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明るい(?)未来≪008≫ 腑に落ちないこと

2014-03-30 13:27:44 | 思いもよらない未来<的>な
腑に落ちない、という言葉がある。

納得がいかないという意味だが、たくさん腑に落ちないことはある。

個人的な営為の中でのそれは、まあ、割り勘の時に「少しだけ俺の割り当てが多くないか?」程度のことで、特段に不思議がることもなく、おおむねすぐに忘れても何の差しさわりもないものだが、社会的なあるグループに属する場合の「腑に落ちなさ」は、そうはいかない。

腑に落ちないという言葉の意味するニュアンスに「騙されているのでは?」とか「不条理だ」とか「訳が分からない」といった部分がある。

突き詰めていっても、その先はあやふやになり、漠とした不明感だけが残る。

その最たるものが「ものの価値は誰が決めているのだ?」ということだろう。

例えば、北朝鮮という国家は、核開発というという一点でも国際的なルールを無視し、あまつさえ破るまでする犯罪国家だと、誰かが言う。だがよく考えると、核開発の善し悪しは別にして、核開発そのものはすでに多くの国が行っていて、兵器として使用した国さえもある。いまさら誰が開発に手を染めようが、四の五の言う権利などないはずだ。

兵器としての核を開発することの犯罪性は、いったい誰が言い出したことなのだ? と疑問に思っても不思議ではない。また犯罪者扱いに抗議することだって自由ではないか? と北朝鮮が思ったとしても決して悪くはない。

誰が核開発は犯罪であると言い出したのか? その一方で既に存在する兵器としての核を保有している国に、誰も異を唱えない。抑止力などというおためごかしが先行グループには通用する。「1万発は多いから、少し減らそうか?」などという誤魔化しが、まるで英断のように受け取られる。1発も1万発も、使われる側からすればなんら変わらない。

簡単に言えば、核という非常に大きな利権を独占したいグループが、後発のグループを牽制、あるいは恫喝しているという風にしか思えない。だが、誰が言い始めたことなのか、判然としない。世界的なコンセンサスだと思われている。

だが、そのコンセンサスそのものも国連という一つのグループ内のモノでしかなく、別のグループがあれば、何をどう判断するかわからない。

かつては、枢軸国と連合国、共産主義国家群と民主主義国家群という対比構造が存在し、異なる価値と権益を戦わせた。

それが、単一の構造へとシフトし、そこに乗り遅れる少数の国家を個別に叩いてきているのが、この30年の世界の歴史だ。

実はこの構造は、核という極端に思える例え以外でも、いくらでも出てくる。食糧、二酸化炭素、通常兵器、通貨、交易(TPPなど)、宇宙開発、新薬……腑に落ちないことだらけだ。

この腑に落ちなさの正体は、おそらく以前から指摘している通り個人に行きつくのだろう。世界規模の利権を持つ個人に。

その正体が明かされれば、腑に落ちなさは解消する気もする。

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