そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

四国の旅 第33日 西条市・「ビジネス旅館小松」に連泊

2012年08月30日 | 2011年四国の旅-1
11月14日(月) 晴ときどき曇 (西条市・「ビジネス旅館小松」に連泊)


○本日の参拝
第61番札所 栴檀山教王院 香園寺 (御本尊:大日如来)
第60番札所 石鈇山福智院 横峰寺 (御本尊:大日如来)



今日の行程は、まず香園寺に参拝し、その後は横峰寺を往復するだけ。まあ気分は半日休養といったところ。
ゆっくりと宿の朝食をとり、
7時、たのんでおいた昼食と、雨具だけをザックに入れて出発。羽が生えたように軽い。


中山川の支流にかかる橋を渡り、


道標に従って進むと、


宿から10分あまりで、香園寺の入り口。


7時15分、第61番香園寺。


これまでとは全く異なった、一種異様な建物が香園寺である。






本堂と大師堂はこの建物の中にある。

横の階段を上がり、建物の中へ。


写真を撮ってもよいものか迷ったが、禁止という掲示も見当たらないので中の様子を撮ってみた。


ご本尊の大日如来と右に子供を抱いた大師像。


境内の子安大師堂。


山頭火の句碑。
「南無観世音 おん手したたる 水の一すぢ」
「枋の夜の 護摩のほのほの 燃えさかるなり」


その後、歩きへんろ道を横峰寺に向かおうとしたのだが、逆打ちのために道迷い。

白い山茶花の花びらが散り敷く道を行ってみるも行き止まり。


そうこうしているうちに、上ってくる兵庫君と出会う。順打ちのへんろ道は台風で荒れていて通行不能だったらしい。こちらの計画を話すと、「悪知恵なんか出しちゃって。」と笑われてしまった。二人でへんろ道を探すがシールも見当たらず。墓地の裏へ出たり、低灌木の中へ突入したり。結局、さしあたりは自動車用の道を行き、途中から歩きへんろ道に合流したらそれを行こう、ということになった。

8時15分、大谷池。


8時50分、白滝奥之院(第61番香園寺の奥の院)。




歩きへんろ道へ。


以後、山道を、上り下り、平坦地、を繰り返しつつ、途中で一回休憩所で休んで、名残の秋の風情を堪能しながら、標高約750mの横峰寺に着く。












10時40分、横峰寺。






手水舎に咲いていたピンクの大文字草。


本堂と、


大師堂。


逆打ちのため、裏側から境内に入ったので、その先に山門。


山門を出て、さらに580m上ると、番外霊場の星ガ森。


石鎚山の遥拝所であるが、山は霞んでいてよく見えず。




ここは第60番横峰寺の奥の院。


昼食をとり、下山。

下山途中で何匹か見かけた不気味な青黒いミミズ。長さが30cm以上あった。泉鏡花の『高野聖』にでも出てきそうだ。


下山途中に、韓国人の青年に出会った。白衣は着ておらず、観光客風。日本語は話せず、すでに出会っていた兵庫君によれば、野宿で廻っているのだそうだ。

13時45分、白滝奥之院へ戻る。


その後、兵庫君は第61番の香園寺へ、小生はデパートで下着のスペアを買うために別れたが、宿は同じ「ビジネス旅館小松」だとのことだった。

14時50分、宿に着く。

宿では、兵庫君のほか、第45番の岩屋寺で別れた中原さんや、彼としばらく一緒に歩いているというフランス人の高齢者(彼も日本語はまったくわからないが、1番の霊山寺からずっとまわってきた、と言っていた。中原さんがおにぎりをライスボールと言って説明していた。)などで、にぎやかだった。
「ビジネス旅館小松」は肉屋さんがやっているとのことで、一日目はしゃぶしゃぶ、二日目はすき焼きと、たっぷりの肉でもてなされた。しかも宿代は5250円と割安で、お遍路の間では有名な宿だそうだ。
壁に色紙があった。先月の5日に前総理の管直人がここに泊まって行ったようだ。

歩数 39,922歩 (累計 1,342,133歩)
距離 23.5km  (累計 917km)
費用 1,178円  (累計 125,306円)






四国の旅 第32日 西条市・「ビジネス旅館小松」へ

2012年08月28日 | 2011年四国の旅-1
11月13日(日) 晴一時曇 (桜井ふれあいスポーツランド~西条市・「ビジネス旅館小松」)

○本日の参拝
第62番札所 天養山観音院 宝寿寺 (御本尊:十一面観世音菩薩)
第63番札所 密教山胎蔵院 吉祥寺 (御本尊:毘沙聞天)
第64番札所 石鉄山金色院 前神寺 (御本尊:阿弥陀如来)



今回は、ちょっと「ズル」をした。本来は、第60番横峰寺、第61番香園寺と巡るのだが、横峰寺の上りへんろ道が悪そうなのでパスをし、第62番宝寿寺から第64番前神寺までお参り。その後は行けるところまで行って、JR予讃線で伊予小松の宿へ戻る。明日、横峰寺と香園寺を空身でピストンし、明後日、今日の到達点まで電車で行って、以後第65番三角寺へ向かう、という計画。

