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東京「昭和な」百物語<その36>原宿

2018-03-19 23:02:04 | 東京「昔むかしの」百物語
以前にも、原宿に関しては昭和30年代の様子を書いたが、原宿が一番原宿らしかった時代は、1970年代の終わり頃、一番変化が大きな時だったかもしれない。

1970年代の終わり頃には、舘ひろし、横山剣などもメンバーだった「クールス」が246から少し入った地下(だったと記憶しているが間違いかもしれない)のバーだったかカフェだったかの「レオン」を拠点にブイブイ言わせていた。まだバイク仲間の頃には岩城滉一もいた。

1980年になると、休日になれば表参道は歩行者天国になり、竹の子族だのローラー族などが現れ始めた。竹の子族の最盛期は1985年頃だったか。

原宿が音楽と切り離せない町になったのはこの頃だ。

クールスにはロック雑誌の取材で面通しをした。レオンまで足を運んだ。

竹の子族が表立って取り上げられた頃のボクはすでに大人で、竹の子族は横眼で眺めていた。

一世風靡が登場する頃は、まさに昭和の終わりが見え隠れし始めた頃。

原宿は、それまでの明治神宮の参道という、それなりに静謐としたイメージから、真反対の町へと変貌したのだ。それはまさに昭和から平成への移行と丸被りしているとボクは思う。

周辺も「〇〇通り」などというネーミングを施されたおしゃれストリートが何本も誕生していった。

キラー通り、とんちゃん通り、竹下通り、骨董通り、キャットストリート……ちなみにキャットストリートは、元々澁谷川と呼ばれたほぼどぶ川だった。そこに蓋をして道にしたものだ。

ボクが持つ原宿への印象で変わらないものと言えば、キディーランドやオリエンタルバザールはもちろんだが、明治通りの交差点を原宿駅方面に向いて左にあるビルに掲げられていたジーンズ「LEE」の看板だろうか。今はもうないのだろうな。

それでも、一歩裏道に入れば、細い入り組んだ路地でつながる古い町並みが残る原宿。確か銭湯もあったはずだ。

若者の街のようではあるが、実は戦前から続く古い顔を持つ町でもあるのだ。
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