叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 「新・仏教教室」 二十三

2008年08月18日 | 新・仏教教室
 残暑お見舞い申し上げます。

 前回の補足

 誤解を招かないために言っておきますが、死を恐れない人というのは、
生命の真実( 真理 )を悟って、生も死も生命本来が現す姿であるから、
恐れることも忌むこともないことを知っている人で、決して命しらずの暴れ
んぼーのことではありません。

 人間には死を恐れる本能がありますから、
事故を未然に防いだり、病気を早く発見して健康を取り戻すなどの効果
もあります。
ですから死を恐れることがいちがいに良くないとは言えないのです。

 要は真理を覆い隠している無明を除いて、
苦悩の元である迷いをなくすことが大事なのです。  以上


ジッチャン、

「仏教は人間が幸せになるためには、生命に本来具わっている仏界の命
を現せばよいと教えていますが、
その仏界の命を覆い隠しているのが生命えの無知で、迷いとも無明とも
言います。

 仏教を信じ、仏道を修行するのは、この無明をなくして、
 仏界の命を現すことですが、

日蓮大聖人は次のように言われています。


 「 一念無明の迷心は磨かざる鏡なり
   これを磨かば必ず法性真如の明鏡となるべし (中略)

   日夜朝暮に又おこたらず磨くべし
   いかようにしてか磨くべき、ただ南無妙法蓮華経と
   唱えたてまつるを磨くとはいうなり 」
   
    ( 一生成仏抄より抜粋 )

 注一 鎌倉時代の鏡は銅製だったので、いつも磨いていないとサビて
     写らなかった。

 注二 法性 真如 どちらも生命の実相(実の姿)である真理のこと。

 つづく   

  


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