6時15分、出発準備完了(ザックが置いてある場所にテントを張った)。空には十六夜の月。


泊り場の写真を撮るべく、若干待機。左のフェンスがテント設営地。


6時25分、出発。


6時35分、桜井海浜ふれあい広場。
 

朝の海があまりにきれいなので眺めていると、カメラを持った中年男性が寄ってきて、お遍路さんと海の写真を撮りたいのでモデルになってくれないか、と言う。了承。

ここ桜井海岸は、「日本の渚100選」に選ばれている。






ふれあい広場を後に、海岸線に沿って行く。




海を見つつ行くと、


7時15分、虎ヶ鼻海岸公園。


松林越しに海を見つつ行き、


あわよくばそのまま国道196号線に合流を、と思ったが、残念、途中で行き止まり。

7時30分、来た時と同様に緩い小さな丘の上り下りの後、


7時40分、孫兵衛作というところで国道に。


以後は、JR予讃線とつかず離れずしながら、今治街道の国道196号線を南下。


7時50分、今治・西条の市境。






医王池。


瀬戸内東予休暇村。




坂を下ると海。




右手は今治小松自動車道。


8時5分、「カブトガニ繁殖地」。


石鎚山塊は雲の中。


8時45分、デイリーヤマザキ東予三芳店で食料購入。「お接待」に緑茶パックをいただく。南無大師遍照金剛。


9時40分、ダチョウがいる「駝鳥倶楽部 東予ファーマーズ・マーケット」。




10時10分、中山川大橋。




長かった国道196号線歩きが終わって、国道11号線へ。

10時30分、すぐに第62番宝寿寺へ。


旧本堂は工事中。


こちらが今の仮本堂。


仮大師堂。


10時50分、西条市と小松町の標識。小松町は平成の大合併で西条市の一部。




11時、1km余りで、第63番吉祥寺へ。


山門。


本堂と、


大師堂。


桧の霊木。


吉祥寺のご本尊は毘沙聞天。一般的には毘沙門天だが、ここ吉祥寺では毘沙聞天と書く。多くの願い事を聞き入れてくれるから、だそうだ。

朝日町交差点を右折して、国道と並行する歩きへんろ道へ。


11時50分、石鎚神社。




その先が、第64番前神寺。






総門。


境内案内図。


本堂の前には広い庭があり、左右には回廊。


本堂と、


大師堂。


石段の上に、




権現堂。


参拝を終えて、へんろ道に戻り、振り返ると遠くに石鎚神社の赤い大鳥居。


13時、コンビニで食料調達。

隣の店でお土産を買い、家に発送。


13時20分、子供たちが用水で遊んでいる。いつでもどこでも子供たちは可愛い。


とれた魚はカマツカかな? 


ふたたび田園のへんろ道。


13時35分、加茂川にかかる伊曽の橋。


河川敷には夥しい数の車が駐車中。整理員や、露店まで出ている。聞いてみると、西条農業高校の農校祭だそうで、「寄って見ていきなさい。」と言われたが、先を急ぐので遠慮した。


その先左手は武丈公園。




14時10分、地蔵庵。


14時30分、室川。


国道に出て、しばらく行くと、西条・新居浜の市境。




15時5分、中萩駅前交差点を左折。


JR予讃線中萩駅。


駅で30分ほど待って、15時37分の電車で伊予小松へ。約1か月ぶりの電車なり。


15時55分、伊予小松駅で下車し、今日の宿の「ビジネス旅館小松」へ。
同宿者は8人。夕食はしゃぶしゃぶで、肉も野菜もたっぷり。女性は食べきれない人が何人か。
食後、職業遍路の人に金の納札を渡され、つきましては何がしかの御報謝を、と言われた女性の話をもとに、不愉快だったとする件の女性と、認めてもいいのではないかという尼さんのお遍路さんや、やはり非とする男性遍路の意見等々で一しきり盛り上がった。

歩数 48,118歩 (累計 1,302,211歩)
距離 31km   (累計 893.5km)
費用 3,698円  (累計 124,128円)





























四国の旅 第31日 今治市・市営桜井スポーツランドへ 

2012年08月25日 | 2011年四国の旅-1
11月12日(土) 晴 (青木地蔵堂~今治市・市営桜井スポーツランド)

○本日の参拝
第54番札所 近見山宝鐘院 延命寺  (御本尊:不動明王)
第55番札所 別宮山金剛院 南光坊  (御本尊:大通智勝如来)
第56番札所 金輪山勅王院 泰山寺  (御本尊:地蔵菩薩)
第57番札所 府頭山無量寿院 永福寺 (御本尊:阿弥陀如来)
第58番札所 作礼山千光院 仙遊寺  (御本尊:千手観世音菩薩)
第59番札所 金光山最勝院 国分寺  (御本尊:薬師瑠璃光如来)



夜はゆっくりできたが、隣の太陽石油コンビナートの稼働音がややにぎやかだった。


今日はたくさんお参りするお寺があるが、青木地蔵堂の写真を撮っておくべく、少し時間調整(フラッシュをたけばよかったのに)。


一晩お世話になった休憩所。備え付けのノートにHさん達へのお礼を書いて、


6時30分、出発。今日も、まずはJR予讃線とつかず離れずで、国道196号線沿いの歩きへんろ道を行く。


伊予亀岡から瀬戸内海。近くに見える島は怪島という名。


海を見つつ歩く。




陸地側、予讃線。


7時25分、新木島ドック遠望。


7時35分、星の浦海浜公園にて小休止。


犬の散歩をしていた中年女性と話。彼女の印象では、バブル崩壊以後、若いお遍路さんが増えた、とのこと。それ以前はあまり見かけなかった。就職氷河期で内面的な自分探しなどに関心が向かってきたのだろう、と。

8時、大西町のオオクス。樹高は25m。




その後、コンビニで昼食を買っていると、4日前に別れた兵庫君がやって来る。一しきりお互いのこの間の行動の話。彼は、今日は仙遊寺の宿坊に泊まる予定でのんびりなので、小生は先行。

9時10分、小道を行って、


第54番延命寺。


仁王門。


その先に山門があり、


さらに奥に本堂と、




大師堂。




境内にて、「へんろみち保存協力会」の男性と話。宮崎さんが亡くなり、メンバーも少ないのだが、しなければならないことは多く、いろいろと大変だ、と。小生たちは、彼らの成果を利用させてもらうだけで申し訳ない。

霊園の中を通って南光坊へ行く途中で、先ほどの「へん保協」の男性が、消えかかった道標を塗りなおしているのに出会った。南無大師遍照金剛。

畑で作業をしている男性に挨拶をしたら、「歩き始めたばかりかい。」と言われた。「何で?」と尋ねたら、「足取りが軽いから。」と。「31日目です。」と答えた。「足が出来てきた」のを実感。

10時15分、第55番南光坊。


山門は、仁王門ではなくて四天王。


後ろ側。


持国天。




増長天。




広目天。




多聞天。




ところで、四天王の覚え方は、「じぞうこうた(地蔵買うた)」。これは、以前に奈良でタクシーの運転手さんから教えてもらったもの。持(じ)国天、増(ぞう)長天・・・というわけ。

