goo blog サービス終了のお知らせ 

碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

63年目の「日本のいちばん長い日」

2008年08月16日 | 本・新聞・雑誌・活字

昨日、8月15日は63回目の終戦(正確には敗戦)記念日だった。

63年前といわれると、「随分前」としか思えないが、私が生まれたのが昭和30年で、それは敗戦から、わずか10年後のことだ。今から10年前なら1998年、平成10年。「ほんの少し前」、「つい昨日のような」と言いたくなるほど近い過去だ。

「昭和20年代」には、まだ戦争の時代の面影があるが、わずか10年後に始まる「昭和30年代」となると、戦争や敗戦のイメージは急に薄れる。

だが、それだって2008年という現在から見ての事であり、実際、昭和30年代には、まだ町角で傷痍軍人を見かけたし、デモや社会運動のスローガンとして「戦争反対」「戦争、許すまじ」は十分に生きていた。

そんなことを思うのは、特に今年の「8月15日」が、オリンピックの最中ということもあり、テレビが「終戦記念日特番」を打つわけもなく、靖国神社に政治家の誰が行き、誰が行かないといった報道くらいしか見なかったせいだろう。

一方、衛星放送の日本映画専門チャンネルは「東宝8.15シリーズ完全放送」の看板を掲げていた。『日本のいちばん長い日』『激動の昭和史 軍閥』『連合艦隊司令長官 山本五十六』などを流し続け、NHKはともかく民放地上波より、よほど終戦記念日らしい1日にしてくれた。


昭和は、①元年から20年まで、②20年代~30年代、③40年代、④50年代~最後の63年まで、といった具合に、大きく4つのブロックに分けられそうだ。個人的な感触でいえば、すでに第3ブロックあたりまでが「歴史」の範疇になってしまっているような気がする。

2台のテレビを同時につけて、衛星の『日本のいちばん長い日』と、甲子園での慶應VS浦添商の試合を、それぞれ横目で眺めつつ、秋山真志さんの新著『昭和~失われた風景・人情』(ポプラ社)を読んだ。

フリーランスのライター&エディターである秋山さんには、寄席を支える様々な仕事師たちを取材した『寄席の人たち―現代寄席人物列伝』(創美社)などの著書がある。

今回の本のテーマは、昭和30~40年代の、まさに”失われた風景”。主な舞台は東京だ。

手塚治虫、藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫といった漫画家が暮らしていた伝説のアパート「トキワ荘」。今は高層ビルが林立する新宿副都心にあった巨大な人工池「淀橋浄水場」。それから「丸ビル」や「玉川電車」も。

秋山さんは、東京の「かつてそれがあった場所」を訪ね、歩き回り、当時を知る人に話を聞いていく。

それだけではない。私のような「地方在住の子ども」にとっても、同じように懐かしい風景も登場する。デパートの屋上にあった楽園「屋上遊園地」。その店先に立つだけでわくわくした「駄菓子屋」などだ。

この本全体は、もちろん懐かしさにあふれているが、単なる懐古趣味ではない。丹念なフィールドワークによって、徐々に甦る「昭和の記憶」と「昭和の風景」は、ほとんど消えかけている「街と時代」の貴重な記録であり、資料だといえるだろう。

昭和―失われた風景・人情
秋山 真志
ポプラ社

このアイテムの詳細を見る


この本の表紙で、女の子たちがキメているのは、もちろん「シェー!」のポーズだ。

オリンピックも悲劇もしくは喜劇?

2008年08月15日 | 本・新聞・雑誌・活字

お盆に入って、日本全体が休止モード。昨日も今日も、テレビは北京オリンピック一色だ。水泳の北島、体操の内村など連日のヒーロー登場。一方では柔道の鈴木が一回戦敗退だったり。

甲子園も昨日ベストエイトが決まり、今日からますます面白い試合が展開される。

新聞のテレビ欄は、当然のように五輪関係で埋まっている。あっちこっちのチャンネルで「LIVE(生中継)」とVTRを追いかけながらの”テレビ観戦”が続く。

もちろん、五輪は五輪で見てしまうのだが、これ以外の報道はどうなっているんだろう。そう、この五輪一色の裏で、知らないうちに何かが起きていないか、何かが進行していないか、気になる。

日本の4月~6月の実質GDPがマイナスだというニュースは、「へえ、そうなんだ」でいいのか。アーバンコーポレーションの倒産は今年最大のものだけど、その意味するところは何なのか。相変わらず、オールジャンルでの値上げ攻勢が続いているけど、政府はきっちり手を打っているのか。うーん、政府もお盆休みでオリンピック観戦じゃないだろうなあ・・・。


本読みのほうは、深谷忠記さんの『悲劇もしくは喜劇』(実業之日本社)で新刊に復帰だ。法廷ミステリーである。

主人公は「ママさん弁護士」の村地佐和子。スーパーウーマンでも切れ者弁護士でもない。だからこそ「普通の人」の感覚を忘れないわけで、そこがいいのだ。

事件は地方の町で起きる。タイから女性を”輸入”して売春婦として働かせている店があり、そこで中間管理職みたいな役割をしていた、元娼婦のタイ人女性が殺されたのだ。

ほどなく容疑者が逮捕され、佐和子はその弁護を引き受ける。しかも、容疑者の青年は、彼女の親友の息子だった・・・。

全体の3分の2は法廷劇だ。読者としては、先を(つまり真相を)読み解こうとするが、そう簡単にはいかない。二転三転する物語に、書き手との知恵比べとなる。これが快感。エンディングにも納得感あり。

本の帯に「バーナード・ショーの言葉に触発されて」とある。それは巻頭にあるが、こんな言葉だ。

   真実はこの世の中で一番面白い冗談だ。

おお、確かに。この法廷推理の佳作を、見事に象徴している。 

悲劇もしくは喜劇
深谷 忠記
実業之日本社

このアイテムの詳細を見る


そういえば、「北京オリンピックの開会式で、いくつものヤラセ疑惑」の報道が出てきた。

女の子の歌は、本人じゃなく、別の子の声だったとか、画面の中でCG映像が使われていたとか。

いずれ詳細が明らかになると思うが、もしも本当なら、「本物とは?」「リアルとは?」の議論だけでなく、「映像コンテンツとしての五輪」という意味でも、大いに興味深い話だ。

早く真相が知りたい。ここにも「悲劇もしくは喜劇」がありそうではないか。

毎日が「記念日」だと思うと、ちょっと楽しい

2008年08月13日 | 本・新聞・雑誌・活字

1899年8月13日。109年前の今日、英国はロンドン郊外で、映画監督アルフレッド・ヒッチコックが生まれた。亡くなったのは80年後の1980年。その間に、現在も我々を楽しませてくれる多くの作品を生み出したのだ。ハッピーバースデイ・ミスター・ヒッチコック!

