普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

東京「昔むかしの」百物語<その73>思い出横丁

2023-05-25 14:07:35 | 東京「昔むかしの」百物語
その昔、今インバウンドで海外の旅行客が溢れる新宿「思い出横丁」を、ボクらは様々な思いを込めて「小便横丁」と呼んでいた。

戦後すぐの頃は「軍隊キャバレー」なる風俗店があり、新宿から大久保方面の車窓から派手な看板が見えていて、昭和の中頃まで存続していて、客は女性従業員に敬礼しながら酒を飲んでいた。なんのこっちゃよく分からないが、太平洋戦争を良しとする多くの客でにぎわった。聞いた話では彼の地は安田組というやくざ組織が関与していた一帯だったという。

小便横丁という名の由来は、トイレなどない一帯(あるにはあったが行くのが面倒だった)で、線路沿いの壁に誰も彼もが立小便をしたことが由来と理解している。

ボクがこの辺りに出没していたのは10代の終わり頃から20代の前半だったが、今でもあると思うが「菊屋」や中通り沿いの2、3件ほどの一膳飯屋と飲み屋だった。「菊屋」は、当時飲みなれなかった焼酎を飲んで、のべつ飲みつぶれていた。

既に安田組などのやくざの影響力は薄れていたとは思うのだが、それでもボクの知る東京のダークゾーンの一つだった。他には歌舞伎町、センター街、ゴールデン街、池袋の西口裏や、渋谷のセンター街、東の線路沿いの一帯などなど。なにせ、ダークゾーンこそが最高におもしろかったから。

ボクの出没していた1970年前後には、まだヒロポン(今でいう覚醒剤だが、錠剤で売っていた時期があったそうだ)中毒の親父や、今でこそ普通に売られている戦後闇市のホッピーやカストリ焼酎、電気ブランなどという、言ってしまえば代用アルコールの類で酔っ払った親父たちがゲーゲーと吐き戻しながら飲んでいた。

あの頃は、「アウトローしか勝たん」と言うような時代だった。ボクもまたアウトローには憧れた。

こうした一帯は、戦後の闇市がベースになっていて、その闇市は前述したような安田組、和田組などの的屋が統括していた。やがて、その一帯に三国人(この言葉もいまでは差別用語なのだろうが、日本に居残った朝鮮人、中国人、台湾人をそう呼んだ)のアウトローが進出し、歌舞伎町などでも日本のやくざ、中国系のやくざ、そして韓国系、ベトナム系の闇組織と、統括勢力が変わっていったという。今はどうなのか知らない。聞くところによれば、歌舞伎町を追い出された組織は、立川、八王子へと都落ちしたとかしないとか。

思い出横丁を通るたびに、あの頃を思い出す。店の佇まいは変わらないのだが雰囲気はまるで別物で、危険な香りなど一つもない。聞こえてくる呼び込みの声もどこか中国なまりがある。そういう意味では別の危険な香りがするというのは、言いすぎかな。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 何年振りかで、新宿歌舞伎町... | トップ | 東京「昔むかしの」百物語<... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