きのうのブログに、母は体が自由ではないので・・などと、体が不自由な人は、夕食の時間など、どうでもいい・・ともとれるようなことを書いていたことに気がついて、あぜ~んでした。恥ずかしいです。すみません。
母のことを考えていて、まあ、母の場合はしょうがないのかなあ・・との思いがあったのだと思います。
もちろんのことですが、体が自由であろうと不自由であろうと、施設で暮らしていても、人間らしい生活時間と空間と、関係性が保たれていることが、大事なことです。
その部分は、削除して書きなおしました。
意識の中に、自分を、自分達を(家族を)卑下する気持ちがあるのかも知れません。無意識の中の自己肯定感のなさが、こんな時にでてくるのでしょう。自信のなさのあらわれかもしれないなあ・・と思ったりしますが、人権感覚には鋭敏でなければ・・と思っています。恥ずかしい事をしました。