普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

三味線の音の話

2013-12-06 01:45:26 | まあまあ社会<的>な
少し前に、三味線の音の話を書いた。

あれは、本当に何だったんだろう? あれから二度と聞くことがない。幻聴だったんだろうか?

いやいや、そんなはずはない。本当に心が震える音だった。

それにしても何処の誰が爪弾いた三味線の音だったのか? 二度と聞こえないとなると、なおのこと知りたくもなる。

吉原を思い出したという話も書いた。

ついでに書くと、昭和33年がエポックメーキングな年だったということも以前に書いた記憶があるけれど、吉原などの公娼場が売春防止法の施行で廃止されたのも、昭和33年だった。

逆に言えば、昭和33年まで売春が公に認められていたということであって、そのことの方が、ちょっと驚きだ。

戦中に朝鮮婦人を売春婦として徴発したとかしないとか、日韓間の大きな問題になっているが、あの時代相の中で、売春をどう考えていたかはあの当時の価値判断や人々の引きうけ方も含めて問われなければならないように思う。

今の人々の価値判断で、戦時中の人々の判断基準を語ることはできない。

世界最古の職業と言われる売春は、ついこの間まで『悪』ではなかった。そのことは歴史を紐解けば分かることだ。

それは韓半島でも同じだった。1970年代半ばのソウルで、売春婦を引き連れて夜な夜なホテルや旅館を徘徊する女衒に、逗留していた2週間、毎日遭遇した。

今だからこそ、売春は『悪』と断罪できる。だが過去のそれを断罪はできない。なぜなら罪でも悪でもなかったからだ(もう一度書くが、今の判断基準での判断ではないよ)。

問題はこんな程度の思慮で解決する類のものではない気もするが、エキセントリックな決めつけよりはまだましな気もする。

ちなみにボクは、この歳になるまで、女性をお金で買ったことはない。