なーんてことが言えるのは、今回の”帰省の友”にとバッグに入れてきた、島野功緒さんの『20世紀版「スター・カレンダー」365日素敵な話』(講談社)のおかげだ。これ、<文庫書き下ろし>の新刊である。

この本では、1ページが1日分の、いやスター1人分の「解説」になっており、映画ファンにとっては、ランダムに眺めているだけで十分に楽しい。ちょっとした映画事典、スター名鑑なのだ。

ページをめくっていて分かるのは、(当たり前だけど)1年365日、毎日が誰かの誕生日であり、また命日だということ。それをこの本は、「スター」に焦点を絞ってまとめているところがミソだろう。毎日、スターが生まれ、毎日、スターが亡くなっているのだ。

一般的には、最初に見るのは自分の誕生日のはず。命日は無理だし。で、見てみた。私の誕生日は、アメリカの映画女優、リリアン・ギッシュの命日だそうだ。1993年、心不全で亡くなっている。ただ、この女優さんの顔がすぐに浮かばない。87年の『八月の鯨』の主役といわれて、あ、そうか、と思う。勉強になる。

それから、家内の誕生日は、1934年、イタリア女優のソフィア・ローレンがローマで生まれた日でもあった。なんか、リリアンの命日より、こっちのほうがいいなあ、などと羨んだりして・・・ヘンだ。

ちなみに、明日8月14日は、杉さま、杉良太郎さんの誕生日だって。1944(昭和19)年のことだ。この人のものでは、出世作となった67年のNHK連続時代劇『文吾捕物絵図』が一番好きだ。脚本家チームには若き日の倉本聰さんもいて、演出は鬼才と呼ばれた和田勉さん。もう一度、見てみたい。

20世紀版「スター・カレンダー」365日素敵な話 ―あの人の本音と素顔がよみがえる! (講談社 α文庫 (E52-1))
島野 功緒
講談社

このアイテムの詳細を見る

永遠にアタマの上がらない相手がいることの幸せ

2008年08月12日 | 本・新聞・雑誌・活字

信州の実家に来ている。

お盆と正月、帰郷した際の楽しみは、親兄弟や甥・姪たちの顔を見ることもさることながら、中学時代の担任であり、現在に至るまでの恩師である浜光雄先生にお会いできることだ。

浜先生は、童話作家の「はまみつを」でもある。『春よこい』で赤い鳥文学賞、『赤いヤッケの駅長さん』で産経児童出版文化賞を受賞。現在は信州児童文学会会長も務めておられる。

そんな先生のお宅を、年に2回訪問し、昼頃から夕方まで、半日かけて語り合う。半年間、どんなことをやっていたのか、何を考えてきたのか、互いに、めいっぱいの報告をし合う。

これが、中学を卒業して以来、高校時代、大学時代、そして社会人となってからも、延々38年も続いている。本当に、奇跡のような、有難い師弟関係なのだ。

私からは、この春、北海道の大学から、現在の東京工科大学に異動してきて以来の報告。先生からは、新作童話集『ポンポン船』を頂戴し、作品にまつわるお話をうかがった。また、新作絵本『森の王 八面大王』も頂いた。

75歳にして、この旺盛な執筆活動。その想像力と創造力に感心し、大いに刺激を受ける。自分など、まだまだこれからだ、としみじみ思う。

自分が何歳になっても、こころから「師」と呼べる人がいること。永遠にアタマの上がらない相手がいること。その幸せを、今回も思った。

ポンポン船―5分で読める41編のポカポカ童話
はま みつを
総和社

このアイテムの詳細を見る


グラウンドを舞台とした一級のエンターテインメント

2008年08月11日 | 本・新聞・雑誌・活字

テレビは、どこのチャンネルでも北京五輪。その五輪の裏では、ロシアとグルジアが戦争、いや戦闘中だし、中国国内では爆弾テロで「犯人全員死亡」だし、なかなか<平和の祭典>とはいかないね。

柔道の内柴正人選手が日本勢第1号の金メダルを獲得した。おかげで、マスコミの「ヤワラちゃん(って今も言うの?)ショック」が薄れていくような雰囲気。谷亮子選手、おつかれさま。ママでも銅、立派じゃないですか。

一方、各局の”ジュータン爆撃的五輪報道”のおかげで、何となく脇へ押しやられている感のある今年の甲子園。日々、高校生たちの熱闘は続いている。今日の午後には慶應高校の2回戦もあるし。

そういえば、「野球小説」は結構な数が存在するのだが、「高校野球小説」って、すぐに思い浮かばないのは私だけかな。あさのあつこさんの『バッテリー』は中学生で、『ラスト・イニング』が確か高校だったと思うけど・・・。

あ、あった。

傑作高校野球小説。堂場瞬一さんの『大延長』(実業之日本社)だ。

監督が言う。「この試合は俺のものでも、学校のものでもない。お前たちのものだ」と。夏の甲子園、しかも決勝戦が「延長引き分け再試合」となった。戦うのは初出場の新潟海浜と、連続出場の強豪・恒正学園だ。

因縁の一つは、海浜の監督である羽場と恒正の監督・白井が、大学時代のバッテリーだったこと。卒業後、白井はプロに進み、羽場は別の道を歩んだ。その二人が監督として甲子園で向き合っている。

