ケイタくん、
「ジッチャン、ロスが見たケイト夫人は幽霊だったのですか。」
ジッチャン、
「ジッチャンにもよく分からないんだ。
ロス博士の自伝的な書物「人生は廻る輪のごとし」の中にある場面を
イメージし、ロスが感じたとおりに書いたのだが、幽霊としか言いようがない
ね。
ロスがウソを言う必要もないし、助手のロバートも伝言を書いたメモを
確認し、ケイト夫人の字に違いないことを確かめているから、ロスが白日夢
を見たともいえないんだ。
そこで、ここでは認識するということが大事になってくるんだ。
「本当に起きた事であっても、人間がそれを認識しなければ、無かったのと
同じだ。」
という見解があるんだ。
たしかに、私たちには、いま地球の裏側で起きていることを認識すること
はできない。テレビや通信手段が発達して、現代人はそこに行かなくても、
起きている事を認識できると思っているが、ただ映像を見ているだけなんだ。
事が起きた場所、時間、影響を受けている人の感情まで、認識することは
できないのだ。
この場合、
ケイト夫人と会ったのはロスだけだから、ロスはそれを認識したワケだ。
私たちかロスが認識した情報を生かして、なんらかの価値をつくるとすれ
ば、ロスを信じるしか方法はないんだよ。
そんなバカなことがあるか。
と否定すれば、ロスの経験は無かったことと同じなのだ。
ちょつと話が難しくなったようだな。
仏教も釈迦が悟った生命の真理を、私たちが直ちに理解することはでき
ないが、釈迦を信じて仏教を実践していく内に、
釈迦が悟ったと同じことを認識できるようになるのだ。
それには先ず釈迦の言葉(法華経)を信じることから始まるのだ。
信じなければ自分で認識することはできないから、真理があったとしても
無いのと同じことなんだ。
「 私たちが生まれてきたのは、私たちは何者だ!生命とは何か!」
を悟るために生まれてきたのだ。
と仏教は教えているのだよ。仏教の話になったが次回は朗読に戻ること
にしょう。
つづく