山門のまっすぐ先に本堂。


こちらは大師堂。


芭蕉句碑あり、
「ものいへは唇寒し 秋能風」。


南光坊の隣は、大山祇神社。




次の第56番泰山寺へは、実際には3kmなのだが、暑さのため長い道のりに感じた。途中でペットボトル。

今治西高校横を通る。野球部が練習をしており、スカウトらしき人もいる。また、その他の競技も盛んな様子が窓の下の貼り紙でわかる。


11時10分、泰山寺へ。


山門はなく、石段を上ると、ツアーのお遍路さんたちがいる。


本堂と、


大師堂。


11時55分、「ヘンロ小屋・今治・日高・第四十一号」にて小休止。


すぐに蒼社川に出て、土手の上を川に沿って行く。




昔は、渇水期には川の中がへんろ道だったそうだ。


さらに進み、


道標に従って左折。


畑の横の畦道を行くと、


12時20分、第57番栄福寺。


ここも山門はなく、本堂と、


大師堂。


境内の様子。


シールに従い、本日4つ目の仙遊寺へ。




土手の下に犬塚。


上は犬塚池。


池のわきを抜けると、


展望が開け、


遠くに「しまなみ海道」が見える。


13時、第58番の仙遊寺。


山門は仁王門。






ここからがまたジグザグを含む長い急な上りの参道。


途中に、「お加持の井戸」。


この石段を上れば境内。


本堂と、


大師堂。


鐘楼。


子安観音と、


千体地蔵。


山門まで下って、へんろ道へ。


五郎兵衛坂。




坂を下り、竹林の道をぬけると、池。このあたり溜池多し。


14時30分、スーパーにて食料購入。1889円。

15時、第59番国分寺。


石段を上がると、


境内。


本堂と、


大師堂。


これで、今日の参拝予定の6寺はすべて終了。

当初、今日の泊り場として、今治湯ノ浦温泉の道の駅を予定していたが、週末は道の駅も混雑するだろうと判断し、海岸沿いに適当な野宿の場所を探すことにした。さいわい、途中で「桜井海浜ふれあい広場」という公園があると聞き、そこへ行ってみることにする

15時40分、緩い坂の上り下りを経て、海岸通りに出ると、テニスコートがある。そこにいた中年男性に公園を尋ねると、「あそこはハミが出る。」との答え。「ハミ」とは毒蛇で、マムシのことのようだ。おまけに、「週末だから若い者がたむろして騒ぐかもしれない。」とも言う。はてさて、どうしたものか。
すると彼は、「四国の人間は困っているお遍路さんを見殺しにするようなことはせんよ。」と言って、テニスの壁当て用のフェンスの中でテントを張ってもいいと言う。ここなら、水もトイレもあるし、夜間は誰も来ないから安眠できるだろう、明朝9時に職員が来るからそれまでに出発すればよい、と。それは有難い。お礼として、お遍路の白衣に触りたいと言うので、くたびれてやや汚れた白衣だが、思う存分触ってもらった。
多くの人たちの親切に支えられて、お遍路の旅を続けることが出来ている。

歩数 50,322歩 (累計 1,254,093歩)
距離 32.5km  (累計 862.5km)
費用 2,427円  (累計 120,430円)

















































四国の旅 第30日 今治市・青木地蔵堂へ

2012年08月23日 | 2011年四国の旅-1
11月11日(金) 小雨のち曇 (「ホテル エコ道後」~今治市・青木地蔵堂)

○本日の参拝
第52番札所 瀧雲山護持院 太山寺 (御本尊:十一面観世音菩薩)
第53番札所 須賀山正智院 圓明寺 (御本尊:阿弥陀如来)



5時15分、今日は星の浦海浜公園までの予定で、歩行距離は40km以上、よってまだ夜が明けないうちに出発する。出発直前に、雨が降り出し、とりあえずザックカバーと傘で行く。

暗い中を、道後温泉脇を通過し、護国神社や愛媛大学の前を直進。夜明け前のため、歩きへんろ道ではなく、分かりやすい国道437号線を行き、県道19号線、県道183号線と辿って、

7時15分、第52番札所である太山寺の一の門へ。


長い参道を通っていくと、二の門の仁王門。


さらに句碑が点在する参道を上っていく。

山頭火
「もりもりもりあがる雲へあゆむ」。


7時25分、一の門から20分ばかり登って、三の門。




後ろ側


本堂。




さすが国宝だけあって、大きな威厳のある本堂である。


大師堂。


鐘楼。


境内に、芭蕉の句碑、
「八九間 空へ雨ふる柳かな」。


朝のせいか、まだ参拝客はさほど多くはない。雨は降ったり止んだりする。

8時20分、第53番圓明寺へ。雨あがる。

仁王門。


境内。


中の門。


本堂と、


大師堂。


お参りを終えた頃、団体のお遍路さんたちがやって来た。

8時55分、堀江港。宇和島以来の久しぶりの海。


海はもう瀬戸内海で、小島が点在。




この後、県道179号線を北上する。


9時10分、五右衛門堂。


江戸時代の義民の供養塔。


左手に海、右手にJR予讃線。




9時30分、旧北条市(現松山市)小川にある粟井坂大師堂。


境内に句碑。


「しほひがた隣の国へ つゝきけり   子規
 釣鐘のうなる許に 野分哉      漱石 」。


「涼しさや 馬も海向く 淡井坂    子規」。


「淋しさや 鴫さへ逃げて うらの秋  春恕」。


その後、県道を黙々と歩いていると、高齢の夫妻に「お遍路さん」と呼び止められ、「有難いお姿に接することができて感謝いたします。」と言われて、「お接待」に500円をいただく。突然のことに驚き恐縮して、「南無大師遍照金剛」。

10時30分、西ノ下大師堂。


高浜虚子の像。虚子はこの近くで生まれ、幼時を過ごした。


虚子の句碑、
「この松の下にたゝずめば露のわれ」。


「道の辺に阿波のへんろの墓あはれ」。


境内の片隅に、小さな「阿波の遍ん路之墓」があった。




小休止をとっていたところ、車から中年女性が下りてきて、「これお接待です。」と、ミカン2個、アメ1袋、それと紙包みを差し出した。「南無大師遍照金剛」。
後で紙包みを開けると、中に500円硬貨が入っていた。

