私はきっと 仏教讃歌より 赤鼻のトナカイさんなんかの
クリスマスソングを歌う回数の方が多いんじゃないかな~~
いまでウルトラマンマックスを さとると見ていたら、
『クリスマスって 「誰かが 誰かを喜ばせたくて」
「だれかが だれかを しあわせにしたくて」あるんだと思う』って
言ってた。なるほど 良いこと言うな~~~
昔から我が家は 楽しいことは 楽しんじゃう!!一家なので
クリスマスも 春日大社に参拝も(檀家さんと旅行で)
何でもありです。真宗というと 水子供養とか動物供養とかしたがらない
お寺さんもあるけど、家のお寺は その供養を縁として
自分を見つめ直して明るく生きていった欲しいので 引き受けます。
「いつでも どこでも 誰にでも 、明るく 温かく 前向きに」です。
だから 今日は Myファミリ~ Kさん宅で X’マスパーチー
写真は 初登場 兄 かおる。
例の妹の子ども みちはる ・けいしん そして 、さとる
兄ちゃんは シャイなので 今後の登場はかも
仲良し 4人兄弟です。
何処かで 出会ったら 宜しくお願い致します。
私が 亡き後も 心の支えになって下さいね
人の年賀状に力を入れすぎて 我が家の年賀状がまだ・・・
書かなくっちゃ
人との出会い。
本との出会い。
音楽との出会い。
自然との出会い。
多くの出会いの中で 私は生きている。
さとるのお陰で 多くの人に出会った。
本当に「一期一会」。
人に会う、人と会う という縁は不思議ですね。
そもそも 人としてこの世に出会えたことすら 縁で・・・
先日のさとるの入院は 先生の計らいで(オフレコで)
病も、年齢も同じ 戦友 ちーちゃんと一緒の手術入院。
病棟も一緒でした。本来3階の学童病棟なのですが、
病院の都合で 5階の幼児病等へ・・・
そこには4月から勤めているという 病棟の保育士さんが・・・
通常の看護士さんの仕事とはちがって 病の中でも子どもたちに
快適に入院生活を過ごしてもらいたいという 願いから、
基本的に午前9時から午後4時まで 子どもたちと
折り紙やプレイル-ムで時間を一緒に過ごしてくれます。
今回は3泊4日の入院で 病院関係の方とゆっくりお話する機会は
余りなく あっても日常の会話程度が常です。
退院の前の日 夕方 勤務終了後に その保育士さんと
膝を交えて話す機会を持てました。
さとるの手術は今回で 第一章は完!なので、
また 何処かで お会いしましょうといって
ブログのアドレスをお知らせして(これもオフレコ)
別れました。
帰宅して数日後 ブログを開くと 私の部屋のコメント欄に
時々足跡を残してくれるdayanさんから、
私とその保育士さんしか分からない話題が記してありました。
??? なんで??
読めば その保育士さん(よっ!ちゃんさん)とは
十数年来のバイク仲間で 親友だというのです。
ひょえ~~~~~ びっくり!!
世の中狭いの? バーチャルは奥が深いの? 縁!なんですね。
実は この事があった数日前にも
ライブとバーチャルが 私を介して繋がった出来事が・・・・
入院中私がお世話になっていた
「よこはまファミリーハウス」に
http://www5f.biglobe.ne.jp/~yokohama-family/
モンゴルから 娘さんの心臓手術に見えていた御夫婦と
御一緒にする機会が・・・そのとき通訳に日本人方が。
挨拶程度の会話で ほんの一瞬 時間を共有しただけで、
その時は 名刺をいただき(大束 亮さん)帰宅。
帰宅後 モンゴルの話を熱く語っているブログの海野さんに
http://blog.goo.ne.jp/fm628/d/20051218
ネットサーフィンで遭遇!!
なんだか 吸い寄せられるように 入院中に出会った
モンゴル語の通訳の方のことをコメントしました。
すると なんと その海野さんと大束さんは
大学時代の同級生であることが判明!!すっごい!
私を通じてお互いの活躍を知ることになったのでした。
やっぱり 世間は狭い!!
こうして 一期一会を日々満喫。
いつか このブログを介して知り合った人と 一年に一回でも
ライブをしたいと考えています。
みなさん 如何ですか?? ひとつ 人生を謳歌するイベントを
開きましょう!!
一年に一回 富士山で会いませんか?
こうして PCを通しての出会いも
そして 生での声を交わすのも
人生の楽しみを また一つ増やしませんか?!
事務局は任せて下さい!!
remainsさん 局長は任せましたよ。
人は誰でも死すべきさだめとは言え、
人が亡くなるのはやはり悲しいものです。
この世に残された方は一生その癒えない悲しみを抱えて
生きて行かなくてはなりません。
私たちはその悲しみとどのようにつき合って
生きて行けば良いのでしょうか。
どのように受け入れれば良いのでしょうか。
少しで良いのでヒントを頂ければ幸いです。
Yuさんから こんな相談がありました。
いつも 言っていますが、
生きとし生けるものは 必ず死にます。
愛する者たちとの別れがあります。
本人も家族も想像し得ない お別れは辛く悲しいものです。
余命を宣告される病。
心ない人に 消される命。
親子の信頼という言葉さえ存在しない 虐待。
残された人にたくさんの後悔と自責を残す 自殺。
やりきれない思いは 尽きることはありません。
しかし、死は 終わりではありません。
死は 敗北でもありません。
死は罪でもありません。
明日は 我が身なのです。
確かに たくさんの思い出や やり残した事への無念さは
無くなるものではなく、泣く事も 悲しむ事も必要です。
でも 本当に死は終わりなのでしょうか?
