普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

おわいやさん。

2013-12-02 00:29:58 | 東京「昔むかしの」百物語
突然思い出した言葉。「おわいやさん」。おそらく差別用語になっているんだろうな。

ボクは以前にも書いたが、東上線の上板橋に住んでいた。記憶の中ではかなり長い時間を過ごしたと思っているが、実際は4年弱くらいだろう。

昭和33年に荻窪に転居したが、上板橋で幼稚園に通っていた記憶があるから昭和30年から33年までの間住んでいたと思う。

近所のお大尽の家(小宮家といった。おそらく近在の旧名主か)の御嬢さんと仲良くしてもらい、その家に入れるのは近所ではボクだけだった。

大きなまるで神社のような作りの家で、離れにはボクと仲良しだった御嬢さんの母親が、まるで隔離されるように住んでいた。のちに気付いたが、おそらく結核を病んでいたのだろう。きれいな人だった。

そんなお大尽の家にも、ハモニカ長屋のボクの住まいにも、定期的に「おわいやさん」が訪れてきた。

簡単に言えば牛にひかせた大八車にたくさんの桶を積んで、便所の汚物を回収しにくる今でいえばリサイクラーだった。

ボクは特段に差別的な意味もなく職業として「おわいやさん」と呼んでいたが、漢字で書けば「汚穢屋」となり、はっきりと差別的な職制であったことがわかる。

仲の良いおじさんもいた。その人は時々「骨なし皮なしとっちんぶらり、ってなんだ?」などと頓智を出してくれるのだが、回答は決まって「うんこだよ!」と、品のないモノだった。だがボクらはいつも笑って聞いていた記憶がある。

「おわいやさん」が来ると、お大尽の家では、お手伝いさんが汚らしいものを扱うように対応していたのを記憶している。その代り、終わるといつも何かを渡していた。きっとチップか何かだったんだろうな。

色々なことを思い出すが、「おわいやさん」が帰った跡は、すぐわかった。なにしろ牛のうんちがこぼれていたから。

なんだか昨日のことのように思い出してしまった。