さらに、海浜のエース・牛木と主将の春名、そして恒正の強打者・久保の3人は、リトルリーグでチームメイトだった。それぞれの過去と現在が酷暑の球場で交錯する。

故障した膝が悪化した海浜の牛木は、再試合での登板が困難となる。春名は県大会の最中に事故で手首を怪我していた。一方、恒正も主力選手の喫煙が発覚。揺れる両チームだが、運命の一戦は容赦なく開始される。

選手たちの渾身のプレー。監督たちの駆け引き。実況中継の解説を行うのは白井と羽場の恩師である滝本だ。重病を抱える彼もまた、この試合に自身を賭けていた。

臨場感溢れる高校野球小説にして、グラウンドを舞台とした一級のエンターテインメント小説である。

大延長
堂場 瞬一
実業之日本社

このアイテムの詳細を見る

忘れていたこと、見えなくなっていたこと

2008年08月10日 | 映画・ビデオ・映像
昨日は、この夏2回目のオープンキャンパスで、来場者1200人。前回から、メディア学部は独自の「レクチャー・ラリー(レクラリ)」を展開している。これは、教員の講義の予告編となる「講義ライブ」、演習科目を体験できる「演習パフォーマンス」、卒業研究を紹介する「卒研トライアル」などを一巡りしてもらうものだ。

私は『映像で「伝える」ということ』と題した講義ライブを行う。「映像で語る」と言い換えてもいい。高校生たちに、文章とはまた違う映像の特性について話をした。

オープンキャンパス終了後、京都から大学生が来訪。昨年から行われている「メディア・キャンプ」という合宿形式の映像セミナーがある。その実行委員会のメンバーが、この夏、京都で開催する内容について、相談にやってきたのだ。

ペンと紙、絵筆とキャンバスに比べたら、カメラはかなり不自由な「表現手段」なのだが、「映像で伝える」「映像で語る」ことは、不自由の自由というか、そこには独自の難しさと面白さがある。

京都から八王子キャンパスまで、高速バスを使って来てくれた学生2人に、考えられる限りのアドバイスをさせてもらった。


そして、ポニョだ。気になっていた『崖の上のポニョ』。ようやく見ることができた。

中学生である息子は不満足という感想だったが、大人には大人の見方があるようだ。それは、ポニョや宗介に、自分や我が子の幼少時代を重ねて見られるせいかもしれない。ポニョは娘の、宗介は息子の、それぞれの5歳の頃とそっくりだ。きっと、親はみんな、そう感じるはず。

物語全体や、個々のエピソードに、宮崎監督が託したものを探しながら(解読しながら)見ようとすると、多分、疲れる。それは、見終わってから、ゆっくり、じっくり考えればいいのだ。

ひたすら5歳の彼らを追いかけているうちに、普段、自分が忘れていたこと、見えなくなっていたことが、ぽっと胸の内に広がってきた。それだけで、もう十分(?)だったりする。

宮崎駿監督作品マイベスト、好きな順でいえば・・・

1.となりのトトロ
2.風の谷のナウシカ
3.千と千尋の神隠し
4.崖の上のポニョ
5.もののけ姫

ということになるかもしれない。ポニョ、いきなりの4位じゃん。

そうそう、映画の中に出てくるポニョの「いもうとたち」。ミニ・ポニョみたいなのが大群というか大量にいるんだけれど、その顔が、漫画家の倉田真由美(くらたま)さんが「だめんず・うぉーかー」で描く彼女の自画像に似ていて、上映中、思わず笑いそうになった。ぜひ、劇場でご確認のほどを。

dankai (団塊) パンチ 2008年 08月号 [雑誌]

飛鳥新社

このアイテムの詳細を見る

アトランタから北京へ、五輪の暑い夏

2008年08月09日 | テレビ・ラジオ・メディア
北京オリンピック開会式の生中継を見た。そりゃ、まあ、今回のオリンピック自体に関しては、いろんな角度からの、いろんなツッコミが可能なのは承知だが、一つの「メディア・イベント」として、またチャン・イーモウ監督のプロデュース作品として、この開会式を眺めていた。

何しろ4千年の歴史がバックにあるわけで、それを歴史絵巻風に見せていた。世界三大発明といわれる『活版印刷』『羅針盤』など、「世界中の皆さんが、その恩恵に浴しているけど、元をただせば本家はウチだもんね」と、しっかりアピール。『火薬』だって、市内全域を使った花火で、十分に見せつけた。

1時間以上に及ぶ壮大なパフォーマンス。ハイテク、いやデジタル技術を駆使しつつも、お家芸のワイヤー・アクションから人海戦術まで、その怒涛の演出の連打、お見事でした。

特にワイヤー・アクションは、最後の聖火にまで生かしきり、チャン・イーモウ監督の『HERO』や『LOVERS』といった武侠映画をナマで見るようだった。

また、とてつもない数の人間が登場し、連続した見せ場を作っていくことに、やはり圧倒された。13億人から選ばれて出てくるんだから、巨大な舞踏集団として半端じゃないってことだ。競技のほうも、とんでもない選手が登場しそう。


思い出すのは12年前の夏だ。1996年7月20日、アトランタ五輪の開会式の会場にいた。アメリカ南部特有の、強烈な蒸し暑さの夜だった。

2年後に開催される「長野オリンピック」の<開会式制作>の仕事をしていて、浅利慶太さん率いる「総合プロデューサー・チーム」の方々と共に、視察に行っていたのだ。このアトランタの開会式は、その強烈なエンターテイメント性と、あまりの長時間が批判されたりした。確かにその通りだったしね。

ただ、あのモハメド・アリが聖火の点火をする姿は、現場で見ていて、ちょっと泣けた。

オリンピックの開会式、実は、たった2つのことを行うためにある。一つは、世界からの選手を「お迎えする」こと。そして、もう一つが、開会を「宣言する」ことだ。この2つさえあれば、開会式の目的は達成できる。アトラクションやショーは、あくまでもオマケなのだ。

