い権太坂の上り。


12時5分、権太坂上に。


12時30分、保土谷宿松並木と一里塚。




こんなマンホールの蓋もあり。


13時50分、横浜駅を過ぎ、青木通交差点。ここから国道15号線(第一京浜国道)に入る。




15時40分、鶴見中継所を過ぎ復路10区に入ると、いよいよ川崎市。


16時10分、稲毛神社の石碑。

芭蕉
「秋十とせ却つて 江戸をさす古郷」。


子規
「六郷の 橋まで来たり 春の風」。


佐藤惣之助
「祭りの日は佳き哉
つねに恋しき幼き人の  
あえかに粧ひて
茜する都の方より
来る時なり‥‥」。


16時20分、六郷の渡し。




六郷橋。


残念だが、今回の旅はここで打ち切り。多摩川水青し。


16時40分、自宅へ。

歩数  61912歩    (累計  3262399歩)
距離  35.5㎞     (累計  2113㎞)
費用  1680円     (累計  336844円)



 本州の通過ルート






2014年の旅のまとめ



※表の費用合計には大泊までの交通費13210円が追加になります。

                                   






2014年 徒歩の旅 第61日  藤沢市・JR 辻堂駅へ

2016年03月05日 | 2014年太平洋側の旅-前半
5月10日(土) 晴 (自宅~JR川崎駅~JR小田原駅
                  ~藤沢市・JR辻堂駅~JR川崎駅~自宅)




5時55分、空身で家を出る。2カ月ぶりの自宅で、ぐっすり眠った。

JR川崎駅から、東海道本線で、JR小田原駅へ。

7時50分、小田原駅を出発。


まず、小田原城を眺めてから、昨日の続き、箱根駅伝の復路7区の国道1号線を辿ることにする。

小田原城址公園に入ると、小田原城の御用米曲輪の発掘調査中。




7時30分、戦国大名小田原北条氏の居城、小田原城。ここは地元なので何度も来たことがある。








お城の隣は、報徳二宮神社。


二宮金次郎像。




二宮尊徳像。


大鳥居。


その横には、明治の第19代横綱常陸山谷右衛門が献納した「奉献 横綱常陸山」と記された石柱。


お城の南側を通り、


足柄街道の国道1号線を行くと、

7時55分、旧網問屋を再整備した「なりわい交流館」。


その先に「北村透谷生誕地」の碑。


週末のせいか、自転車で国道1号線を走る人が何人もいる。東海道ウォーキングらしき人もちらほら。

8時15分、「江戸口見付並一里塚址」碑。


久野川の山王橋より海側を望む。


8時35分、酒匂川の酒匂橋から。西湘バイパスの先の海は相模湾。


振り返ると、箱根連山から頭を出した白妙の富士。


8時55分、残された東海道松並木の横を過ぎる。


9時15分、国府津インターの親木橋交差点の歩道橋から。


9時30分、西湘バイパスの横を通る。


9時45分、上り坂になり、「史跡車坂」。案内板に和歌が添えられている。


太田道灌
「鳴神の 声もしきりに 車坂
          とどろかしふる ゆふ立の空 」 

 源 実朝
 「浜辺なる 前川瀬を 逝く水の
          早くも今日の 暮れにけるかも」

  北林禅尼(阿仏尼)
  「浦路行く こころぼそさを 浪間より
          出でて知らする 有明の月」
           

9時55分、二宮町に入る。




10時45分、大磯町に入る。


東海道松並木の説明。


11時50分、東海道53次の8番音の宿場だった大磯宿の上方見附跡。


11時55分、「新嶋襄先生終焉之地」碑。




12時40分、平塚市に入る。


その後は復路8区の国道134号線を辿る。

旧吉田邸で薔薇の花を見ながら小休止のあと、大磯駅前を通過して、海岸沿いを行く。

13時、虹ケ浜の松林。


左右にずっと続く松林を見ながら歩く。足裏ズキズキとしはじめるが、だましだまし。

13時40分、相模川にかかるトラスコ湘南大橋を渡り、






13時45分、茅ケ崎市に入る。


茅ヶ崎駅入口を過ぎ、

浜須賀にて、藤沢方面へ、県道30号線に移る。

15時15分、藤沢市に入る。


辻堂駅入口にて行動を打ち切り、左折してJR辻堂駅に向い、

15時45分、駅に着く。



東海道本線に乗りJR川崎駅へ、そして、

17時05分、自宅に着く。

歩数  55131歩    (累計  3200487歩)
距離  34.5㎞     (累計  2077.5㎞)
費用  2903円     (累計  335164円)


