2015年4月27日(月) 晴 (野田村・国民宿舎 えぼし荘
~洋野町・JR有家駅)
早起きの癖がついてしまい、4時に目覚めたので、露天風呂に日の出を見に行った。海上は雲が多く、少し待って赤い日の出を見た。
ゆっくり朝食をとり、
7時45分、出発。今日も国道45号線を北上する。
眼下に野田の海岸線を見る。
近くにある西行屋敷跡に立ち寄るべく、出会った婦人に尋ねると、69歳の自称ガイドという面白い人で、おしゃべりしながら一緒にそばまで連れて行ってくれた。
8時40分、鳥居をくぐり、
その先の丘の上が屋敷跡。 野鳥の鳴き声しきりなり。
「西行屋敷」の石碑は20mの津波のため横転していた。
傍らの石碑の
左側の歌碑には、
「夕されば 汐風こして陸奥の 野田の玉川 ちどりなくなり 能因法師 」
「みちのくの 野田の玉川見渡せば しほ風こして 氷る月影 順徳院 」
また、右の句碑には、「天明八年八月」として、
「玉川や 汐も眞水も 秋の声 重厚 」
「玉川の 玉まさるかと 秋の雨 夜来 」。
歌の作者たちは知っていたが、句の作者は寡聞にして知らず。
さて、自称ガイドさんの言では、「左に左に行き、立派な道路に出たら45号。あまり立派じゃないと思ったらさらに左に左に行くと45号に出る」と言った通りに歩き、国道45号線に戻る。
海岸線を快適に行き、
9時10分、野田湾は、きれい。のどか。
と思ったら、
9時20分、工事中。前後3.4㎞にわたる津波の浸水の表示あり。
9時30分、ミニトラックの男性に声をかけられ、久慈まで行くから乗っていきな、と言われた。‥‥で、今回も乗せてもらった。
車内での男性からの話。東日本大震災の津波で、1300万円の船を流されてしまった。4年たって、ようやく牡蠣の養殖が軌道に乗り始めたところだが、漁船は借金で買っているのでこれからも大変だ、と。
9時50分、長内トンネルの先で下ろしてもらった。途中で久慈市に入った。
今夜は駅寝の予定なので、スーパーで食料を買い、
10時5分、久慈大橋を渡る。
橋上より久慈川下流方面。
久慈川を渡って、右折、旧45号線の国道395号線を辿る。朝、宿のテレビの予報通り、一気に暑くなってきた。
10時40分、暑いので、陸中夏井駅で15分間休憩。
11時30分、若い男女の教員に引率された小学生15、6人の集団に出会う。東京から北海道まで歩くと言ったら、一緒に写真を撮らせてくれと言われた。本当は神奈川だが、東京の方が子供には分かりやすいだろうと思って言ったのだが、案の定、「東京」「東京」‥‥と賑やかだった。かれらにとって、「東京」ってどのようなイメージなのかなぁ。
ふたたび国道45号線に戻り、
13時40分、久慈市ももうすぐおわり。
高家川に架かる桑畑橋(145m)を渡り、
13時50分、洋野町に入る。
ダイバー姿の「ダイちゃん」という洋野町のマスコットが出迎え。
14時40分、有家大橋を渡る。
橋上から下をのぞく。
15時30分、国道45号線から大きく下って、JR八戸線の有家駅へ。岩手県最後の夜は、ここの待合室で泊まらせてもらうことにする。宿泊、無料。
有家駅は無人駅で、目の前は広いきれいな砂浜で、その先は太平洋。
時間がたっぷりあるので、周囲を散策したり、JR八戸線の写真を撮ったりする。
待合室にいたら、中年の男性がやってきた。「みちのく潮風トレイル」を、種差海岸から久慈市の小袖海岸まで、海岸線に沿って歩いているのだと言う。この先、有家川は海岸沿いに橋がないので、JRの鉄橋を渡るのだと言っていた。いろいろな歩き方があるものだ。
さて、明日は青森県。2008年の旅の新潟県も、通過に7日余りかかったが、今回の岩手県はそれ以上、9日になる。だが、長かった三陸海岸の旅も明日まで。一人、潮騒を聞きながら静かな夜を過ごす。
2015年 第27日(佐多岬より89日)
歩数 43062歩 (佐多岬より累計 4582182歩)
距離 40km (佐多岬より累計 3042㎞)
※ 途中、一部自動車に乗せてもらった。