オリンピックは、本来、「国」ではなく「都市」が開催する。とはいえ、オリンピック全体もそうだが、一番目立つ開会式も、いわば「国家的イベント」である。ましてや、現在の中国。世界に向けて、「やったね」といわれるものにするしかない。まずは開会式は無事成功した。

あとは、競技。テロなどの非常事態が起きぬことを祈るばかりだ。その上で、日本選手の活躍もいいが、とにかく「世界レベル」というものを楽しみたい。

現在、手持ちの北京五輪関連本、以下の通り。結城和香子さんの中公新書は前回のオリンピックの年に書かれたものだが、「五輪ビジネス」にも言及していて興味深い。篠山紀信さんの写真集も、(これに限らず)一種の<世界レベル>だと思うのだ。

オリンピック物語―古代ギリシャから現代まで (中公新書ラクレ)
結城 和香子
中央公論新社

このアイテムの詳細を見る


北京オリンピック放送をぜんぶみる ! 2008年 9/1号 [雑誌]

NHKサービスセンター

このアイテムの詳細を見る


VENUS北京―篠山紀信北京オリンピック女子アスリート写真集 (サブラムック)

小学館

このアイテムの詳細を見る

本屋さんにはアラフォーもR-40もいるのだ

2008年08月08日 | 本・新聞・雑誌・活字

大学の前期(春学期)も大詰め。授業の成績をつけていく。130人の受講者が、これまでに提出してきたレポートが数回分あるので、まとめて読んで、採点していくのは結構大変なのだ。

最近は、パソコンでレポートを書くのが普通だが、時々、わざと「手書き」を指定したりする。ワードで書いて印刷したものだと、内容以外の差異は消えるが、手書きの文字、筆跡には、130人分の「個性」がある。

そういえば、去年、夏目漱石の『坊ちゃん』の自筆原稿を、一枚ずつ写真に撮って本にしたのが出たなあ。うん、そうだ。『直筆で読む「坊っちやん」』(集英社新書)だ。

漱石の字は、達筆というわけではない。また、硬派過ぎず、軟派過ぎず。でも、あまり面白みのある字だとは思わなかった。ただ、当て字というか、造語というか、自在な言葉遣いが多くて、これは面白かった。


さて、今週は「週刊新潮」も「週刊文春」も”夏の特大号”だ。つまり合併号で、編集部夏休みにつき、来週は出ない。週刊誌好きとしては寂しいけど。

「週刊文春」の「文春図書館」のページも特別企画。「R-40本屋さん大賞」ときた。40歳以上の書店員さんに、ここ1年で刊行された本の中から「面白かった」「お客様にも薦めたい」と思う本を選んでもらった、らしい。

で、小説部門として、ポイントが高かった順に5冊が並んでいる。

1. 和田 竜 『のぼうの城』
2.伊集院 静『羊の目』
3. 和田 竜 『忍びの国』
4. ねじめ正一『荒地の恋』
5.小川 糸 『食堂かたつむり』

おお、和田竜さん、強し。歴史小説、というか戦国小説だ。確かに、夏休みにいいかもしれない。

しかし、私がこの5冊の中から、一冊だけオススメするなら、伊集院静さんの『羊の目』(文藝春秋)を選ぶね。「この夏、小説、読んだぞオ」という気分になれること、請け合い。

義の世界に生きた一人の“任侠の徒”を描く、波瀾万丈の物語だ。背景は戦中から戦後、そして現代へ。舞台も日本だけでなくアメリカにまで広がっていく。

神崎武美が生まれたのは昭和8年。生後間もなく夜鷹だった母親に捨てられ、浅草の侠客・浜嶋辰三が育ての親となる。戦後、武美は性根と艶気を兼ね備えた一人前の男に成長し、“親”である辰三のために闘い続け、浜嶋会の勢力を拡大していった。

しかし、大阪を牛耳る四宮組が関東制覇に乗り出したことから、武美の運命は激しく転回する。

一方、アメリカ・ロサンゼルスには、地道に洗濯業を営む日系人一家が暮らしていた。移民一世の老人、息子夫婦、孫である兄妹。この洗濯屋に、抗争から逃れて日本からやって来た武美が身を寄せる。だが、この出会いは一家だけでなく、武美をも大きく変えていく。

戦後の闇社会で恐れられた暗殺者。“親”のためなら喜んで命を差し出す侠客。「私は神を信じません」と言い切る孤独な男の魂に何が訪れたのか。果たして救いはあるのか・・・。

起伏のあるストーリー、血肉をもつ人物像、テーマの重厚さなどから、今後、伊集院さんの代表作に数えられそうな大河長編だ。

羊の目
伊集院 静
文藝春秋

このアイテムの詳細を見る


直筆で読む「坊っちやん」 (集英社新書 ヴィジュアル版 6V) (集英社新書 ビジュアル版 6V) (集英社新書 ビジュアル版 6V)
夏目 漱石
集英社

このアイテムの詳細を見る


さらば、テレビジョン

2008年08月07日 | テレビ・ラジオ・メディア
倉本聰さん脚本の連続ドラマ『風のガーデン』が、この秋、フジテレビで放送される。

4日に、舞台となる北海道・富良野で、出演者などの「囲み取材」が行われ、昨日(6日)、スポーツ新聞各紙に記事が掲載された。

その中で、「スポニチ」に載った倉本聰さんの談話が、胸にずしんと響いた。

話の概要としては、こうだ。

連ドラは「これが最後だなという気がした」と倉本さん。続けて「連続ドラマはしんどいし、作っているスタッフもどんどん世代が違ってきているし…」。

さらに、「かつては知恵を使って作っていたが、今は知識でものを作るようになった」。それは「(一緒にやってきたスタッフが)役付きになり、現場から離れ、技術や知恵が伝承」されないためで、結果「役者を含めて現場がものすごく悪くなった」というのだ。

いや、それだけではない。「質は考えず、視聴率だけで評価するようになってしまった。脚本家、演出家、役者を悪くしていったのはテレビ局に責任があると思う」と、痛烈な批判まで述べている。

多くの読者は「突然、何を言い出したんだ」と思ったことだろう。しかし、まったく突然でも唐突でもない。ある意味で、倉本さんほど、ずっとテレビ局と闘ってきた脚本家はいないのだ。

