加代子のつぶやき

毎日の生活で思うこと

2つの事件から

2008-01-25 23:29:18 | Weblog

 週刊誌は、新聞の見出しで事足れり、と思っているのですが、きょうスーパーのレジ前で、週刊文春を見つけで、思わず買ってしまいました。八戸の少年の父親の告白が出ていたからです。

 少年がどのような家庭環境で育ったのか、少しは想像できる内容でした。両親の離婚、父親の逮捕、母親のお酒と男性関係・・。施設での生活・・・。少年にとって、辛いこと、悲しいこと、嫌なこと、一杯あっただろうと想像します。

 この父親は、息子の死刑を望むと言っています。この父親も、人に愛されたことも人を愛したこともない人なのでしょう。人間は、愛されたことが(愛されているということが)伝わらなければ、人を愛することができない・・と私は思っています。愛している”ふり”はいくらでもできますし、愛している(愛されている)と”錯覚”することもできますが、自己愛以上の、他を慈しむ気持ちは、愛された実感がないと、難しいのではないかと思っています。たぶん、母親も苦しい育ちをしてきた人かもしれません。
   この両親の子どもとして過ごした18年の歳月は、暴力そのものだったのではないかと、おもっています。

 きょう、藤里町の畠山鈴香被告にも死刑の求刑がありました。検察側の言い分は、ニュースで聞いていて違和感をもちました。県警がもっと早くにあやかちゃんの事件を事故ではなく、殺人事件だときちんと捜査をしていたら、第2の事件はふせげたのに、畠山被告を「殺意があった、殺意があった」と言い立てて、極悪人に仕立てたいみたいで、警察の責任転嫁ではないかと思いました。

 殺人者をけっしてかばっているのではないのです。人間の心には、いつでも善と悪が住んでいると思うのです。それが、他人事として、簡単に死刑・・としてはいけないと、事件は教えてくれていると思うのですが、うまく言えなくてもどかしいのですが、
 畠山被告という人も、人からほんとうに愛されたことのない人に思えてならないのです。これまでの人生で、そういう人に出会わなかったことがざんねんです・・。