2014年 徒歩の旅 第60日  小田原市・JR 小田原駅へ

2016年03月04日 | 2014年太平洋側の旅-前半
5月9日(金) 曇のち晴 (三島市・三島グリーンホテル
              ~小田原市・JR小田原駅~JR川崎駅~自宅)




この間、連日長距離を歩き、足にガタが来ているため、作戦を変更することにした。右足のマメが化膿したところは依然として肉が盛り上がってこず、かさぶたにもならず、カットバンとテーピングで抑え込み歩行中の痛みはなんとか我慢しているが、1日の行動が終わると相変わらず血がにじみだしている。また、そのため歩き方が不自然になったと思われ、調子のよいときは問題なく歩けるが、何かの具合で両足ともに足底全体がズキンズキンと痛み出すようになってきた。宿の風呂で入念にマッサージするもなかなか効果がでない。‥‥というわけで、今日、箱根を越えたら、小田原で泊まらずに自宅へ戻り、明日と明後日は、自宅から空身のピストンでルートを埋めることにした。

4時30分、暗い中、ヘッドランプで宿を出発。昨晩、雨が降った気配あり。

三島大社に行く前に、白滝公園から大社西側の桜川に沿って並んでいる、「水辺の文学碑」を見ていく。


大岡信。


宗祇
「すむ水の 清きをうつす 我が心」


正岡子規
「三島の町に入れば 小川に菜を洗ふ女のさまも やや なまめきて見ゆ

面白や どの橋からも 秋の不二 」。


桜川。左側に碑列。


十返舎一九。


右側に碑列。


松尾 芭蕉
「関こゆる日は雨降て、山皆雲に隠れたり。

霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き」


若山牧水。


司馬遼太郎。


窪田空穂
「水底にしづく園葉の青き藻を 差し射る光のさやかに照らす」


太宰治




小出正吾


穂積 忠
「み町なみに富士の地下水 湧きわきて
冬あたたかに こもる水靄」


井上靖


「水辺の文学碑」


4時50分、三島大社へ(西側の鳥居)。


総門、


神池。


神門、


舞殿


本殿。足の痛みが軽減するようお願い。


大鳥居。


その後、県道22号線を行き、箱根峠を目指す。




5時15分、JR東海道本線を越えた先に箱根旧街道入口。




足のことを考えれば、国道1号線の舗装道を行きたかったが、せめて雰囲気だけでもと、とりあえず並行する旧街道の方を行くことにする。

5時20分、愛宕坂。凸凹して歩きにくい。




大根の碑、
「箱根八里の馬子吹消へて 今は大根を造る歌  源水」。


松並木。


5時35分、錦田一里塚。




5時50分、白い花を眺めつつ上っていく。




6時、臼ころげ坂の六地蔵。


法善寺。




6時15分、雲の切れ間から富士山。


6時30分、松雲寺。




見上げる藤の花。


6時45分、こわめし坂を上りきった地点。


6時50分、笹原一里塚。


かなり上がってきた。


きれいな石畳の上り坂。




7時10分、長上坂は石畳工事中につき、国道1号線へ迂回。




急に霧がおりてくる。空気が一気に冷えて寒くなるが、ザックを背負った上りなので汗は止まらない。


7時20分、通行止めの終点だが、このまま国道1号線を上る。




7時30分、山中城跡にて小休止。




そばに「雲助徳利の墓」。


三島市が、彼について記しているところによれば、この雲助さんは、松谷久四郎という一説にさる西国大名の剣道指南役。大酒のみで事件を起こし、箱根で雲助に。とはいえ、元は侍なので、雲助仲間の面倒を見たりしたので、彼らから親分以上に慕われた‥‥とか。死後、供養のために仲間が盃と徳利を刻んだ墓を作った、のだそうだ。