それは、大物脚本家の我がままとか、傲慢とか、そんなレベルの話ではない。「何かを創ること」「創造すること」の根幹が揺らぐような事態となったとき、倉本さんは決然として、闘うべき相手と闘うことになる。たとえ、それが「仕事の場」であるテレビ局であっても。

1974年、倉本さんはNHK大河ドラマ『勝海舟』の脚本を書いていた。ところが、ドラマ作りに対する根本的な考え方の相違から、制作側とぶつかってしまう。そして、『勝海舟』を降板する。大騒ぎとなった。

単身、北海道へと向かった倉本さん。もちろん、仕事はない。脚本家を廃業し、トラックの運転手になろうか、とさえ思っていた。

その倉本さんに、「今こそドラマを書くべきだ」と応援したのが、フジテレビの人間だった。彼らの気持ちに応えて、倉本さんは書いた。伝説の連ドラ『6羽のかもめ』である。あの『北の国から』が生まれる7年前のことだ。

内部分裂して、メンバーが6人だけになってしまった新劇団「かもめ座」。彼らと、彼らを取り巻く人間模様を通じて、テレビ界の「内幕」を徹底的にえぐる、という内容だった。業界内では大いに話題となったが、表向きはNHKを「病気で降板」だったから、別の名前で書いたという裏話もある。

その『6羽のかもめ』。最終回のサブタイトルがすごい。なんと、「さらば、テレビジョン」。そして、この最終回に、このドラマを伝説化させた、あの長台詞が出てくるのだ。

ドラマの中では、1980年という「近未来」になっている。テレビの余りの愚劣化ぶりに、政府はテレビ禁止令を発動。家庭のテレビ受像機は没収され、テレビ局も閉鎖となる。その最後の日、テレビ局のお別れパーティで、酔っ払った放送作家が叫ぶのだ。

「テレビドラマは終わったンだ!!
 テレビに於けるドラマの歴史は、くさされっ放しで終わったンだ。
 いいじゃないかその通リ!!
     (中略)
 だがな一つだけ云っとくことがある。
 あんた! テレビの仕事をしていたくせに
 本気でテレビを愛さなかったあんた!
 あんた! テレビを金儲けとしてしか考えなかったあんた!
 あんた! よくすることを考えもせず
 偉そうに批判ばかりしていたあんた!
 あんた! それからあんた! あんた! 
 あんたたちにこれだけは云っとくぞ!
 何年たっても
 あんたたちはテレビを決してなつかしんではいけない。
 あの頃はよかった、
 今にして思えばあの頃テレビは面白かったなどと、
 後になってそういうことだけは云うな。
 お前らにそれを云う資格はない。
 なつかしむ資格のあるものは、
 あの頃懸命にあの状況の中で、
 テレビを愛し、
 闘ったことのある奴。
 それから視聴者ーーー愉しんでいた人たち」

これが1974年当時の倉本さんの叫びだ。そこには、「こうなっちゃいけないぜ」というテレビへの強烈な想いがある。いや、「さらば、テレビジョン」などと俺に言わせるなよ、というテレビに携わる人間たちへのメッセージでもあったのだ。

後年、倉本さんは、冬樹社から出た記念すべき初エッセイ集に、「さらば、テレビジョン」のタイトルをつけた。

また、2001年に出版された自伝的長編エッセイ『愚者の旅―わがドラマ放浪』の最終章で、倉本さんはこう書いている。

 二十年間書きつづけてきた
 「北の国から」が終わることになった。
 様々な事情が重なって
 局から終了を宣告されたのだが、
 僕にとっては只無念だった。
 生きている限り書き続けようと思っていたものを、
 突然止めると云われた気持ちは、
 一寸文章に表し難い。
 その最終回のサブタイトルを、僕は「遺言」という言葉にした。

そりゃ、「事情」は山ほどあっただろう。しかし、「宣告」であり、「突然」であり、「只無念」である。苦い。苦い文章だ。こうした苦さを、倉本さんはずっと胸中にもちながら、『優しい時間』や『拝啓、父上様』を書き続けてきたことになる。そして、『風のガーデン』も・・・。

10月からの『風のガーデン』。いろいろな意味で、楽しみになってきた。倉本さんが「最後の連ドラ」と呼ぶのなら、こちらも覚悟して拝見しようと思うのだ。

さらば、テレビジョン (1978年)
倉本 聡
冬樹社

このアイテムの詳細を見る


愚者の旅―わがドラマ放浪
倉本 聡
理論社

このアイテムの詳細を見る

発想は極端な細部から生まれる

2008年08月06日 | 本・新聞・雑誌・活字

昨日(5日)の午後、甲子園の野球中継を見た。我が「故郷」信州の代表である松商学園と、現在の「地元」神奈川の慶應高校の試合だ。

北神奈川大会決勝は、慶應が東海大相模を相手に逆転また逆転の、とんでもない展開だった。また、今年は慶應義塾全体が創立150周年で盛り上がっており、そこへ46年ぶりの甲子園だ。

出身大学であること、過去に8年間教壇に立っていたこと、現在、大学と中学校の両方に子どもたちがお世話になっている(ダブルで搾取されている?)ことなどから、甲子園に、慶應の校歌(小学校から大学まで共通)である「塾歌」が流れるのを聞いてみたかった。

その一方で、子ども時代から甲子園での戦いを応援してきた松商に対しても、「頑張って、まずは一勝をゲットしてくれい!」と思ったりして・・・。

とにかく、両方を応援させてもらいます、のスタンスではあったが、結果は6-4で慶應高校の勝ち。最終回の松商の追い上げには拍手だった。


夜10時からは、NHK『プロフェッショナル・仕事の流儀スペシャル』を見る。80分の拡大版で、「特集・宮崎駿のすべて“ポニョ”に独占密着2年300日」。長期密着で、宮崎作品が作られていくプロセスを追いながら、宮崎監督そのものへ迫ろうとしていた。

