叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 人間は何者だ、どこから来たのか 四

2008年01月14日 | 人間は何者だ、どこから来たのか

 ご参考、

無限の力を持ち、永遠に続く生命を悟った釈迦の言葉をいくら書いても、
完全に理解してもらうのは難しいと思います。

なぜなら生死の枠の中( 九界の境界 )の中にいる私たちは、
生死を超えた仏界の境界を想像することができないからです。よほど特別
な能力を持った人でないと、頭では分からないと思います。


それでは特別な能力を持たない一般人である私たちには、釈迦の悟った
境界になれないのか、というとそうではありません。
日蓮仏法では、南無妙法蓮華経と唱えるだけで、己心の仏界を現すこと
が出来ると教えています。

題目を唱える勇気さえあれば、だれでも出来る実践法です。


 本文

普通の人間に 最高の仏( 真理を悟った人 )の境界が
具わっている と言ってもなかなか信じられないのが常だ

だが仏界を現した 先哲の教えを信じ
教え通りに実践すれば ( 南無妙法蓮華経と唱えること )
必ず仏界の境界が得られるのだ

仏因と仏果が同時だから やればだれでも
すぐに確証が得られる
もともと仏の境界が 人間の本性だから
利己的な小我の自分を超え 我即宇宙の大境涯となり

なにも恐れない 大安心で
自分も他人も共に喜ぶ 大歓喜の境涯になれるのだ

もともとそうなるように 設計されているのが人間なのだ

「他のいきものを 幸せにするために進化したいきものが人間だ」

これが最新の脳科学者の見解だ。

続く

 

 

 



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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (沙於里)
2008-01-14 10:24:12
この辺は今日も冬らしい寒さです。
今日のお話、「他のいきものを幸せにするために進化してきたものが人間だ」の続きが早く読みたいです。。。

だって、今の現実はちょっと違うような気がして・・

またお邪魔します♪
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こんばんは。 (katu)
2008-01-14 17:54:47
沙於里さん、こちらも寒いですよ、今年一番ですね。

風邪をひかれないよう気をつけてください。特に夜更かしは要注意・・
今日の猫の絵と書、とてもステキだと感じました。

私のブログの続きはコメントでお答えしますが、とりあえずご返事まで。

またお伺いします。おやすみなさい。
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追加です。 (katu)
2008-01-15 16:32:15
沙於里さん、こんにちは。
ちょつと長いのですが昨日の追加です。

世界ベストセラー.死の瞬間.を書いたキュプラー.ロス博士は、「いままで考えていたような死は存在しない」と主張し、世界中を啓蒙して廻りました。

そのせいか、世界の大学が、今までタブーだった死の問題を研究するようになったのです。
日本ではF大学が先駆的存在で、そこの主任の精神科医の言葉が、私が引用した言葉です。

進化とは精神の改革を意味し、自分のことだけに汲々
していた人間が、他者の幸せのために尽くすようになる。
利己から利他えの進化を、仏教では境涯を高めるといいます。境涯によってものの見方、考え方に差がでるので、境涯を高めることが仏道修行の目的なんです。


尚、進化は一律に、横並びで達するものではないと思います。
先駆者がいて、それにに続く人がいて、しまいには数の多い方につく大多数の人たちが、それにつながります。

今、一場面を見ればご指摘のようにも見えますが、深層は進化の方向に動いていると思います。

適切な答えになったかどうか心配ですが、次のブログを読んでください。
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追加の追加。 (katu)
2008-01-15 16:43:55
境涯を高めただけ、自分の幸福は拡大していきます。
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ふむふむふむ・・ (沙於里)
2008-01-18 11:25:32
お話を伺っていて、ふと最近気に入って聞いている小田和正さんの歌を思い出しました。

♪多くの 過ちを 僕もしたように
 愛する この国も 戻れない もう戻れない
 あの人が そのたびに 許してきたように
 僕は この国の 明日を また思う

 広い空よ 僕らは 今どこにいる
 守るもの何もない あの頃へ 帰りたい

 生まれ来るこどもたちに何を語ろう
 
 君を愛する人を守りたまえ
 大きく手を広げて こどもたちを抱きたまえ

 ひとり またひとり 友は 集まるだろう・・

 真白な帆をあげて 旅立つ舟に乗り
 力の続く限り 二人でも こいでゆく
 その力を 与えたまえ
 勇気を与えたまえ ♪

境涯ということばは、書の世界でも何度か作品として見たことがありましたが、そんな意味だったんですね。
時々、いろんなことを諦めたくなりますが、やっぱり信じてとぼとぼと歩いて生きたいなあと思いました。
ありがとうございます



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