11時40分、鎌大師へ。




芭蕉塚。


吉井勇の歌碑、
「腰折の小燕子花はいちらしや いとしき人のなさけにも似て」。


境内の「ヘンロ小屋・鎌大師・第27号」にて小休止。


12時5分、峠まで上ると、浅海の街が見下ろせる。


里山の中をゆるゆると下り、


12時40分、ふたたび海へ。


JR予讃線。


12時45分、今治市へ。


さらば松山市。


ここは菊間町。


海を眺めながら、国道196号線を北上。


13時、砥鹿山トンネルを抜けると、


菊間漁港。


菊間は瓦の町。


製瓦工場が続く。




さまざまな瓦。










13時30分、途中に「お接待処」があり、ミカンとカエルのお守りをいただいた。「南無大師遍照金剛」。


13時40分、番外霊場の遍照院。


仁王門には瓦。






その後、コンビニにて食料調達。657円。

14時10分、前方に太陽石油の工場。


やって来た予讃線。


14時20分、太陽石油コンビナート。




工場横手の青木地蔵堂へ立ち寄ってみる。
青木地蔵堂の前の休憩所には、地元の人らしきいずれも高齢の男性2人と女性1人がおり、男性の一人が「ここは4時過ぎに到着した人でないと泊まれない」と言う。こちらはここで泊まる気は無く、この先の星の浦海浜公園までいくつもりなので、少し休ませてもらいたい旨言った。彼らから「お接待」として、ミカン2個、バナナ、菓子パン、ペットボトルなどをいただく。また女性からは、さっき作ったばかりという草餅をいただいた。「南無大師遍照金剛」。
その後、声をかけてきた男性(Hさん)と話をする。彼らはこの青木地蔵堂を自主的に管理しているようで、休憩所には職業遍路などは泊めないのだそうだ。Hさんは、歩き遍路のための宿泊地のネットワークをつくるのが夢で、そのための行動を始めている、とのこと。そして、話はHさんのこれまでの人生の曲折について、に移り、彼は話に夢中になり、こちらも興味深く聞いているうちに、気がつくといつのまにか夕刻になってしまっており、結局、「ここに泊まって行きなよ。」ということになった。

休憩所の中は、畳敷きで、電気もつくし、布団もある。野宿の予定が、一転、快適な泊りになった。


Hさんが帰った後、夕食、日記、家にメール、用足し(地蔵堂の裏手にトイレあり)をして、眠りに就く。朝が早かったので、一気に熟睡。

と、どこか遠くから小生の名前を呼ぶ声。目を覚まし時計を見ると8時過ぎで、こりゃ寝過ぎたかと思いきや実は午後8時。入り口にHさんが立っており、「さっき火を持っていないと言っていたから、寒いだろうと思って牛丼を買ってきた。食べなよ。」と言う。さらに先ほどのお婆ちゃんからと、缶コーヒーもいただいた。そして彼は、今後の善根宿をいくつか紹介してくれてからさっと帰って行った。

今日は実に「お接待」尽くしの一日。南無大師遍照金剛。

歩数 51,821歩 (累計 1,203,771歩)
距離 36km    (累計 830km)
費用 657円    (累計 118,003円)












































四国の旅 第29日 松山市・「ホテル エコ道後」に連泊

2012年08月19日 | 2011年四国の旅-1
11月10日(木) 曇  (松山市・「ホテル エコ道後」に連泊)

○本日の参拝
ありません



今日は、休「足」のための休養日、というか市内観光日。
 
宿は、相部屋だったが、結局他には誰も来ず、ゆっくりくつろいで寝た。


7時30分、① まず近くの宝巌寺に行く。

その昔、遊郭があったというネオン坂を上っていくと、


時宗の開祖、一遍上人の生誕の地である宝巌寺。






山門をくぐり、


本堂。


きれいな庭に、句碑や歌碑などがいくつも並んでいる。


一遍上人
「旅衣木乃儀禰宜可やのねい徒具于閑身能すてら禮ぬところあるべ幾」


子規
「色里や 十歩者なれて 秋の風」


酒井黙禅
「子規忌過ぎ 一遍忌過ぎ 月は秋」


斎藤茂吉
「安かヽヽと一本の道 通り多里霊剋る 和が命奈りけり」


川田 順
「糞掃衣すその短くくるふしも臑もあらはに
わらんちも穿かぬ素足は国々の道の長手の
土をふみ石をふみ来てにしみたる血さえ見ゆかに
いたましく頬こけおちておとかひもしゃくれ尖るを
眉は長く目見の静けくたくひなき敬虔をもて
合わせたる掌のさきよりは光さえ放つと見ゆれ
伊豫の国伊佐庭の山のみ湯に来て為すこともなく
日をかさね吾は遊ふをこの郷に生まれなからも
このみ湯に浸るひまなく西へ行き東へ往きて
念仏もて勧化したまふみすかたを
ここに残せる一遍上人
於豫州寶巌寺      川田 順 」


河野清雲
「あとやさき 百壽も露の いのち哉」


道後温泉への途中、温泉裏手の信号のところに、『漱石 坊っちゃん 之碑』


8時10分~9時20分、② 道後温泉。

道後温泉本館。


パンフレットと入浴券。




入浴は4コースあり、奮発して、一番高い霊の湯(三階個室)を。1500円也。


はじめに、道後温泉の歴史と皇室専用浴室だった又新殿の案内があり、天皇が浴衣を着たままで入浴していたことなど説明された。
その後霊の湯に。神の湯(後で行ってみた)よりも小ぢんまりしており、他に入浴者がいなかったので、「坊っちゃん」よろしく湯船で泳いだりした。
霊の湯コースは神の湯にも入浴可なので、行ってみたところ、こちらには広い浴槽の壁に、「坊っちゃん泳ぐべからず」との札がかけてあった。

湯上りに、三階の個室で暫し寛ぐ。


道後名物の「坊っちゃん団子」とお茶が出る。


「坊っちゃんの間」に行ってみた。


子規と漱石の絵の額。


漱石像。


外から見た道後温泉。




道後公園へのスロープより。


振鷺閣と道後温泉のシンボルの白鷺。


9時30分、湯神社。




9時40分~11時40分、③ 子規記念博物館(観覧料400円)。




博物館に、「猫老て 鼠もとらず 置炬燵  子規」のたれ幕。


そばに句碑。
「ふゆ枯れや 鏡にうつる 雲の影」  子規
「半鐘と 並んで高き 冬木哉」  漱石


記念館の中はすいていた。
子規は35歳で死んだが、その足跡は膨大なもので、展示に夢中になり、あっという間に2時間たってしまった。明治の天才の偉大さ。

夏目漱石と子規が一緒に暮らした「愚陀仏庵」が復元されてあり、靴を脱いで上がれるようになっていた。で、凡才も上がって雰囲気に浸ってみたりした。  

「子規博ガイドシート」より絶筆三句
①「糸瓜咲て 痰のつまりし 仏かな」
②「痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず」
③「をととひの へちまのみずも 取らざりき」




