kasaruの今日も有り難う

僧侶歴46年。講演依頼受付中
サルコイドーシス・バセドウ病の旦那
岡山へ就職長男23歳
アペール症候群次男19歳

命は誰のものか。。。

2013-01-12 | 
この世に生まれて自らの意思ではどうする事も出来ない。

そんな命があります。

運命では片付けられない奪われる命があります。

そして間違いなくこの世に未練を残し散っていった命があること。。。

昔も今も命に対する扱いはそんなに変わりはありません。


情報網の発達した今だからこそ

世界の命の実情が瞬時に分かるだけのこと。

そんな歴史の中でも、いつの時代でも

『命』は誰のもの?なのか

そう自問自答する瞬間があるはずです。


救急車が同姓同名の違う家へ向かったばかりに、

救えなかった命。


そして、未だに反省もしない、学習しない大人たちによって

まだ生きながらえるであろう、

10代という人生を自ら終わりにする以外

考えられなかった子どもを救うことが出来なかったこと。


『いのち』は誰のものなのか。。。

「いきる」ことの責任を誰が背負うべきなのか?

問い続ける「いのち」


人はひとりでは生きていけないし、生きることは出来ない。

いつも、そう書いている。

繋がっている命。

人との繋がりの中で良いことだけ、強がることだけで

誰かと繋がっていることは とても危険なことなのです。

一番の身近にいる家族にさえ弱いところを見せられないということ、

弱みを見せれば良いということではないが・・・

そして、見てみるふりをすることこそが、

一番 卑怯であると私は思っています。


今回の体罰を苦に自殺という報道に、

心から哀悼の意表します。

現実に見たわけではないので憶測で物事を言いきることは

難しいとは思いますが、

聞く限り、少なくても救える命であったように思えてなりません。


大人の真摯な対応を子どもたちは見ています。

不誠実な態度の中で教育は出来ないことを、

改めて露見した形になったこの度の出来事は、

今生きる全ての人が心してかからねばならない問題でもあるのです。


絵空事でも、小説でもドラマでもありません。

現実に一人の人間が心痛め、他の道を選ぶことが出来ず、

悲しみの中で死んでいったのです。


人生に選択肢は必ずあります。


その事を一緒に入る中で伝えてられなかった

周りの大人たち責任は重大です。


確かに繰り返される生活の中で、

学ぶということの意味をきちんと、

理解していない者が多すぎような気がします。


朝起きて ご飯食べて トイレ行って 寝る

そんな 日常の中で「命は誰のものか」

そのこと命がけで学んで欲しいと思います。







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