叙事詩 人間賛歌

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人間賛歌 信仰に生きる 二十六

2009年06月06日 | 信仰に生きる
 破局 一 ( 私が信仰に入ったワケ )

昭和五十年代の初頭、文部省の隣にある虎ノ門の大ホールで、同省後援
の「小さな親切運動」全国大会が開かれました。

 会場では、日本のドンと呼ばれた船舶振興会のS会長の張りのある声が
響いています。よく耳にする、

「地球は一つ、人類はみな兄弟姉妹」という趣旨の話から始まって、
両親を大切に、 兄弟仲良く、 友達を大事に、 
小さいことのようですが、小さいことの積み上げが、やがて人生を大きく
開いていくのです。

どうか「人を愛し、人を信じ、人に尽くす」を掲げる小さな親切運動を全国に
広め、明るい社会を築くために協力して努力しようではありませんか。

そのために必要なお金でしたら、不肖ですが私がいくらでも用意させてもら
います。

 と激励して結びました。

小柄な体のどこにこんな迫力があるのか、と思わせるような声でした。
文部大臣の祝辞から、M銀行の頭取、N通運の社長など、実行委員のお祝
いの言葉が続いています。

 私は壇上で日本のドンの横に座り、次々に続くスピーチを聞いていました。
四十歳の最年少でしたが、元東京大学学長 茅 誠司さんが会長をしてい
る小さな親切運動の実行委員待遇として、お歴々の末席に加わっていた
のです。

私が経営している広告会社の会長であるK先生が、
小さな親切運動の実行委員をしていた関係で、私も実行委員待遇になって
いたのです。

K先生は私と同じO県人で、学校の先輩でした。政治家で防衛庁長官、
国家公安委員長などの公職を退いて、政界を引退していたのを私がお願
いして広告会社の会長になってもらったのです。

勲一等の勲章の受章者であるこの先生が私の誇りだったのです。
酒を飲むと、自分がもらったのでもないのに勲一等の先生の自慢をするの
が常でした。

脱サラをした当時、出先で終電に乗り遅れ、タクシーに乗るカネもなく、
線路伝いに雪道を歩いて帰ったような自分が、こんな立派な先生を会長に
戴くまでになり、この国の指導者たちと一緒に壇上に座っているのが夢の
ようでした。

つづく