記念館の近くに歌碑。
「足なへの 病いゆとふ伊豫の湯に   
 飛びても行かな 鷺にあらませば  子規」


一茶の句碑も。
「寝ころんで 蝶泊らせる 外湯哉」


11時45分、④ 道後温泉駅。

坊っちゃん列車。




12時20分、旧制松山中学跡。松山中学は、正岡子規や秋山好古・真之兄弟が学び、夏目漱石が英語教師として教壇に立った。


記念碑に漱石の句。
「わかるゝや一鳥啼て雲に入る」


昼食後、

13時20分~15時10分、⑤ 松山城。







ロープウェイ(片道260円)で本丸へ。




太鼓櫓。


戸無門を経て、


本丸の広場へ。


大天守と小天守(天守閣入場料500円)。




大天守


連結天守。


筋鉄門から天守閣の中に入る。




天守閣より。


天守の中で松山城再建の様子のビデオをやっており、ことのほか面白く、30分ほど見入ってしまった。

帰りは登山道。登山口の横に、松山藩初代藩主加藤嘉明の騎馬像。


15時25分~40分、⑥ 種田山頭火の終の棲家「一草庵」。

一草庵への案内。


手前の立派な建物は、休憩所とトイレ、左奥が一草庵。


一草庵。ここは外から見るのみ。




山頭火の句碑。
















その後、お土産、夕食以降の食料など、郵送のためのレターパックを買って、宿へ戻った。古川柳に「名物を喰うが無筆の道中記」というのがあるが、「ヘボ写真だけが無筆の道中記」なり。明日からまた歩きの日々が始まる。

歩数 計算外    (累計 1,151,950歩)
距離 計算外    (累計 794km)
費用 8,717円  (累計 117,346円)








四国の旅 第28日 松山市・「ホテル エコ道後」へ(その2)

2012年08月16日 | 2011年四国の旅-1
(その1より)

橋を渡るとすぐに、本日最後の第51番石手寺。



境内までは回廊が続く。


石手寺は、大きく立派な寺で、国宝や重要文化財がたくさんある。

仁王門(国宝)。


本堂前の「五鈷杵」という法具。


本堂(重要文化財)。


大師堂。


三重塔(重要文化財)。


「お砂撫で」。88ヶ所の境内の砂が袋に入って並んでおり、撫でると参拝したことになる? 




阿弥陀堂。


襖絵に描かれたエキゾチックな菩薩たち。








茶堂。


お遍路姿よりも観光客が多い感じ。


折から、東日本大震災の供養が目立った。




石手寺にて、一時帰宅する茨城さんと別れる。彼は、明日、坂の上の雲ミュージアムを見てから帰るつもり、と。

13時50分、道後温泉の裏手にある、「ホテル エコ道後」へ。松山市内は、観光地のためどこも宿泊は高額。ここは、『伊予 二十六ヵ寺参り』というお遍路用の無料の冊子で見つけた、ドミトリーで一泊2300円という格安の宿。明日は休「足」日にして連泊する。



暫時、室内でくつろいだ後、町に出てみる。

道後温泉。


道後温泉駅。


駅前の、坊ちゃんからくり時計。




時間になると・・・。




素泊まりのため、夕食とビールを買って、いったん宿に戻って早夕食。

その後、道後温泉の姉妹館である椿の湯という公衆浴場へ行って温まってくる(料金360円+有料ロッカー10円)。湯はすいていて、入っているのは地元の人らしきお爺さんばかりだった。
帰路、道後温泉の前を通ると、こちらは浴衣姿の男女が行き交っていた。

今日は、日中も気温が上がらず、「お接待」のペットボトルもなかなかとけなかった。


歩数 43,786歩    (累計 1,151,950歩)
距離 275km      (累計 794km)
費用 6,784円(宿代2300×2、食料1814  椿の湯370)(累計 108,629円)





四国の旅 第28日 松山市・「ホテル エコ道後」へ(その1)

2012年08月15日 | 2011年四国の旅-1
11月9日(水) 曇 (遍路宿「桃李庵」~松山市・「ホテル エコ道後」)

(その1)

○本日の参拝
第46番札所 医王山養珠院  浄瑠璃寺 (御本尊:薬師如来)
第47番札所 熊野山妙見院  八坂寺  (御本尊:阿弥陀如来)
第48番札所 清滝山安養院  西林寺  (御本尊:十一面観世音菩薩)
第49番札所 西林山三蔵院  浄土寺  (御本尊:釈迦如来)
第50番札所 東山瑠璃光院  繁多寺  (御本尊:薬師如来)
第51番札所 熊野山虚空蔵院 石手寺  (御本尊:薬師如来)



夜は冷え込んだ。しかし、星空の写真を撮ろうとしていた江東さんには残念なことに霧がたちこめて、星は見えなかった、とのこと。


6時45分、出発。宿の「お接待」で、冷凍のペットボトルとクッキーをいただいた。


始め肌寒く、カッターシャツの上に白衣を着たが、ザックを背負っているので歩くとすぐに暑くなり、半袖Тシャツになった(しかし、時々防寒袖を着用)。

同宿の三人は、それぞれに出発したが、そして、歩くペースも異なっているのだが、札所の数が多く、また札所間の距離も短いため、結局、あちこちで三人がダンゴになったり、ばらけたり、2人連れになったりした。

歩き始めてすぐの、明神レストパーク。


水・トイレありで、野宿適地。当初、ここに泊まる予定だったが、野宿が三日続いたので、風呂に入ってさっぱりして松山に、ということで昨夜は宿泊まりにした、というわけ。

7時10分、三坂峠へのへんろ道分岐。峠まで樹林の中を行く。




7時25分、峠(710m)の樹林の切れ目から松山市街を望む。


鍋割坂を下降。


この峠越えルートは、旧久万街道。




7時45分、苔むした休憩所あり。


樹林をぬけて里山風の畑の中をどんどん下っていく。


8時、旧遍路宿坂本屋。


8時5分、遍路の墓が路傍にある。石に刻まれた碑文は「天保十三寅五月三日 特實而覚信・・・」などと読めそうだが、はっきりとは分からず。どんな生涯を送った人なのか、など思いをめぐらす。


