初詣は津和野にある太皷谷稲成神社へ行ってきました。
ここは津和野藩主7代亀井矩貞公が藩の安穏鎮護と領民の安寧を祈願するため
津和野城の表鬼門にあたる東北端の太皷谷の峰に、
京都の伏見稲荷大社から斎き祀ったのが始めだそうです。
日本五大稲荷神社の一つに数えられていますが
稲荷ではなく稲成と書くところが面白いですね。
願望成就の「成」をとって稲成神社となったそうです。
小さい頃から父に連れて来られていたせいか
私はこの津和野の町が故郷のように思えます。
凛として伝統やしきたりを重んじながらも、時代とともに変化してきたこの町。
小さな藩、村、町であったがために優秀な人材も多かったのでしょう。
森鴎外や西周といった人物はここから出ています。
ここは津和野藩主7代亀井矩貞公が藩の安穏鎮護と領民の安寧を祈願するため
津和野城の表鬼門にあたる東北端の太皷谷の峰に、
京都の伏見稲荷大社から斎き祀ったのが始めだそうです。
日本五大稲荷神社の一つに数えられていますが
稲荷ではなく稲成と書くところが面白いですね。
願望成就の「成」をとって稲成神社となったそうです。
小さい頃から父に連れて来られていたせいか
私はこの津和野の町が故郷のように思えます。
凛として伝統やしきたりを重んじながらも、時代とともに変化してきたこの町。
小さな藩、村、町であったがために優秀な人材も多かったのでしょう。
森鴎外や西周といった人物はここから出ています。