そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2015年 徒歩の旅 第27日  洋野町・JR有家駅へ

2016年04月22日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月27日(月) 晴 (野田村・国民宿舎 えぼし荘
                   ~洋野町・JR有家駅)




早起きの癖がついてしまい、4時に目覚めたので、露天風呂に日の出を見に行った。海上は雲が多く、少し待って赤い日の出を見た。

ゆっくり朝食をとり、

7時45分、出発。今日も国道45号線を北上する。


眼下に野田の海岸線を見る。


近くにある西行屋敷跡に立ち寄るべく、出会った婦人に尋ねると、69歳の自称ガイドという面白い人で、おしゃべりしながら一緒にそばまで連れて行ってくれた。

8時40分、鳥居をくぐり、


その先の丘の上が屋敷跡。 野鳥の鳴き声しきりなり。


「西行屋敷」の石碑は20mの津波のため横転していた。


傍らの石碑の


左側の歌碑には、
「夕されば 汐風こして陸奥の 野田の玉川 ちどりなくなり 能因法師 」
「みちのくの 野田の玉川見渡せば しほ風こして 氷る月影 順徳院  」

また、右の句碑には、「天明八年八月」として、
「玉川や 汐も眞水も 秋の声   重厚 」
「玉川の 玉まさるかと 秋の雨  夜来 」。

歌の作者たちは知っていたが、句の作者は寡聞にして知らず。

さて、自称ガイドさんの言では、「左に左に行き、立派な道路に出たら45号。あまり立派じゃないと思ったらさらに左に左に行くと45号に出る」と言った通りに歩き、国道45号線に戻る。

海岸線を快適に行き、

9時10分、野田湾は、きれい。のどか。




と思ったら、

9時20分、工事中。前後3.4㎞にわたる津波の浸水の表示あり。


9時30分、ミニトラックの男性に声をかけられ、久慈まで行くから乗っていきな、と言われた。‥‥で、今回も乗せてもらった。
車内での男性からの話。東日本大震災の津波で、1300万円の船を流されてしまった。4年たって、ようやく牡蠣の養殖が軌道に乗り始めたところだが、漁船は借金で買っているのでこれからも大変だ、と。

9時50分、長内トンネルの先で下ろしてもらった。途中で久慈市に入った。

今夜は駅寝の予定なので、スーパーで食料を買い、

10時5分、久慈大橋を渡る。


橋上より久慈川下流方面。


久慈川を渡って、右折、旧45号線の国道395号線を辿る。朝、宿のテレビの予報通り、一気に暑くなってきた。

10時40分、暑いので、陸中夏井駅で15分間休憩。

11時30分、若い男女の教員に引率された小学生15、6人の集団に出会う。東京から北海道まで歩くと言ったら、一緒に写真を撮らせてくれと言われた。本当は神奈川だが、東京の方が子供には分かりやすいだろうと思って言ったのだが、案の定、「東京」「東京」‥‥と賑やかだった。かれらにとって、「東京」ってどのようなイメージなのかなぁ。

ふたたび国道45号線に戻り、

13時40分、久慈市ももうすぐおわり。


高家川に架かる桑畑橋(145m)を渡り、


13時50分、洋野町に入る。


ダイバー姿の「ダイちゃん」という洋野町のマスコットが出迎え。


14時40分、有家大橋を渡る。


橋上から下をのぞく。


15時30分、国道45号線から大きく下って、JR八戸線の有家駅へ。岩手県最後の夜は、ここの待合室で泊まらせてもらうことにする。宿泊、無料。




有家駅は無人駅で、目の前は広いきれいな砂浜で、その先は太平洋。




時間がたっぷりあるので、周囲を散策したり、JR八戸線の写真を撮ったりする。






待合室にいたら、中年の男性がやってきた。「みちのく潮風トレイル」を、種差海岸から久慈市の小袖海岸まで、海岸線に沿って歩いているのだと言う。この先、有家川は海岸沿いに橋がないので、JRの鉄橋を渡るのだと言っていた。いろいろな歩き方があるものだ。

さて、明日は青森県。2008年の旅の新潟県も、通過に7日余りかかったが、今回の岩手県はそれ以上、9日になる。だが、長かった三陸海岸の旅も明日まで。一人、潮騒を聞きながら静かな夜を過ごす。


2015年 第27日(佐多岬より89日)

歩数  43062歩    (佐多岬より累計  4582182歩)
距離  40km       (佐多岬より累計  3042㎞)
※  途中、一部自動車に乗せてもらった。
費用  1478円     (佐多岬より累計  436347円)