まず、「よくぞ、これだけ撮らせたなあ」と思う。もちろん、カメラが回っている限り、監督がまったくの「素」の状態であるはずはない。基本的には「撮られてもいいもの」を撮らせているわけだが、それでも、1本のアニメ作品を生み出すことの凄さの一端は垣間見られた。それだけでも十分価値がある。

それと、作品の中に、監督の「お母さん」が投影されていることも、よく分かった。長く病いと闘いながら生きたという母上の写真が印象的。「トトロ」に出てくる、療養中の、メイとサツキのお母さん、そのままだ。

圧巻は、絵コンテの大詰めで、考えに考え抜く、ぎりぎりまで粘る監督の姿だ。まるで、「映画の神様」みたいなものが降りてくるのを待つ、みたいな状態。自分を信じるというより、映画を信じることで、必ず何かが生まれるこを体験的に知っているのだろう。

ジブリの鈴木敏夫プロデューサーの新著『仕事道楽~スタジオジブリの現場』(岩波新書)にも、宮崎監督の「映画作法」の話が出てくる。

監督にとって、企画は半径3メートル以内に、いっぱい転がっていること。その発想は、極端な細部から生まれること。結末が決まらないまま作画に入ること。そして、登場人物への思い入れなど。番組と重ねて読むと、より納得がいく。

1979年の『ルパン三世・カリオストロの城』から、2004年の『ハウルの動く城』まで、宮崎駿監督作品は全部リアルタイムで、劇場で見てきた。見に行くタイミングを計っていた『崖の上のポニョ』だが、この番組のおかげで、そろそろ行こう、見てみなきゃ、と思った。

仕事道楽―スタジオジブリの現場 (岩波新書 新赤版 1143)
鈴木 敏夫
岩波書店

このアイテムの詳細を見る

ゴールまで走りきるしかない乱暴さと潔さ

2008年08月05日 | 本・新聞・雑誌・活字

原宿にある朝日ニュースターのスタジオへ行き、『ニュースの深層』に生出演してきた。55分番組とはいえ、司会者である東海大准教授の金慶珠さんの達者な日本語に感心し、その質問に答えているうち、あっという間に終わってしまった。

いやあ、生放送はいい。まず、あの緊張感。そして、スタートしたら、多少間違おうが、トチろうが、論旨からはずれようが、とにかくゴールまで走りきるしかない乱暴さと潔さ。

かつて、テレビの草創期には、すべての番組が生放送だったわけで、タイムマシンでもあれば、スタジオを覗きに行ってみたいものだ。

今回の話題の中心は、視聴率だった。関東の、わずか600軒のサンプル家庭が、日本のテレビの<生殺与奪>を握っているという、冗談みたいなホントの話。「ビジネスとしてのテレビ」にとっては必要な数字だが、「創造や文化としてのテレビ」にとって、なかなか侮れない脅威の数字だ。

「創造・文化」と「ビジネス」。これが両輪であるなら、その大きさがほぼ同じでないと、テレビというクルマは真っ直ぐ進んでいかない。視聴率の話は、そんなテレビの本質への取っ掛かり、入り口のつもりだった。なので、”本編”はまた次の機会に、ということにしたい。

そうそう、番組の冒頭で、金さんが私の本『テレビの教科書』を手に持って紹介してくださった。恐縮です。

テレビの教科書―ビジネス構造から制作現場まで (PHP新書)
碓井 広義
PHP研究所

このアイテムの詳細を見る


ちなみに、出演した朝日ニュースター『ニュースの深層』の、今後の再放送は、以下の通りです。

8月8日 (金)  :深夜3:00~3:55
8月10日(日)  :深夜2:00~2:55

黄金時代が昔なら、今は何時代?

2008年08月04日 | テレビ・ラジオ・メディア
今日(4日)は、昼間が大学、夜は朝日ニュースター『ニュースの深層』の生出演、というスケジュールになっている。

「テレビの現在」「テレビの裏側」というお題をいただいているので、自分なりに最近のテレビに関して、考えていること、思うところを整理しておくつもりだった。

ところが、ついつい本棚に目が行って、好きな本を引っ張り出してしまう。たとえば、今夜のテーマに関連して、小林信彦さんの『テレビの黄金時代』(文藝春秋)。手元には、2002年に出版された単行本と、05年の文庫本の両方がある。それくらいの名著なのだ。

写真の歴史が約200年。映画がだいたい100年だとすると、日本のテレビは半世紀と少し。正確にいえば、1953年に始まった日本のテレビ放送は、今年で55年になる。例の「日テレ、ゴー、ゴー(55年)」ってやつだ。

かつて、日本テレビ初代社長である正力松太郎が仕掛けた「街頭テレビ」に集まった群衆は、この新しい“娯楽の箱”に熱狂した。今、視聴者は、残された新橋駅前の写真のような熱い表情でブラウン管を、いやテレビモニターを見つめているだろうか。

小林さんはいう。「テレビの黄金時代」の始まりは1961年から62年、終わりは72、3年だと。わずか10年だ。『若い季節』『夢で逢いましょう』『シャボン玉ホリデー』などが61年に始まり、最も長く続いた『シャボン玉』が72年に終了している。

この時期、小林さんは、日本テレビの伝説的ディレクター・井原高忠の番組で台本を書き、NHKの番組に出演し、またタレントプロダクションにとってのアドバイザー役も務めていらした。つまり、黄金時代の“中核”を生で体験しているのだ。

しかも、そこには作家・小林信彦としての冷徹な目が利いている。

「はっきりいって、放送の時点で、『てなもんや三度笠』や『シャボン玉ホリデー』を正しく評価したのは、ぼくだけである」・・・こう書ける人は滅多にいない。この本の“面白さ”と“苦さ”の元は、まさにそこにある。

さあ、今夜の生放送では、テレビについてどんな話をさせていただこうか。

テレビの黄金時代 (文春文庫)
小林 信彦
文藝春秋

このアイテムの詳細を見る


遠くて近い「昭和」という時代

2008年08月03日 | 本・新聞・雑誌・活字

毎週、書評を書いている週刊誌が、この時期になると「合併号」を出し、編集部も1週間の夏休みとなる。おかげで、普段は<新刊>を中心に本を読んでいる私も、しばし<旧作>をゆっくり読むことができる。