8時25分、番外霊場網掛石。


「弘法大師の網掛け石」。


8時35分、窪野町。頭上に子規の句碑。
「旅人の うた登り行く若葉かな」。


道端で、花の実を摘んでいるお婆さんがおり、聞くと、草木染に使うのだそうだ。花の名は「知らないのよ」。何の花だろう。


こちらは畑を耕すお爺さん。


9時5分、第46番札所の浄瑠璃寺へ。


門前に子規の句碑。


本堂。


大師堂。


鐘楼。


境内には様々な御利益のある石がある。

仏足石。


仏手石、というのかな。


「仏手花判」。


その他にも・・・。




霊木の大杉。


1km足らずで、


9時30分、第47番札所の八坂寺の山門。


石段を上り、






本堂。


本堂の地下に万体仏。




大師堂。


境内に、「極楽の道」と「地獄の道」の入り口があり、「地獄の道」に入ってみた。内側に、餓鬼道、畜生道、修羅道などの絵が描いてあった。


森白象の句碑「お遍路の 誰もが持てる 不仕合」。


西林寺に向かう。


畑の中のへんろ道を行く江東さん。


9時55分、番外霊場文殊院。




遍路の開祖、衛門三郎の邸宅跡といわれ、彼の菩提寺。


大きな大師像と、


衛門三郎と妻女の像などがある。


10時20分、札始大師堂。




10時30分、県森連松山木材市売場を通過。


すぐに重信川。




久谷大橋を渡り、


10時45分、今日3番目のお寺西林寺へ。


山門は仁王門。






本堂と、


大師堂。


子規の句碑。
「秋風や 高井のていれぎ三津の鯛」。


小川の石垣にアオサギ。




11時40分、第49番札所の浄土寺へ。


山門は立派な仁王門。






本堂と、


大師堂。


子規の句碑。
「霜月の 空也は 骨に生きにける 」。


白象の句碑。
「お遍路や 杖を大師と たのみつつ 」。


12時15分、コンビニで昼食を買う。

12時30分、第50番札所の繁多寺。ここの山門は仁王門ではなかった。


本堂と、


大師堂。


境内のベンチで、江東さんと食事。その後、彼は先行した。

繁多寺を辞すとき、門前にいたアイスクリーン屋のおじさんから、「お接待だよ」と、ヤクルトと飴玉を渡された。買ってもいないので恐縮しつつ、南無大師遍照金剛。

13時30分、石手川。


「へんろはし」を渡る。


スタンプには、
「霞む日や 巡礼親子 二人なり 漱石」。


(その2へ)


四国の旅 第27日 久万高原町・遍路宿「桃李庵」へ

2012年08月14日 | 2011年四国の旅-1
11月8日(火) 晴 (久万公園東屋~久万高原町・遍路宿「桃李庵」)

○本日の参拝
第45番札所 海岸山 岩屋寺 (御本尊:不動明王)



夜間、かなり冷え込む。

今日の行程は、久万公園から、まず45番の岩屋寺を往復し、その後松山方面に向かう、というもの。

6時40分、久万公園の東屋を出発。


7時、峠御室トンネル。きちんとした歩道がなく、通行注意。反射タスキが設置されており、使用する。




県道12号線を岩屋寺にむかう。


上空は青空だが、


高原のため朝霧深し。






木々はすっかり色づいている。


7時30分、県道と並行して歩くへんろ道へ。


朝陽を正面から受けると、草に置かれた露が煌めく。




もう山茶花が散っている。


途中で、一昨々日41番の龍光寺で一緒だった中原さんに再会し、話しながら一緒に行く。彼はまだ足を痛そうにしており、山道のへんろ道は苦手なので、県道通しに行くことにする。

8時25分、国民宿舎古岩屋荘の隣の休憩所。






野宿者にやさしいこんな貼り紙。


紅葉。


古岩屋の岸壁。


県道を少し行き、


古岩屋トンネルを過ぎ、


9時、赤い欄干の橋を渡って、岩屋寺の参道へ。

山門に到着。


両側に幟が立っている長い参道。


たくさんの地蔵菩薩が立っている。


写真は帰路にとっておいて、ひとまず本堂へ。


大師堂。


紅葉が鮮やか。


本堂のとなりに梯子があり途中までは登れるようになっている。






で、登ってみると、








なるほど岩屋寺。絶景でした。

中原さんは、先を急ぐ故、ここで別れる。

子規の句碑あり。
「夏山や 四十五番は 岩屋寺」


本堂の階段下にあるベンチで、昨日の兵庫君に会う。自販機のジュースを飲みながら、ここまでの彼の行程の話を面白く聞く。別れ際に、彼から、野宿地のリストを貰う。

写真を撮りながら往路を戻る。












再び山門をくぐって、岩屋寺に別れを告げる。


来るときには気づかなかった、県道わきの小川。






唱歌の「もみじ」を思い出す。

10時40分、再び、古岩屋の休憩所で小休止。子規の句碑を見に行く。

紅葉の遊歩道を行くと、


小さなお堂。


そのそばに、子規の句碑あり。
「夏の日の ひえてしたたる 岩間かな」


岩壁をみつつ戻る。


帰る途中に県道にあったお遍路のタイル絵。


朝と同じ道を通ったのだが、紅葉はいくらかくすんでいた。朝日の中で見た紅葉は見事だったが、やはり一期一会だ。




峠御堂トンネルの手前で、今度は足摺岬で別れた山梨君に出会う。お互いザックを路肩に下して、その後の足取りなどをひとしきり語り合う。ここ数日は、彼はほぼ一日遅れで、小生の後ろを歩いていたようだ。一昨日「お接待」でもらった飴の袋を進呈。「またどこかで会いましょう」。

13時10分、久万公園の東屋に戻ってくる。6時間半は時間のかかりすぎだが、今日の行程は短いことだし・・・。

13時35分、コンビニにて食料を買い、牛乳500ccを一気飲み。

13時45分、久万高原に別れを告げ、国道33号線を松山方面へ。


爽やかな青空の下、


製材所など眺めたり、のんびりである。


右手の岩山が気になって、通りがかりの2人連れのお婆さんに聞いてみたところ、昔は城があったと伝えられている、とのことだった。


14時、高殿神社通過。


ゆるゆると三坂峠への道を上り、

14時50分、桃李庵に着く。早すぎたようで、宿は閉まっており、隣のお爺さんと話をしているうちに、オーナー夫妻が帰宅。

夕刻、43番の観自在寺で別れた茨城さんが来る。茨城さんは仕事の都合で、松山までで一旦帰宅し、来年再度続行する、とのこと。もう一人の同宿者は、今年定年の東京の江東区の人。先ごろ奥さんを亡くし、足の不自由な奥さんのお母さんに、88ヶ所の印を押した納経帳を渡したくて回っている、とのこと。スポーツ感覚のランニングお遍路やオフロードバイクで歩きへんろ道を走る若者もいれば、江東さんのように亡き人の供養で回る人もいる。お遍路もいろいろだ。


