普通な生活 普通な人々

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World Cupという求心力

2014-06-15 23:01:43 | まあまあ社会<的>な
WCは元々どんなきっかけで生まれたモノなのだろうか?

NET上に展開されているさまざまな解説を要約すると、おおよそ以下の通りだ。

「20世紀初頭、それまで欧州内にも国を横断するサッカーの国際組織がなかったことから、国際試合開催のためにも、各国のフットボール協会が国際組織の創立に同意した。だが、サッカー誕生の地の最大組織イングランド・フットボール協会(FA)は国際組織設立には消極的だった。

それならと、フランス総合スポーツ連盟事務局長=ロベール・ゲランが、イギリス抜きで会合を開くことを各国協会に提案、1904年5月にパリで会合が開かれ、国際フットボール協会(FIFA)が設立された。一国一協会とし、FIFAの管理の下で国際トーナメントを組織することも決定した。これが、のちのワールドカップ。ゲランは会長に就任。

各国のそうした動きを見てイングランド(FA)も、翌1905年にはFIFAに加入。1906年にはイギリス人のダニエル・ウールフォールが会長となり、イギリスは影響力を強めることとなった。1910年5月のミラノ総会でFIFAは一国一協会の規定にもかかわらず、サッカー本家の連合王国(UK)内のスコットランド、アイルランド、ウェールズの加入を認めた。これを契機にFIFAは国際組織としての地位を固めていく。

アマチュアリズム、オリンピックに関連する問題もあったが、1927年2月のチューリヒ会合で、4年に1度の世界大会(ワールド・カップ)開催を決定、1930年の最初の開催国を、同年が建国100周年に当たりそれ以前のオリンピックで2度優勝し、政府が運営資金を肩代わりし支援も約束したウルグアイとした」

結局、当初はワールドカップとは言え、ヨーロッパ、中南米中心の大会で、植民地であったアジア、アフリカは置き去りにされた形だったのが、FIFA成立の経緯からも明らかだ(中南米も植民地だったが、アジア、アフリカとは宗教的背景も違ったのだろう、ヨーロッパ勢の進出がサッカーを根付かせていた。ただ、この辺りは微妙で、断言はできない)。

ようやく1980年代になってアジア、アフリカ勢もワールドカップに力を入れ始め、今日のような地球規模の大会になったのだが、ランキングなどを見ても明らかなように、まだFIFAサイドではアジア、アフリカが軽視されている感は否めない。

そんな中での日本の活躍を、ことにアジア勢は期待しているのだが、初戦は残念なことだった。ドログバの存在感に引っ張りまわされた。「膂力」と言う言葉があるが、ドログバはまさに「膂力百人力」と言ったところだったのだろう。三国志でいうところの関羽、張飛クラスだったに違いない。

アジア、アフリカ勢が優勝または上位に食い込むことで、ワールドカップの意味合いはこれまで以上に求心力をもつものになるだろう。それはヨーロッパ勢の凋落をもたらすかもしれないが、意識としてはそこで初めて、イーブン、フィフティフィフティ、ハーフハーフになるように思う。

それにしてもサッカーは、観ているだけでも攻防めまぐるしい一瞬も気の抜けないスポーツだな。

面白い。ギリシア戦も、大いに楽しみだな。

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