そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2015年 徒歩の旅 第24日  宮古市・「道の駅 たろう」へ

2016年04月19日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月24日(金) 曇のち晴 (山田町・町民総合運動公園
                         ~宮古市・「道の駅 たろう」)




今日は長丁場が予想され、3時30分に起床するも、足のメンテに手間取り、1時間後には出発できず。
夜はさほど寒くはなかったが、結露がいっぱい。テント、銀マット、ポール、下敷きシート、みんなびっしょり。周囲の草も夜露がおりている。しかし、天気もよさそうなので、途中で30分ほど干せばいいだろう。星がきれいだ。

4時45分、仮設の山田病院を後に出発。国道45号線を北上する。空気はややひんやりで、歩くのには絶好の陽気。


豊間根から津軽石川に沿って下る途中は、あちこちでヤマブキの盛り。


6時35分、宮古市に入る。


7時5分、津軽石川は鮭が遡上する河川のようだ。


7時30分、津軽石川河口。




津軽石からダンプを含め、ラッシュ状態。特に、三陸道から車が流れこむ交差点は、1㎞ほど渋滞になっている。大型車はほとんどが岩手、宮城のナンバープレートだが、中には帯広、函館、札幌、青森、栃木、千葉、姫路、などもある。


宮古湾の最深部から、悲惨な状況を見つつ行く。




8時30分、磯鶏にて、「小本34㎞」と「道の駅」近しの表示。


8時50分、市長からの、開港400年のお祭りの行列に参加するようにとの、呼びかけのアナウンスが流れた。

さらに工事現場を過ぎ、




9時15分、閉伊川に架かる、真新しい宮古大橋を渡ると、




9時20分、市役所に開港400年記念行事の紅白幕あり。(露出を間違えたので白とび写真になってしまった。)


10時15分、「道の駅みやこ」(「シートピアなあど」)へ。この先の情報収集、食事などして、40分間休憩。


宮古湾。




海から離れ、


11時30分、崎鍬ヶ崎にてテント干し休憩。

12時、坂を上って、「崎山貝塚縄文の森公園複合施設建築工事」現場。


12時10分、宮古第一~第四までトンネルを抜ける。小幅ながら歩道があり助かる。


さらにアップダウンあり、暑くて自販機でペットボトル。

坂を上り、標高100m位。


13時20分、やや下るとまた田老トンネルあり。


13時40分、田老川を渡る。


前後2.5㎞にわたって浸水したことが分かる。田老市街地は震災津波で全滅。


三陸鉄道の写真を撮る。


さらに工事現場。








「過去の津波浸水区間」の表示のある地点から、田老の街を眺めると、街全体がすっぽりと入ってしまう。大きさでは陸前高田にかなわないが、壊滅状況は変わりなし。


田老湾を抜け、坂を上っていくと、

15時、「道の駅たろう」。


情報館で震災津波の様子と、この先の道路状況を見て、




売店でおやつを買って、


畳敷きの横臥施設にて。


清掃に来たお姉さんに尋ねたところ、道の駅は国交省ではなくて田老の公社が管理している、とのこと。宿泊は、本当はダメなんだけど、でも泊まっていく人は多いですよ、と言うので、小生も「多い」うちの一人にならせてもらった。宿泊、無料。


2015年 第24日(佐多岬より86日)

歩数  58253歩    (佐多岬より累計  4455640歩)
距離  38.5km     (佐多岬より累計  2945㎞)
費用  2135円     (佐多岬より累計  425549円)