山本さん、
「先生、さっき日蓮仏教の広宣流布と言われましたが、
釈迦の説いた仏教と日蓮大聖人の仏教に違いがあるのですか。」
ジッチャン、
「山本さん、良い質問をしてくださいました。
釈迦が説いた法華経(仏教)と、日蓮大聖人が説いた法華経は、
表面上は同じ法華経ですが、根本的な違いがあるのです。
どんな違いがあるかと言いますと、
釈迦の法華経は、すべての人に妙法蓮華経という仏界の生命があり、
その生命に具わる智慧と慈悲力は、想像することが出来ないくらい広大
で無辺である。
と仏界の生命を褒め称えた言葉で満ちています。
法華経は六万九千余の文字で書かれていますが、一字一字が仏の生命
を賛嘆する言葉であると言われるほどです。
法華経を万病を治す薬にたとえると、釈迦が説いた法華経は薬の効能
書に当たります。
凄い教えだ! すばらしい! といくら褒めそやしても、それで自分の
病が治るワケではありません。
一方、日蓮大聖人の法華経(唱題行)は薬そのものです。
薬の効能を知らなくても、効能が分からなくても、飲めば病が治るのです。
たとえば、生まれたばかりの赤ちゃんが、母親の乳の成分をしらなくても、
乳を飲めば栄養になつて育つようなものです。
だから日蓮大聖人の仏教は、仏になるタネを植える下種仏教だと言わ
れるのです。
釈迦仏教はすでに法華経を聞いたことがあり、仏になるタネを植えてあっ
た人たちが、仏界を現す効果があるのです。
これを脱益(ダッチャク。収穫するという意味)仏教と言い、下種仏教とは
違うのですよ。
ちょつと長くなりましたが、私の言わんとするところを分かっていただけ
たでしょうか。」
山本さん、
「先生、よく分かりました。
そうしますと、私たちは日蓮大聖人の仏教を実践して、仏になるタネを植
えれば良いということですか。」
つづく