叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 若い人の仏教教室 百八

2008年03月18日 | 若い人の仏教教室

ジツチャン、
「題目の力は、たとえばこうも言えるのだよ。
一粒のドングリの実が見上げるような樫の大木になったり、
地球が秒速二十キロの猛スピードで、太陽を廻る軌道を廻ったりするが、

軌道が太陽に近すぎると地球は灼熱の焦土となり、
遠すぎると零下何百度という凍土になってしまうのだ。ちょうどよい位置を
キープして廻っているのだね。

樫にしても地球にしても、ナゼそうなるのか。説明できる人はいないが、
理由は分からなくても何十億年も、それを続けているんだ。そのおかげで
私たちもこうして生きていけるのだよ。

題目にナゼ、それに匹敵するほどの力があるのか。
説明することは出来ないが、自分でやってみると生命力と智慧が満ちあふ
れてくるので、不思議に思うんだよ。
 これはねぇ、ケイタくん。

説明は困難だが、仏界のいのちが自分にあることを信じて、
題目を唱え。 その結果事実であるということを自分でつかむ以外に分か
る方法はないんだよ。


日蓮大聖人は、

「百千万年くらき所にも、ともしびを入れぬれば明かるくなる。
我等衆生、悪業、煩悩、生死果縛の身が仏性の因によりて即身成仏する
こと疑いなかるべし」  (趣意)と仰せだ。


悪業、煩悩。 生命にしみついた悪い習慣と、貪る、怒る、愚かの三毒が
盛んなこと。
生死果縛の身。 仏性を覆い隠す無明のため迷いの生死を繰り返してい
る衆生のこと。
仏性の因。 仏界を現す原因のこと。
即身成仏。 その身そのままで仏界のいのちを現すこと。


題目を唱えると、無明の闇に閉ざされていた我等の仏性が現れて、
仏界の境涯(二度と不幸にならない幸福境涯のこと)になることは疑いない
ことなのだ。と仰せられているのだ。
だからケイタくん、
ジッチャンが言うことのゼンブは理解できないと思うが、とにかく理屈抜きで
題目を唱える修行をすることだ。そうすれば自然に分かってくるようになる
から・・・」

ケイタくん、
「ジッチャン、分かりました。ボクはゼツタイその通りにやってみます。
また分からないことがあったら教えてくださいね。」

つづく


 



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