生命 *
太平洋戦争のさなかの昭和十九年秋、長身の男が東京中野にある刑務
所の独房の中にいました。創価学会二代会長 戸田城聖先生でした。
後年、会員から会長先生と呼ばれ、なん百万人もの人たちから父とも師と
も慕われた人物です。
無謀な戦争に反対し軍部の命令に従わなかったために、治安維持法違反
の罪で恩師や仲間とともに投獄されていたのです。
仲間は信念を捨て、軍部の命令に従うことを条件に釈放されました。
信念を貫き、残ったのは年老いた師( 牧口常三郎先生 )と自分だけになっ
ていました。
十数年間法華経の教えを学び実践してきた長身の先生は、
「日本は神国であるから戦争に負けることは絶対にない。神の助けを
得るために日本国中の各家庭で天照大神の神札をまつり、戦勝を祈
らなければならない。」
という軍部の命令を間違いであると指摘し、神札を受け取ることを拒否し
たのです。強大な権力を持つ軍部に反対するのは勇気のいることでした。
その日も、
長身の先生は独房の中で法華経を読んでいました。難解といわれるこの
経をゼヒ解読すると固く決意していたのです。
( 小説 人間革命を参考にしました ) *
人は長いあいだの習慣で、物事を別々に区別して考えるようになりまし
た。習慣は「そうである」と始から思い込んでいて、それが間違っているの
ではないかと疑問に思ったり、別の視点で見直してみるということもなく続
いているのです。
表と裏、昼と夜、上と下はどちらも単独では存在しません。
表があって裏がないとか、夜があって昼がないということはあり得ないこと
です。もともとが一つの物の現れ方の違いです。
表であることは、裏は隠れただけで無くなったのではありません。裏が出
れば表は隠れて見えませんが、無くなったのではないのです。
生命についても身についた習慣で、生まれて死ぬ、と思い続けてきました。
生まれることも、 死ぬことも、
表と裏、夜と昼と同じように、生命の現れ方の違いで、
生が現れれば、死は隠れますが、死が無になったのではありません。
死が現れれば生は見えませんが、生が無くなったワケではないのです。
つづく