病になった人だけが、事故にあった人だけが、
命を絶った人だけが運命を生きたわけではありません。
常に 自分自身が別れを抱いて生きているのです。
健康な自分は死ぬ事を棚に上げ、余命を生きている人を
可哀想だと思うのは 傲慢です。
何時お別れをしても悔いのない人生を生きていないから、
いざ 別れの時に、別れた後に 後悔と無常いう波が襲い、
やりきれなくなるのです。
亡くなった人の生き様は 年数に関係なく、実在したわけで、
亡くなったとたんに 可哀想な人にするのは
あまりにも失礼です。
亡くなり方を憂うことはあっても、生きていた時の輝きは失っては
いません。むしろ 残された人が思い続ける限り生き続けます。
目に見える姿ではなく、今度は 心の慈悲として必ず寄り添って
見守り続けてくれます。
死に方は 問題ではなく、死を受け入れる心の問題なのです。
亡くなった方を縁として 自分が生きること
死ぬことを模索し、改めて共存共栄の意味を理解できれば
別れは ただ 辛く悲しいもので 終わったりしませんよ。
人生は 電車のレールを行くようなもの。
レールの上に 荷物を下ろしては 危険で 進めません。
自分のレールは常に前へ進めるようにしておき、
悲しみの駅・苦しみの駅・楽しみの駅・嬉しい駅・・・
夫々の駅で 荷物を入れ替え 停車し、各駅で想い
進めばいいのです。
新幹線のように 早く行くばかりが人生ではありませんから。。。
Yuさんから 相談されたことは常に私の考えることで
一人でも 悲しみの上に立ち 自分の足で歩んで下さることを
願って。
いつお別れしても 悔いのない人生を送れるよう
関わる全ての人に「有り難う」を伝えて下さい。
いつも今日の記したような法話をしております。
Yuさん 少しはヒントになりましたか?
1、生まれながらに 人は 人間にあらず
人間とは 人の間に成る 尊ぶ生き物と心得よ!
1、命とは 我がものにあらず
我が命は 多くの力に 生かされてると心得よ!
1、生命は 永遠にあらず
愛おしむ死と 隣り合わせと心得よ!
1、愛するとは 己の欲心だけにあらず
相手の声を聞くことと 心得よ!
1、悲しみは 悪にあらず
悪とは 己を裏切った時と心得よ!
1、善・悪は 相手にあらず
己の心の中にあると心得よ!
1、夫婦は 我慢にあらず
尊敬する心を持つことと 心得よ!
1、子どもは 親の所有物にあらず
いつか 社会に帰す 大事な預かりものと心得よ!
1、人間は 完璧にあらず
喜・怒・哀・楽は必要と心得よ!
1、いつも見ているものは 同じにあらず
見方や 見る位置を変えれば 新たな発見があると心得よ!
生きるとは 他人事にあらず
生きるとは 己の足で立ち 歩くことと 心得よ!
さとるは 5月の時
こんな手術をしています。
骨を切り離し 金具を埋め込み 毎日1ミリずつ 延長していく。
この作業を1ヶ月半続けていました。
17時間の手術を耐え 痛みも 愚痴も一切言わず・・・
そして今回の 金具撤去の手術。
前回に比べれば 全然!!と 言うわけですよね。
次の日に 御飯を食べていても不思議ではありませんよね。
病を抱えている 御本人。御家族のみなさん。
何とかなりますよ。
病を味方につけて 一緒に生きて行きましょう。
さとると相談して 前回の手術の様子をお知らせすることで、
誰かの 励みになればと思い・・・
見目は変わりましたが、性格は・・・
輸血をだいぶしてるんですけどね~~
何とか 自宅に到着。
本人は 通常生活パターンに戻り お休みタイム
『本当に皆さん 有り難うございました。
みんなの声は いつもちゃんと聞こえていました。
これで スキーも、映画も、ボーリングも、外遊びも
抜糸までは ゆっくり???して、後は暴れてやる~~!!』
by さとる
何だか あっという間の4日間でしたね
でも 私にとっては 有意義な時間を過ごせて し・あ・わ・せ
色んな 病をの子どもを抱え 人知れず
しんどくなっていることさえ気づかず・・・
懸命に我が子の為に見舞う親の 応援団長は
やはり 必要だと実感して帰ってまいりました。
声の大きい人が、声の小さな人の変わりに
助けを求めても 良いですよね?
皆が私のように大声を出せるとは限りませんもの。
確実に 私の力を使うべき道が見え始めてきました。
明日からは また皆さんのお知恵を拝借。
いやがらずに 応援団として声を聞かせて下さいね。
帰宅して 皆さんひとり・ひとりの部屋を訪問させていただきました
コメントは残してきませんでしたが、いない間の出来事は全て
目を通せていただきました。
さとるのの驚異的な回復のお陰で 4日間の動きを
追うだけで済みましたが、1週間だと
だって 知りたいじゃない?!楽しみなんだモン。
年賀状も間に合いそうだし・・・
とりあえず 無事 家族そろいました。
本当に有り難うございました。
明日から また バリバリいきますよ~~~