さらに霧の杉並木を行き、


7時50分、三島市から、


凾南町に。


枯木坂を少し上るも、足裏が痛く、結局は霧の国道へ。




8時40分、箱根峠に着き、神奈川県に入る。


8時50分、「道の駅 箱根峠」から芦ノ湖を望む。こちら側は晴れて暖かい。小休止。




だらだらと下っていき、






「東京箱根間往復大学駅伝競走」の往路ゴール地点を過ぎ、

9時25分、箱根関所。




大休止とし、関所と箱根関所史料館などを見ていく。400円。










10時、箱根八里の碑を見て、


下り始める。

旧東海道杉並木の中を通り、




10時50分、御状岩。源頼朝がこの岩の上で書状をしたためた‥‥と。


11時、「国道1号最高地点 874m」


あとは小田原まで一気の下り。箱根駅伝の復路6区のコースである。新緑の中、急なジグザグを車を避けつつどんどん下る。

12時30分、箱根駅伝第35回記念碑 。駅伝の練習中に交通事故で亡くなった専修大学の小山国夫選手のお母さんの「鎮魂の句」が刻まれている、とあり。
「若ざくら箱根の山に 植えられて 恵みのつぼみ ひらくうれしさ」。




急な下りに夥しい車の量にヒヤヒヤしつつ歩く。実際、この駅伝の往路5区の上りは言うまでもないが、復路6区で急坂を駆け下るのも並大抵のことではないだろう。谷底に落ち込んでいくような感じである。選手たちの訓練のたまもの、との感強し。

13時55分、函嶺洞門。


バイパス工事が2014年2月に完成したため、封鎖されていた。2015年から駅伝のコースは変更になる。


小田急線の箱根湯本駅から先はもう観光客やハイカーで人の波であった。

14時35分、小田原市に入る。


15時15分、星槎城山トンネルを抜けて、


15時30分、JR小田原駅へ。


東海道本線に乗りJR川崎駅へ、そして、
17時、自宅に着く。


歩数  68200歩    (累計  3145356歩)
距離  38㎞       (累計  2043㎞)
費用  2090円     (累計  332261円)


2014年 徒歩の旅 第59日  三島市・三島グリーンホテルへ

2016年03月03日 | 2014年太平洋側の旅-前半
5月8日(木) 晴のち曇 (焼津市・ウィークリー翔 焼津~JR蒲原駅
                    ~三島市・三島グリーンホテル)




5時45分、宿を出発。JR焼津駅へ。

熱海行きのJR東海道本線にて、JR蒲原駅へ。

6時55分、国道1号線は自動車専用なので、県道396号線(旧東海道)を歩きはじめる。







7時25分、蒲原宿西木戸へ。


蒲原は、東海道53次の内の15番目の宿場。


旧東海道の宿場が保存されているので眺めながら行く。

蔀戸のある家、国登録文化財「志田家住宅主屋」。




大正時代の洋館、国登録文化財「旧五十嵐歯科医院」。




本陣跡。




なまこ壁と「塗り家造り」の家。




「義経硯水」の古跡。イボがとれると言われた湧き水だったが、今は涸れてしまっている。




再び396号線に出て、ゆるく坂を上りきったところで、突然、巨大な真っ白い富士山が目に飛び込んできた。富士を右手に見ながら歩く。

7時55分、富士市に入る。


8時5分、東海道新幹線と富士山。


新幹線の下をくぐったところ。




途中に案内板あり。


8時30分、富士川橋と白妙の富士山。


8時40分、富士川橋を渡る。






橋を渡ったところに、水神の森と富士川渡船場跡。






その後は、396号線を辿って富士、吉原の市街を抜け、県道380号線へ。

11時、やや雲が出てきた。


11時20分、昭和放水路と、


推進者の増田平四郎の像。




11時40分、沼津市に入る。


あとはずっと、旧東海道の県道380号線を、右手に松原を見つつ歩く。


千本街道。


12時10分、時々、海岸沿いの太平洋自転車道路を歩いたりしつつ、




正面は伊豆半島。


再び松林。


14時、西間門の交差点で海沿いから離れ内陸方面へ。


15時、清水町に入る。


JR三島駅への表示があったので、それに従って三島駅方面へ。実際はもう少し先に三島市に入ることを示す表示板があったと思うが、手前から左折してしまったので、いつの間にか三島市に入っていた。

15時40分、JR三島駅。


駅にて、観光案内所の女性職員に宿の位置を聞き、明日のために三島大社の案内図を撮っておく。


16時、宿に着く。宿泊、素泊まり 3500円。

歩数  54733歩    (累計  3077156歩)
距離  37.5㎞     (累計  2005㎞)
費用  6124円     (累計  330171円)