歩数 39,716歩  (累計 1,108,164歩)
距離 23.5km   (累計 766.5km)
費用 606円     (累計 101,845円)













































四国の旅 第26日 久万高原町・久万公園へ

2012年08月10日 | 2011年四国の旅-1
11月7日(月) 晴 (お遍路無料宿~久万高原町・久万公園東屋)

○本日の参拝
第44番札所 菅生山大覚院 大寶寺 (御本尊:十一面観音菩薩)

(地図1)


6時10分、出発。国道379号線を東進する。

山に囲まれて霧が深いが、天候は晴れてくる予感。小田川の対岸に段丘が霧に浮かんでいる。


6時30分、和田トンネル。


7時、大瀬の集落。




7時10~20分、河口橋休憩所で小休止。

7時40分、霧、徐々に晴れていく。


小田川の清流と、


山里の家々。




7時50分、千人宿大師堂。昨日、「お接待」してくれたお婆さんの家から8kmほど。ここまでカートを押して来るのは大変だろう。


8時20分、休憩所に掲げられていた「川登筏流し」。今では、保存行事以外では見られない。


8時30分、梅津トンネル先の無人販売所には、ミカンではなく柿が置いてあった。


木材の運搬手段は、筏ではなく大型トラック。


8時35分、吉野川トンネル。


トンネル出口にある、ヘンロ小屋第38号・内子。


晩秋の気配漂う中を歩く(ン? 今日はもう立冬だったか)。


9時、「正月用の松飾を作っている」、と。




9時40分、滝ノ上の薬師堂。




10時5分、落合トンネル。



(地図2)


10時10分、国道379号線から別れ、へんろ道は県道42号線へ。




11時、三島神社。


11時20分、下坂場峠を経て鴇田峠への歩きへんろ道分岐。


11時40分、へんろ道は樹林の中へ。




11時55分、下坂場峠(標高570m)の舗装道路に飛び出す。食事休憩。


12時5分、内子町境。久万高原町へ。


へんろ道はふたたび山道に。




12時55分、「だんじり岩」。

13時5分、鴇田峠(790m)。




久万高原への下り道。


下りの途中で、川崎の宮前区から来たという一人歩きの中年の女性お遍路さんに会う。川崎在住同士で、打ち解けて話。彼女は区切り打ちで、今回で6回目。へんろ道を一人でのんびり歩く雰囲気が気に入っている、と言っていた。今日は宿に泊まるだけで、明日、44番と45番にお参りするつもりだ、とも。

14時10分、久万高原町案内板。


松山生協にて、今夜から明日への食料を購入、1749円。およびペットボトル150円。

14時15分、大寶寺総門。本堂はまだ先。


途中で、鴇田峠の下りで会った女性遍路と会った。時間が余っちゃったから44番だけでもと思って、とのこと。

14時30分、大寶寺山門。


左右に大きな草鞋が飾ってある。




石段の上に、


本堂と、


大師堂。


鐘楼と、


十一面観音像。


境内で、兵庫から来たという野宿遍路の若者と話。彼も通し打ちで、野宿の形態や野宿適地の情報など。

15時5分、久万公園の東屋に到着。今夜はここに泊まらせてもらうことにする。

ここ数日、空気が冷えてきた。行動中は、ザックを背負っているので、半袖に短パンでその上に白衣を着ているが、時々は防寒袖を着用。今日は、テントに入ってから、初めてダウンのジャケットにパンツ、テントシューズを履いた。
夕刻、澄みきった空に満月近い明るい大きな月を見る。桂浜では新月直前だったが、もう半月たったのか、としみじみ。
今日の大寶寺は44番札所。これで88ヶ所の丁度半分お参りしたことになる。


歩数 44,372歩   (累計 1,068,448歩)
距離 31km      (累計 743km)
費用 1,899円    (累計 101,239円)

四国の旅 第25日 内子町・お遍路無料宿へ

2012年08月09日 | 2011年四国の旅-1
11月6日(日) 雨のち曇  (札掛ポケットパーク~内子町・お遍路無料宿)

○本日の参拝
ありません



夜中に強い雨。吹き込みでテントもびしょ濡れになり、買った新聞紙を詰めておいた濡れた靴も結局もと通り。
相変わらず、雨が強くなったり弱くなったりするが、今日の行程は短いので、しばらく様子見。


7時35分、小降りになったので出発。


大洲の市街地へ向かって長い坂を下っていく。


木々が色づいている所もある。






8時30分、「臥龍の湯」へ。
 

足湯があり、ゆっくりしていきたいところだが、足指にも足裏にもテーピングをしているので断念。


8時40分、大洲の古い町並みへ。




「おはなはん通り休憩所」。




かつての朝の連続テレビ小説「おはなはん」のロケ地だった、とのこと。




ザックを置き、大洲の古い町並みを見学することに。


拡大。


小雨が降ったり止んだりの中、しばらく写真を撮りながら歩く。





「おおず赤煉瓦館」は、旧大洲商業銀行の建物。






その後、大洲城に向かう。

9時25分、大洲城へ。




天守閣を見学。入場料500円。


築城の様子や、




天守の屋根の鯱の複製などが展示されている。


天守閣からの眺望。流れる川は肱川。




現在の城は、地元住民の手で2004年に復元されたもので、ま新しい感じ。しかし、四層の見事な城で、宇和島城が小ぶりなのに比べるととても大きく感じられた。




川柳作者の前田伍健の句碑がある。彼は「野球拳」の創始者でもあるのだそうだ。
「観ずればみな佛性よ狩供養」
「供養して心山河の霧はるゝ」。


城を後にし、商店街でミカンを買ってから、肱川橋を渡る。


その後は雨の国道56号線をひた歩き。途中の自販機でペットボトルを買う。

11時、番外霊場「十夜ヶ橋」へ。








横たわった大師の所には、
「行き悩む浮世の人を渡さずば 一夜も十夜の橋とおもほゆ」
と御詠歌が書かれている。


お参りしていると、初老の男性が話しかけてくる。四国の「お接待」文化など面白く承り、缶コーヒーとクッキーを「お接待」される。彼は、「お接待」マニアとでもいうべきか、外国人を含め大勢のかつて「お接待」した人たちの写真のコレクションを見せてくれる。アメリカ、ヨーロッパ諸国、韓国、フィリピン、中国、台湾、メキシコなどの国々からお遍路に来ていることが分かる。で、小生の写真もその中に入ることになった。
彼の話では、今年は3.11の東日本大震災があったので、お遍路さんの数が少なく、宿なども大変だが、阪神神戸大震災の時もそうだったように、翌年以降は大勢で供養にやってくるだろう、とのこと。お遍路さんの中で東北からの人の割合はかなり高いのだそうだ。

