叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 「新・仏教教室」 二十二

2008年08月12日 | 新・仏教教室
ジッチャン、

「山本さんから三毒のほかには心の病はないのかと、指摘がありましたが、
心の病は今まで言った三毒なんか軽いほうで、もっと重い病がいくつもあ
ります。

 四百四病(すべてのの病ことで、金欠病もこの中に入る)
と言われるくらい多くの病がありますが、根本的な重病を治すとあとは枝葉
みたいなものですから、たいした問題ではありません。」

山本さん、

「先生、四百四病の中に金欠病も入ると言われましたが、金欠病も本当に
治るのですか。
 それと、その根本的な重病というのはどんな病なのですか。」

ジッチャン、

「山本さん、
 はじめの質問の答えです、金欠病(貧乏病)は治ります。
ちょつと時間はかかりますが、治ることに間違いありません。

 それも根本的な病を治してからのことですが・・
次の質問の根本的な重病とはなんですか、についてお答えします。


仏教ではすべての病の根源になるものを、
「元品の無明 ガンポンのムミョウ・生命にもともとある迷いのこと」 と捉え
ます。
 元品の無明、生命にもともとある迷いといってもイメージしにくければ、
「死を恐れる心」 とイメージしてください。

どんな人でも死を恐れます。自分は死ぬことなんかこわくないと言っても、
イザその時になると臆するのが普通です。

 元品の無明はすべての人の生命にありますが、これが人間のあらゆる
苦しみの根源であると見抜いたのです。関係ないようですが貧乏病もこ
れが一番の原因なのです。

そこで元品の無明=死を恐れる心はどこから来るのかと言いますと、
生命の真実( 真理 )に無知であることから生じます。
 明と暗、善と悪が表裏一体であるように、
 生命には真理を悟る智慧( 法性 )と、
 真理を知ろうとしない迷い・無知の両面があります。

真理を悟って死を恐れなくなった人を覚者・仏といい、
真理を知らず死を恐れる衆生を凡人(迷っている人)と、仏教では言うので
す。

つづく