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普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

三味線 吉原ときて、思い出した名前一つ 「弾左衛門」

2013-10-10 15:55:21 | こんなことを考えた
三味線 吉原ときて「弾左衛門」という名前を思い出した。

昔読んだものの本に「・の棟梁」というようなことが書いてあった。

「・」とは、江戸期の士農工商という身分外にあった「人に非ざる」「穢れ多き」人々という存在。それは決して自分からそうなりたくてなったのではないことは明らかな、あってはならない被差別的存在として歴史の裏側に刻まれているのだが、「」は武家社会につきまとう死にまつわる穢れの部分を引きうける者として鎌倉期から存在し、社会の裏側に押しやられた人々と言われる。「」は、同じように身分制度外の人々、つまりは「政」にまつろわぬ、犯罪者も含めたサンカといった漂泊の民などを指す。

その被差別的存在を、日本というくくりの中で支配したのが「弾左衛門」と言われているのだ。

その「弾左衛門」の住まい、というより「・」の統括組織が、遊郭「吉原」のあった浅草・浅草寺の北側一帯「千束」から真東に当たる、「今戸」の辺り、「山谷堀」沿いにあったと言われている。

この話を、何の本で読んだか定かでないのだが、それ以来どこか気になっていて、いつか吉原から「弾左衛門」のいたといわれる辺りを訪ねてみたいと思っていたことがあった。

それが、実に土曜に三味線の音を聞いてから、そのことが妙にボクの中でクローズアップされているのだ。

幸い、そう思いながらもほとんど訪れることもなかった下町一帯を、思えば最近は仕事で頻繁に訪れているではないか?

良きチャンスを狙って、近々に訪ねてみようと思った次第。

そうしたら、また探訪記でも書いてみよう。


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