川には大量の鯉が住み着いていて、クッキーを投げたら大騒ぎしていた。


30分ほど、雨宿りをかねて休んで、再び雨の国道56号線を歩く。

13時、内子町に入る。


13時5分、へんろ道は国道を離れ旧八日市街道方面へ。


所々泥濘んでいるが、人けのない静かな野の道を行く。


随所に紅葉している木々を眺めながら行くと、




内子運動公園の横に出る。こちらも紅葉が見事だった。




池の横を過ぎ、


高台を通って、


八日市の町並みを行く。


途中に歌舞伎の内子座があり、




商いと暮らし博物館(内子町歴史民俗資料館)がある。


肱川支流の小田川。


14時、コンビニで、今夜からの食料として、おにぎり8個買う。

14時20分、道の駅「内子フレッシュパークからり」通過。日曜日のせいかおびただしい数の車でごった返している。


雨が上がり、国道379号線の田園地帯を行く。


畑で豆の収穫をしていたお婆さんに挨拶をすると、「お接待」するから来るように言われ、もう目的地も近いので、彼女の家の縁側で小休止。
アイスコーヒー、ヨーグルト、ミカンなどをふるまわれ、いただきながらお話を伺う。
彼女は80歳になるが、へんろ道保存協会の宮崎さんとも昵懇だったとのことで、3年前に亡くなった旦那さんと一緒に、長いことお遍路さんの「お接待」をしてきている。
近くに息子夫婦が住んでいるが、この家は彼女一人なので、女性だったら一夜の宿を提供したい。
毎月21日に、この先の千人宿大師堂まで、手作りの煮物などの惣菜をカートで押して行って、みんなにふるまうのが今の生きがいだ、等々。
別れ際に、さらに飴の袋とおせんべいをいただき、感謝の言葉と一緒に納札をお渡しした。

しばらく田園の道を行く。


15時50分、長岡山トンネル。


15時55分、お遍路無料宿に到着。


宿は、言われていた通り、倉庫を利用したものだが、中は畳も敷いてあり、隅には布団や毛布の寝具も積み上げられていた。今日の利用者は小生一人だけなので、雨具や濡れた衣類などをあちこちに吊るし、手足を伸ばしてゆっくり休んだ。


歩数 30,625歩 (累計 1,024,076歩)
距離 24km    (累計 712km)
費用 1,665円  (累計 99,340円)





四国の旅 第24日 大洲市・札掛ポケットパークへ

2012年08月08日 | 2011年四国の旅-1
11月5日(土) 雨ときどき曇 (へんろ宿もやい~大洲市・札掛ポケットパーク)

○本日の参拝
第41番札所 稲荷山護国院 龍光寺   (御本尊:十一面観音菩薩)
第42番札所 一か山毘慮遮那院 仏木寺 (御本尊:大日如来)
第43番札所 源光山円手院 明石寺   (御本尊:千手観音菩薩)




目を覚ますと雨。
出発の支度をしながら、同宿の東京からの青年と話。彼は、オフロードバイクでへんろ道を走っている、とか。バイクでへんろころがしも走ってきたのだそうだが、途中で転倒し、バイクは破損、彼も軽いけがをした、と。修理してもらって今後も走るそうだが、こんな遍路もあるのか、と驚き。だが、お遍路は高齢者も多いので危険な行為はあまり賛成できないなあ。

7時10分、出発。
県道57号線を北上する。


遠くの山が雨に煙って、なかなかの風情。


途中の休憩所で休んでいたのは、一昨日会った中原さん。相変わらず足が痛そうだ。もう一人は新潟から来た高齢の人。三人は前後しつつ雨の中を歩いたが、途中から中原さんと一緒に歩く。彼は大きなビニールのジャンプ傘をさしており、菅笠よりも効果的だ、と言っていた。

8時50分、県道を離れ、田園の中に。


9時5分、第41番龍光寺へ。


ここは山門がなく、稲荷神社の鳥居をくぐって、石段を上ったところに本堂と、


大師堂がある。


左手の駐車場の横から、林の中を抜けて、県道31号線へ。

9時55分、仏木寺へ。

比較的新しい山門。


本堂は、バス遍路の女性たちでにぎやか。




大師堂と、


不動堂。


鐘楼は茅葺き屋根。


小雨の田園の中を歯長峠に向かう。




11時15分、歯長峠の登り口の東屋。


東屋には、和歌山から来たという親子連れ(母親と小5の少年)がいた。毎年少しずつ休みを取って一緒に歩いてきたが、中学に入ると部活が忙しくなるから無理ですね、と。

歯長峠への道は、200mの急登があったりしたが、そして雨のためいささか難儀をしたが、その他は黄色い落葉などで明るい山道だった。

11時40分、489mの歯長峠に着き小休止。




峠には小さなお堂があり、


秋の花が咲いていた。


下りの途中で、先行した母子に追いつき、下りきったところにある歯長地蔵の横の休憩所で埼玉から来た野宿遍路さんに会った。彼は、一週間に一回の割で宿に泊まるが、その他はすべて野宿だと言っていた。

そばの自販機でペットボトルを買う。

その後は、県道29号線をえんえんと辿って明石寺へ。

13時40分、明石寺へ。


山門。




石段の上に、


本堂と、




大師堂。


境内には落葉が敷き詰められ、


古木がいくつもある。




14時10分、明石寺を下って、歴史保存の宇和文化の道へ。








14時50分、新しい休憩所で小休止。水で喉を潤し、「お接待」のミカンをいただいた。


その後は宇和島街道の国道56号線沿いを行く。

15時20分、コンビニで、今夜の食料および新聞を買う。

鳥坂峠の登り口に休憩所があり、そこに泊まろうと考えていたが見当たらず。

16時30分、鳥坂トンネル(1117m)へ。


16時45分、トンネルを抜けると大洲市。


17時20分、少し下って行った所にあった札掛ポケットパークに東屋を発見し、今夜はここに泊まらせてもらうことにした。


明日予定のお遍路無料宿に宿泊利用の連絡をして、すぐに就寝。


歩数 47,682歩(いきいき歩数)(累計 993,451歩)
距離 39.5km         (累計 688km)
費用 889円           (累計 97,675円)