費用 1478円 (佐多岬より累計 436347円)
~洋野町・JR有家駅)
早起きの癖がついてしまい、4時に目覚めたので、露天風呂に日の出を見に行った。海上は雲が多く、少し待って赤い日の出を見た。
ゆっくり朝食をとり、
7時45分、出発。今日も国道45号線を北上する。
眼下に野田の海岸線を見る。
近くにある西行屋敷跡に立ち寄るべく、出会った婦人に尋ねると、69歳の自称ガイドという面白い人で、おしゃべりしながら一緒にそばまで連れて行ってくれた。
8時40分、鳥居をくぐり、
その先の丘の上が屋敷跡。 野鳥の鳴き声しきりなり。
「西行屋敷」の石碑は20mの津波のため横転していた。
傍らの石碑の
左側の歌碑には、
「夕されば 汐風こして陸奥の 野田の玉川 ちどりなくなり 能因法師 」
「みちのくの 野田の玉川見渡せば しほ風こして 氷る月影 順徳院 」
また、右の句碑には、「天明八年八月」として、
「玉川や 汐も眞水も 秋の声 重厚 」
「玉川の 玉まさるかと 秋の雨 夜来 」。
歌の作者たちは知っていたが、句の作者は寡聞にして知らず。
さて、自称ガイドさんの言では、「左に左に行き、立派な道路に出たら45号。あまり立派じゃないと思ったらさらに左に左に行くと45号に出る」と言った通りに歩き、国道45号線に戻る。
海岸線を快適に行き、
9時10分、野田湾は、きれい。のどか。
と思ったら、
9時20分、工事中。前後3.4㎞にわたる津波の浸水の表示あり。
9時30分、ミニトラックの男性に声をかけられ、久慈まで行くから乗っていきな、と言われた。‥‥で、今回も乗せてもらった。
車内での男性からの話。東日本大震災の津波で、1300万円の船を流されてしまった。4年たって、ようやく牡蠣の養殖が軌道に乗り始めたところだが、漁船は借金で買っているのでこれからも大変だ、と。
9時50分、長内トンネルの先で下ろしてもらった。途中で久慈市に入った。
今夜は駅寝の予定なので、スーパーで食料を買い、
10時5分、久慈大橋を渡る。
橋上より久慈川下流方面。
久慈川を渡って、右折、旧45号線の国道395号線を辿る。朝、宿のテレビの予報通り、一気に暑くなってきた。
10時40分、暑いので、陸中夏井駅で15分間休憩。
11時30分、若い男女の教員に引率された小学生15、6人の集団に出会う。東京から北海道まで歩くと言ったら、一緒に写真を撮らせてくれと言われた。本当は神奈川だが、東京の方が子供には分かりやすいだろうと思って言ったのだが、案の定、「東京」「東京」‥‥と賑やかだった。かれらにとって、「東京」ってどのようなイメージなのかなぁ。
ふたたび国道45号線に戻り、
13時40分、久慈市ももうすぐおわり。
高家川に架かる桑畑橋(145m)を渡り、
13時50分、洋野町に入る。
ダイバー姿の「ダイちゃん」という洋野町のマスコットが出迎え。
14時40分、有家大橋を渡る。
橋上から下をのぞく。
15時30分、国道45号線から大きく下って、JR八戸線の有家駅へ。岩手県最後の夜は、ここの待合室で泊まらせてもらうことにする。宿泊、無料。
有家駅は無人駅で、目の前は広いきれいな砂浜で、その先は太平洋。
時間がたっぷりあるので、周囲を散策したり、JR八戸線の写真を撮ったりする。
待合室にいたら、中年の男性がやってきた。「みちのく潮風トレイル」を、種差海岸から久慈市の小袖海岸まで、海岸線に沿って歩いているのだと言う。この先、有家川は海岸沿いに橋がないので、JRの鉄橋を渡るのだと言っていた。いろいろな歩き方があるものだ。
さて、明日は青森県。2008年の旅の新潟県も、通過に7日余りかかったが、今回の岩手県はそれ以上、9日になる。だが、長かった三陸海岸の旅も明日まで。一人、潮騒を聞きながら静かな夜を過ごす。
2015年 第27日(佐多岬より89日)
歩数 43062歩 (佐多岬より累計 4582182歩)
距離 40km (佐多岬より累計 3042㎞)
※ 途中、一部自動車に乗せてもらった。
費用 1478円 (佐多岬より累計 436347円)