そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2015年 徒歩の旅 第22日  釜石市・ホテル マルエへ

2016年04月17日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月22日(水) 晴 (大船渡市・三陸峠~釜石市・ホテル マルエ)



夜中、寒くて使い捨てカイロを使用。用足しに外へ出たら、北斗七星はじめ無数の星が覆いかぶさってくるように輝き圧巻だった。自動車は三陸道を通ってしまうせいか、道路わきながら静かに休めた。

5時20分、出発。空は晴れて無風。峠の道をずんずん下る。


山桜が咲いている。


鹿が白い尻を見せて逃げていった。カメラは間に合わず。

5時35分、三陸道工事現場を通過。


5時40分、道の駅さんりく。洗面、用足し、食事などで30分間の休憩。




6時30分、さらにどんどん下り、樹間から越喜来湾。


7時25分、羅生トンネル(520m)。


下って行って、吉浜湾。






8時55分、鍬台トンネル(2305m)。ここも歩道なし。


9時25分、トンネルを抜けると釜石市。


10時15分、熊ノ木トンネル(498m)。


10時35分、三陸鉄道、唐丹駅。小休止。




三陸鉄道のポスター。


唐丹湾の南側は工事中。






北側の小白浜漁港には白い防潮堤が見える。


小白浜仮設住宅。


11時5分、小白浜トンネル(324m)。


11時25分、石塚トンネル(1351m)。歩道なし。土を積んだ復興ダンプひっきりなしに往来。歩行者にとっては最悪のトンネルだった。両サイドの白線の通路は埃が大量に固まって堆積。滑って危険。泥水状のところも多し。頭上の換気扇はゴーゴーと唸っているが、車が舞い上げる砂ぼこりで視界も定かならず。砂粒などが目に入りそうで長く目を開けていられない。避難用の距離板にも土がこびりついていて読めず‥‥いやぁ、すごかった。まぁ、これも経験。


11時55分、トンネルを抜けたところの、右手の平田総合公園と野球場は仮設の団地のごとし。はまゆう通り、すずらん通り、つつじ通りなどあり。この時間はひっそりとしており、お爺さんが一人欠伸をしているのが見えた。




12時5分、遠方に釜石の観音様。


三陸博の跡地。


13時5分、釜石湾と釜石大観音。




13時20分、市立鉄の歴史へ。




歴史館を見学。入館料500円。
製鉄の方法や、釜石の製鉄の歴史が分かりやすく説明されていた。






「近代製鉄の父」といわれる大島高任について初めて知った。


洋式高炉の模型や、アンモナイトのレプリカ(三陸博のときのもの)など興味深かった。

15時15分、嬉石トンネル(138m)。白いガード柵の歩道あり。隣は白山小学校。


津波でやられた市街地を甲子川にそって釜石駅方面へ。


15時50分、宿に着く。宿泊、素泊まり5400円は少しぜいたくだが、宿はどこも工事関係者で埋まっていてやっと見つけた。釜石から陸前高田の工事現場まで通っているグループもあるそうだ。


今日もいくつもの工事現場と仮設住宅を見た。アップダウンとトンネルの多い一日だったが、まだまだ先は長い。


2015年 第22日(佐多岬より84日)

歩数  47843歩    (佐多岬より累計  4344520歩)
距離  31.5km     (佐多岬より累計  2870.5㎞)
費用  7080円     (佐多岬より累計  422307円)