叙事詩 人間賛歌

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人間賛歌 信仰に生きる 三十

2009年07月17日 | 信仰に生きる

 転機 二 *

 創価学会の池田会長が門真工場を訪ねる半年ほど前のことでした。
松下相談役は池田会長に会うために、病院を抜け出して富士山の大石寺
を訪ねました。

法華経総講頭の池田会長が大石寺に逗留しており、この機会を除いては
面会できなかったからです。
病床の相談役が富士山に行くことに、周囲は大反対しましたが、

 「池田先生がおられるところなら、たとい海外だって会いに行く」
という相談役の強い意志を止めることが出来なかったのです。

外国のえらい人だって、総理大臣だって、相談役に会うために病院まで、
訪ねてくるのに、なにも好きこのんで聞いたこともないような人に会うため
に、わざわざ富士山まで行くことはないだろう。

 「カゼでもひいて、病気が重くなったらどうするのだ。」役員たちは心配の
あまり口々に話し合っていました。

「いったいだれが、病人の相談役を富士山まで引っ張り出そうとしている
 のだ。」
松下相談役が池田会長に会いたいと言い出して、その橋渡しをしたのは
M電送のK社長でした。

K社長は創価学会の会員だったのです。
松下に入社したとき、相談役から、宇宙根源の法とでもいうものがあって、
それに従っていけば人間は強くなり、何ごとでも出来るのだ。と教えを受け
た松下と同郷の青年だったのです。

 松下からつぶれかかった会社の再建を命じられ、それが機縁で法華経
の信仰をするようになり創価学会に入ったのです。再建を命じられた会社
は見事に立ち直って、世界一のファクシミリ会社・M電送に育ちました。


 この日池田会長は、松下相談役が病をおして富士山まで訪ねてくれた
ことの答礼と、病気見舞いをかねての訪問でした。雲ひとつ見えず快晴の
日で、風もなく病身の相談役をいたわるような天気でした。

相談役は自ら池田会長を迎え、子供のように喜んで先頭に立って工場内
を案内しました。

このことがあってから不思議なことに相談役は病気も快癒し、長いあいだ
自宅がわりにしていた病院を退院しました。
学会員であることで、松下のグループ内から白い目で見られていたK社長
の立場も、この日を境に一変しました。

次回に続く   

  



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