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東京「昔むかしの」百物語(昭和編)<その59>麻雀

2020-02-08 01:53:48 | 東京「昔むかしの」百物語
麻雀は、普通の遊びだったが、ささやかな賭け事でもあった。

法に触れることではあったが、暗黙の了解でお金をかけ、よほどのことがない限り警察沙汰になることもなかった。一度のゲームで、多くて数万円、少なければ煙草一箱があちらへこちら行き来する程度のもので、家族内で、友人同士で、また同僚と、サラリーマンや学生、主婦などあらゆる社会生活者の手が届く、はたまた少しは小遣い稼ぎになる遊びだった。

どこの町にも、必ず雀荘というものがあった。そこには「プロ」の雀士がいたりもしたが、普通は仲間同士4人で連れだって、少しの悪徳を感じながら少しだけお金をかけて、妙なテンションで遊んでいた。

何時の頃から、廃れたのだろう。もはやどこの町にも雀荘など見当たらない。昭和の頃は本当にどこにでも雀荘はあった。

ほとんどの週刊誌や雑誌には、麻雀のページというものがあり、有名な雀士、強いと言われた著名人、作家(麻雀専門の小説家も存在した)などがフィーチャーされて、毎号麻雀の試合を再録するなど大いに盛り上がっていた。

ボクも麻雀は好きだった。役者仲間と徹夜で麻雀に興じることもしばしばだった。強い奴は強かった。カモになる奴はいつも決まっていたが、たまにバカ勝ちすることもあり、止められなかった。勝った奴のおごりでそのまま飲みに行ったりもした。僕は強くもなく弱くもなく、統べれば±トントンといった成績だった。

1970年代に雑誌の記者だった頃は、ほぼ毎日会社帰りに麻雀をうっていた(麻雀は“うつ”というのだ)。時にはそこに名人と呼ばれるような作家や、編集部の上司なども参加したが、麻雀の時だけはイーブンで、皆真剣そのものだった。編集部が新宿の歌舞伎町のはずれにあった時代は、それこそ毎日4人の面子を揃える算段が仕事終わりの“仕事”だった。

賭け事と言えば賭け事なのだが、ゲームとしても破格に面白いものだった。最近ではどこの家庭でも麻雀などやりはしないのだろうが、我が家は正月などに家族で遊ぶ。

もちろん賭けたりはしない。純粋にゲームとして遊んでいる。遊べば遊ぶだけ、おもしろさが分かってくる。ただし賭けないと、役作りに走り負けることに抵抗がなくなる。それは麻雀というものの性質からして、どうなのかなとも思う。やはり、勝ち負けにこだわってこそという気もする。

だからといって今の世の中、賭け麻雀は厳に禁止。




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