2014年 徒歩の旅 第58日  静岡市・JR蒲原駅へ

2016年03月02日 | 2014年太平洋側の旅-前半
5月7日(水) 晴 (焼津市・ウィークリー翔 焼津~静岡市・JR蒲原駅
                     ~JR焼津駅~ウィークリー翔 焼津)




5時45分、空身にて宿を出発。晴れて空気は清々しい。
静岡方面へどのようにしていくかと考え、まず東名高速の日本坂トンネルは当然ダメだとしても、国道150号線の新日本坂トンネルの方はひょっとして通行可能か、それならば大幅に距離を短縮できると思い、とりあえずえず行ってみることにした。

東海道本線を越えて、県道213号線を行き、

6時5分、瀬戸川を渡る。


6時25分、右折し、国道150号線を行く。

6時45分、いい調子で歩いてきたが、残念ながら、というか案の定というか、新日本坂トンネルも自動車専用で、歩行者・自転車は通行禁止。トンネルのそばで出会った男性に聞いてみたところ、①大崩海岸を行くか、②岡部宿の方から旧東海道を行くか、③さもなければ登山道を通ってトンネルの向こうに出るか、それしか方法はない、との返事。しかたなく、お礼を言って引き返す。②も③も高低差がありそうなので、海側の大崩海岸方面へ行くことにする。

しばらく行って、出会った女性に大崩海岸方面への道を尋ねたところ、現在大崩海岸は通行禁止、とのこと。もう②しかないや。

県道213号線まで戻って、西進、岡部宿を目指す。

7時45分、県道213号線。


案内図。


7時50分、藤枝市に入る。


8時、岡部へ。


8時10分、県道81号線(旧東海道)の内谷インターチェンジ北。松並木に出会い右折北上。


8時40分、岡部宿公園にて小休止。作戦を練る。明日、明後日の行程を考えると、何としても今日は蒲原まで行っておきたい。思わぬ迂回を強いられたが、かくなる上は、このまま国道1号線を行き、何時になるかわからないが暗くなっても蒲原まで行こう、と覚悟を決める。


隣の岡部宿大旅籠柏屋歴史資料館は定休日。


少し行った先に岡部宿案内板あり。岡部は東海道21番宿場。


8時45分、道の駅宇津ノ谷峠。


ここも歩行者道路が分かりにくく、道の駅売店の女店員に聞いてなんとか了解。


9時20分、宇津ノ谷トンネルを抜け、


静岡市に入る。


あとは道なりにどんどん下っていく。

9時50分、丸子の「名残の松」。


丸子宿案内板。丸子は東海道20番宿場




散歩をしていた高齢男性と一緒に歩きながら、この先の道について聞く。お礼を言って別れた後、彼が再び追ってきて、先ほど間違えて教えたかもしれないから、安倍川の橋がわかるところまで行ってくれるという。恐縮だが心強い。というのも、国道1号線の駿河大橋は自動車専用で、歩行者は手前から左に入り、安倍川橋を渡らねばならない、ということ。


10時55分、安倍川橋を渡る。


安倍川もまた大河である。


橋を渡った先の左に、「安倍川の義夫の碑」。元文三年(1738年)にあったという正直な川越人夫の顕彰碑。


名物「あべ川餅」。でも立ち寄ってはいられない。


11時5分、「由比小雪公之墓址」碑。由井正雪は江戸時代初期、浪人の救済を掲げた慶安の変の首謀者。


その後国道1号線に復帰し、暑い中をがむしゃらに、静岡、草薙と市街地を歩く。

14時、清水駅に続く地点。


14時20分、袖師交差点。興津宿へ向かう。


14時55分、明治の美文家の「高山樗牛假寓之處」。


15時、東海道17番宿場、興津宿。






案内板。




15時25分、海沿いを行く。


遠州灘波静か。


15時50分、なんともすさまじい所を通る。




東海道本線と東名高速と国道1号線バイパスとが束になっている。地震、津波など考えたらゾッとする。




16時10分、まあ、何というか、歩ける道がある限りは歩くしかない。


由比駅近く。


16時30分、JR由比駅前。「由比桜えび通り」。


案内図。




17時、桜えびかき揚げ丼を食べる。この旅で初めてのグルメ外食、1320円なり。いやあ美味かった。


あとはそのまま何とかJR蒲原駅まで歩き、

18時10分、宿へ戻る。連泊、2900円。


歩数  75287歩    (累計  3022423歩)
距離  53㎞       (累計  1967.5㎞)
費用  5925円     (累計  324047円)