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アメリカ映画

2014-05-20 23:16:44 | こんなことを考えた
2008年に、ある出版物に書いた、アメリカ映画へのレクイエム。

アメリカン・ニューシネマ
ROLLING 60's & 70's


 1950年代、日本人にとっての映画と言えば東映の時代劇だった。毎週毎週新しい作品が2本ずつ系列の映画館で上映されていた。日本映画の一番良い時代。

 洋画は、なだれ込んできたハリウッド製アメリカ映画のほとんどは戦争モノと西部劇で、どちらかといえばイタリア、フランスを中心としたヨーロッパ映画が日本人の心象にマッチしていた。

 そうこうするうち、フランス映画の中にヌーヴェルヴァーグと呼ばれる潮流が誕生してきた。イタリアのシネマ・ヴァリテなどを起点として世界各地で同様の、新しい映画作りの芽が噴出していたのだが、フランス映画の影響が日本では顕著で、大島渚や羽仁進などの若き才能が日本のヌーヴェルヴァーグともてはやされたりした。

 この流れは、フランスの思想家=サルトルなどが唱えた実存主義などとも無縁ではない。

 第二次世界大戦後の、国家から個への価値転換に伴う精神的柱を模索していた中で、勧善懲悪といったドラマトゥルギーが崩壊して、人間存在を見つめなおす意味合いとしての哲学を背景に持った映画が次第に人々に受け入れられていったのだ。

 その流れ、映画制作の基盤となるテーマ設定などがアメリカにも流れ込んでいった。アメリカと言えばハリウッドを頂点としたエンタメ国家だが、60年代に入って舞台演劇の世界でもブロードウェイからオフ・ブロードウェイ、オフ・オフ・ブロードウェイへとシフトしたのと同様、ハリウッド的手法とは無縁の映画が作られ始める。そこには、国家的価値観としてベトナム戦争へなだれ込んでいったアメリカという国家への不信、反逆というテーマがあった。ドラッグやセックス、暴力といった直截な個の反逆の姿が、新しい映像のモチーフ、美意識としてあふれていた。

 アメリカン・ニューシネマと言えば、真っ先に「俺たちに明日はない」を思い出す。主人公の男女が乗る車にぶち込まれた無数の銃弾の弾痕が映し出されるシーンは、国家によって圧殺される個の象徴として、脳裏に刻まれている。ただ、主人公はギャングなのだが……。

 他にも「ロング・グッドバイ」、「明日に向かって撃て!」、「フレンチ・コネクション」、「イージー・ライダー」、「バニシング・ポイント」、「スケアクロウ」、「ファイブ・イージー・ピーセス」などなど秀作が、わずか10年足らずの間に数多く作られた。

 アメリカン・ニューシネマと呼ばれる潮流には、戦争という深い病理を抱えたアメリカという国家に対する、若者の苛立ちや憤りが映し出され、なおかつ映像も美しい。今のアメリカを知る上でも、一度は見ておきたいワンシーン(時代)なのだ。

 という原稿。自分で言うのもなんだが「悪くない」。ただ、なんで今? と聞かれると、なんとなくとしか答えようもないのだが……。

 日本映画は、この10年で音を立てて変わった。

 その一つの要素は、エンターテインメントへの傾斜。

 その陰で、哲学は薄れた。何も考える必要のない映画は爽快だが、すぐに忘れる。

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