今日は、以前から読みたかった本田靖春さんのノンフィクション『誘拐』(ちくま文庫)。

「義展ちゃん誘拐事件」といっても、もう知らない世代が多いけれど、1963年に起きたこの事件のことは、子どもだった私にも強烈な印象を残している。「小原保」という犯人の名前がすっと出てくるほどだ。当時、日本中の、幼児をもつ親たちを震撼させ、各家庭で話題となったからだろう。

ごく普通の家庭に育った、何の罪もない4歳の男の子が誘拐された。警察は犯人を取逃がす失態を演じ、やがて犯人が逮捕されたとき、幼児は遺体となって発見された。

1963(昭和38)年といえば、東京オリンピックの前年であり、小林信彦さんが何度かエッセイで書いているように、東京という街が大きく変貌した年だ。お祭りの前の、どこか景気のいい、ちょっと浮かれたような空気もあった東京で、こんな陰惨な事件が起きていたのだ。

本田さんは犯人側、被害者側、警察側、それぞれについて綿密な取材を行い、新聞報道だけでは明らかにならなかった、事件の背後にある「真実」までを描き出した。結果、この作品は、講談社出版文化賞などを受賞している。

読み進めていくと、事件が起きた当時が「貧困と高度成長が交錯」する時代であり、また東京がそういう都会だったことが分かる。犯罪は、それを行った者に帰することは当然だが、同時に、時代や社会と完全に無縁のところで発生するものではない、と思えてくる。

この文庫の「解説」は、本田さんと同じくノンフィクション作家の佐野眞一さん。『誘拐』が「戦後ノンフィクションを代表する傑作である」と述べた上で、読むべきは「高度経済成長が謳いあげたバラ色の夢の裏側に付着したディティール世界の物悲しさである」としている。

いろいろな意味で、「昭和」を強く感じさせる一冊だった。

誘拐 (ちくま文庫)
本田 靖春
筑摩書房

このアイテムの詳細を見る


昨日、2日の午後、赤塚不二夫さんが亡くなった。72歳だったという。先月、泉麻人さんの『シェーの時代~「おそ松くん」と昭和こども社会』(文春新書)について、このブログで書いたばかりだ。私も小学生時代から、たくさんの漫画で楽しませていただいた。感謝です。合掌。

*****************************

<お知らせ>

8月4日(月)、
CS放送の
朝日ニュースター『ニュースの深層』に、
ゲスト出演します。

テーマは「テレビというメディアの現在」。

テレビが抱える様々な課題をめぐって、
55分間(!)語ります。

■8月4日(月)20時~20時55分 生放送

 『ニュースの深層』 朝日ニュースター

  番組Webサイト 
  http://asahi-newstar.com/program/shinsou/

■再放送日時
8月4日(月)  :深夜0:00~0:55、
          深夜2:00~2:55、
          翌朝6:00~6:55
8月5日(火)  :午後1:00~1:55
8月8日(金)  :深夜3:00~3:55
8月10日(日)  :深夜2:00~2:55

可能でしたら
ぜひ
ご覧ください。

目を見て語れ、恋人たちよ

2008年08月02日 | 本・新聞・雑誌・活字

昨夜、日本テレビ創立55周年記念の冠のついたドラマスペシャル『ヒットメーカー 阿久悠物語』を見た。8月1日は、昨年亡くなった阿久さんの、ちょうど一周忌だったのだ。合掌。

物語は、日テレらしく、1971年に始まったオーディション番組『スター誕生!』の成功が軸となっていた。

また、「スター」としては、この番組で見出され、同じ72年にデビューした森昌子、桜田淳子、山口百恵の「花の中3トリオ」、そしてピンクレディーが中心だ。

全体は、当時の歌手などの実際の映像と、再現ドラマを組み合わせた作り。当時の局やスタジオ、番組のセットなどを「再現」していた。

それを背景に、当時の歌手に似せた役者がマイクの前に立ち、そこに「本人」の歌声をかぶせていたが、見る側からすれば、もっともっと「実物」の映像を見たかった。

阿久さんを演じたのは田辺誠一だ。ちょっと生真面目すぎる雰囲気と、聞き取りづらいセリフ回しが残念。なかなか実際の阿久さんと重ならない。

実録モノとはいえ、ドラマはドラマであり、無理は言えないが、阿久さんがなさった「仕事」の凄さをもう少し伝えるものにならなかったか。


1998年に出版された、阿久さんの『テレビ、このやっかいな同居人』が、先日、朝日文庫となって、今、書店に並んでいる。

テレビで仕事をし、テレビを育て、テレビをとことん知る人の、テレビに対する愛憎が、じわりと伝わってくる評論風エッセイ集だ。

かなり辛口。この本の中のインタビューでは、「テレビ」について、こんなふうに語っている。

   つくづくテレビジョンというものは、
   悪魔の発明だと思ってしまう。

   「テレビは人格を狂わすことがありますので、
   見方には気をつけてください」と
   絶対明記しなきゃ駄目だと、
   ぼくは前からいってるんですよ。

   鎮静のつもりが煽動となり、
   警告のつもりが宣伝になり、
   糾弾のつもりが評価になる。

これが書かれてから10年経った現在、当時以上に核心をつく言葉だと思う。


もう一冊、これは阿久さんとの直接の思い出につながる本。97年の『書き下ろし歌謡曲』 (岩波新書)だ。阿久さんが、誰から依頼されたわけではなく、曲が付いて発売される予定もなく、ただひたすら100篇の「歌詞」を書き下ろした。

97年当時、慶應SFCのゼミで、この本を取り上げた。学生たちがグループに分かれ、それぞれに、この本の中から1篇の歌詞を選ぶ。そして、その歌詞のイメージを映像作品にしていったのだ。

この企画について、阿久さんにご相談すると、すぐに快諾してくださった。それだけでなく、学生たちへの自筆の「メッセージ」まで頂戴した。ゼミ生たちは大いに発奮し、各グループがなかなかの”力作”を生み出す。その映像作品は、完成後、阿久さんに送らせていただいた。

