叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 若い人の仏教教室 百七

2008年03月15日 | 若い人の仏教教室

ジツチャン、
「日蓮大聖人ご自身も題目を唱えることを修行の根本にされていたのだ。
その上で、
法華経.方便品第二や如来寿量品第十六を読まれていたことが、諸御抄
に書いてあるのだよ。



方便品第二  だれの生命にも仏界の生命が具わっていることを明かした
経典。
如来寿量品第十六  仏界の生命は無始無終で永遠に続くことを明かした
経典。

題目を唱えるのは簡単ではないか、と思うだろうがこれが簡単なようでなか
なか難しいのだよ。
なぜかというと、私たちの生命には仏界という最高の生命があるが、
それを覆い隠しているのが無明(生命の真実を知らないこと)という迷いなのだ。
無明は生命が本来持っている、死を恐れる性質が死を直視することを避け
るために起きたり、
長いあいだ生命活動を続けるなかで、善くない習慣が・悪業とも言うが・・
しみついて仏界が現れるのを邪魔するのだ。

だから題目を唱えようとすると、
思いもしなかった妨害が自分の心や、まわりの人の反対というかたちで
現れてくるのだ。

題目を唱えることは難事中の難事といわれるくらい難しいのだよ。」

ケイタくん、
「シッチャン、題目を唱えるとナゼ、その仏界のいのちというのが現れるの、
そこのところがボクにはよく分からないのだけれど。」

ジツチャン、
「ケイタくんなかなか鋭い質問だね。
だがこれにうまく答えられる人はいないのだよ。

日蓮大聖人は、空をとぶ鳥が鳴くと、カゴの中の鳥も鳴いて外にでようと
するように、南無妙法蓮華経と呼ぶと、
自分の中にある南無妙法蓮華経(仏界のいのち)が呼ばれて外に出ようと
するのだ。と仰せなのだ。

題目を唱えるとナゼ出るのか分からなくても、仏界という強い生命力が実
際に湧き出すんだ。
頭もよくなるんだよと、わが師は言われていたがね。
 それを自分で実感できるのだよ。」

続く