このとき、阿久さんの歌詞と”格闘”したゼミ生たちも、今や30代になる。あちこちの放送局、制作会社、広告会社などで、忙しく働いている。

ドラマ『阿久悠物語』のエンディングテーマは、高橋真梨子さんの新曲「目を見て語れ、恋人たちよ」だった。

実は、この曲の歌詞は、『書き下ろし歌謡曲』の中の1篇なのだ。しかも、11年前、この詞を選んで映像化したチームがあった。彼らは、このドラマを見ているだろうか。そして、この曲を聴いているだろうか。高橋さんの、艶のある歌声を聴きながら、そんなことを思っていた。

テレビ、このやっかいな同居人 (朝日文庫 あ 44-1)
阿久 悠
朝日新聞出版

このアイテムの詳細を見る


書き下ろし歌謡曲 (岩波新書)
阿久 悠
岩波書店

このアイテムの詳細を見る


******************************

   <番組出演のお知らせ>

8月4日(月)、
CS放送の朝日ニュースター『ニュースの深層』に、
ゲスト出演します。

テーマは「テレビというメディアの現在」。

テレビが抱える様々な課題をめぐって、
55分間、語ります。


■8月4日(月)20時~20時55分 生放送

 『ニュースの深層』 朝日ニュースター

  番組Webサイト 
  http://asahi-newstar.com/program/shinsou/

■再放送日時
8月4日(月)  :深夜0:00~0:55、
          深夜2:00~2:55、
          翌朝6:00~6:55
8月5日(火)  :午後1:00~1:55
8月8日(金)  :深夜3:00~3:55
8月10日(日)  :深夜2:00~2:55

「北の国」から届いた新聞

2008年08月01日 | テレビ・ラジオ・メディア
はるばる札幌から、新聞が届いた。先週金曜の北海道新聞に、「医療ドラマ」についてのコメントが載ったので、掲載紙を送ってくださったのだ。記事を書いたのは北海道新聞の西村章さんだ。

西村さんは、メディアや放送関係を担当して大活躍の文化部記者。道内における北海道新聞のシェアは圧倒的だから、道民の皆さんの多くが、西村さんが書くテレビについての記事を日々読んでいることになる。私も北海道にいた6年間、その署名入りの特集記事やコラムを楽しみにしていた。

今回も、私のコメントを織り込みながら、分かりやすい記事を書いてくださった。感謝です。

******************************

<2008年7月25日付 北海道新聞・夕刊> 

    究極のテーマ「生と死」に支持

七月から始まった各局夏ドラマの初回視聴率で「コード・ブルー」は二位と好スタートを切った。同じ医療ドラマの「Tomorrow」も15%近い視聴率を獲得。視聴者の医療ドラマへの関心の高さを裏付けた。

「コード・ブルー」はヘリで現場に飛び、救命医療を行うフライトドクターを目指す若手医師の群像劇。主演は山下智久。疾走感ある演出で緊迫する救命現場を描く。「Tomorrow」は市立病院再建に挑む医師(竹野内豊)と看護師(菅野美穂)が奮闘するストーリー。公立病院の赤字、医師不足など問題山積の地方医療の現状をタイムリーに取り上げている。

難解な医療用語が飛び交い、時に凄惨な描写もある医療ドラマ。だが、過去にも人気を集めてきた。二〇〇〇年以降だけを見ても、平均視聴率で15%以上を得る作品が多数生まれている。例えば、「白い巨塔」。唐沢寿明主演の「平成版」は平均27・7%、最終回は39・4%もの高視聴率を記録したほどだ。

東京工科大メディア学部の碓井広義教授は「医療ドラマはどんなにエンターテインメントの要素を含んでいても、本質的に社会派ドラマ。若者狙いの軽いドラマに飽き足らない視聴者にとって社会派ドラマは大歓迎」と分析する。

碓井教授は、市民の間に医療への危機感・不安感が充満していること、にもかかわらず、医学界の内部がなかなかうかがいしれないことなどを背景に「市民の医療への関心が医療ドラマ支持へとつながっている」と指摘。さらに、「医師には『強き(病気)をくじき、弱き(患者)を助ける』ヒーローの要素がある。医療ドラマは、生と死という究極のテーマを扱うヒーロードラマ」であることも支持される要因に挙げる。

過去のヒット作を見ても「白い巨塔」や「ブラックジャックによろしく」は医学界の内幕をえぐり、「救命病棟24時」では過酷な救命現場の現状を描写。「医龍」は天才外科医というヒーロー像を強烈に印象づけた。

ドラマだけでなく、海堂尊「チーム・バチスタの栄光」、東野圭吾「使命と魂のリミット」、久間十義「生命徴候あり」など、市民の医療への関心は、医療小説の隆盛からもうかがえる。碓井教授は「医療自体が持つドラマチックな要素を医療小説が証明した形。制作者が医療ドラマに向かう際の自信につながっている」と話している。

(注)文中の視聴率は、いずれもビデオリサーチ、札幌地区の調査結果です。

******************************

新聞を丸ごと送ってくださったので、他のページにも目を通す。

一面の見出しは「ああ、節約の夏休み」。26日から道内の小中学校が夏休みに入ったが、ガソリン高騰でマイカーでの遠出が減って、鉄道やバスによる日帰り旅行などが人気だと伝えている。写真はJR札幌駅に停車中の「旭山動物園号」だ。ホームを行く親子連れが楽しそう。

いいなあ、旭山動物園。行きたいなあ。結局、北海道にいる間、一度も行けなかった。うーん、本は何冊か読んだんだけどなあ。

旭山動物園の奇跡

扶桑社

このアイテムの詳細を見る


旭山動物園物語 (樹立社ライブラリー・スペシャル)
古舘 謙二,篠塚 則明
樹立社

このアイテムの詳細を見る


「旭山動物園」革命―夢を実現した復活プロジェクト (角川oneテーマ21)
小菅 正夫
角川書店

このアイテムの詳細を見る