goo blog サービス終了のお知らせ 

碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

アトランタから北京へ、五輪の暑い夏

2008年08月09日 | テレビ・ラジオ・メディア
北京オリンピック開会式の生中継を見た。そりゃ、まあ、今回のオリンピック自体に関しては、いろんな角度からの、いろんなツッコミが可能なのは承知だが、一つの「メディア・イベント」として、またチャン・イーモウ監督のプロデュース作品として、この開会式を眺めていた。

何しろ4千年の歴史がバックにあるわけで、それを歴史絵巻風に見せていた。世界三大発明といわれる『活版印刷』『羅針盤』など、「世界中の皆さんが、その恩恵に浴しているけど、元をただせば本家はウチだもんね」と、しっかりアピール。『火薬』だって、市内全域を使った花火で、十分に見せつけた。

1時間以上に及ぶ壮大なパフォーマンス。ハイテク、いやデジタル技術を駆使しつつも、お家芸のワイヤー・アクションから人海戦術まで、その怒涛の演出の連打、お見事でした。

特にワイヤー・アクションは、最後の聖火にまで生かしきり、チャン・イーモウ監督の『HERO』や『LOVERS』といった武侠映画をナマで見るようだった。

また、とてつもない数の人間が登場し、連続した見せ場を作っていくことに、やはり圧倒された。13億人から選ばれて出てくるんだから、巨大な舞踏集団として半端じゃないってことだ。競技のほうも、とんでもない選手が登場しそう。


思い出すのは12年前の夏だ。1996年7月20日、アトランタ五輪の開会式の会場にいた。アメリカ南部特有の、強烈な蒸し暑さの夜だった。

2年後に開催される「長野オリンピック」の<開会式制作>の仕事をしていて、浅利慶太さん率いる「総合プロデューサー・チーム」の方々と共に、視察に行っていたのだ。このアトランタの開会式は、その強烈なエンターテイメント性と、あまりの長時間が批判されたりした。確かにその通りだったしね。

ただ、あのモハメド・アリが聖火の点火をする姿は、現場で見ていて、ちょっと泣けた。

オリンピックの開会式、実は、たった2つのことを行うためにある。一つは、世界からの選手を「お迎えする」こと。そして、もう一つが、開会を「宣言する」ことだ。この2つさえあれば、開会式の目的は達成できる。アトラクションやショーは、あくまでもオマケなのだ。

オリンピックは、本来、「国」ではなく「都市」が開催する。とはいえ、オリンピック全体もそうだが、一番目立つ開会式も、いわば「国家的イベント」である。ましてや、現在の中国。世界に向けて、「やったね」といわれるものにするしかない。まずは開会式は無事成功した。

あとは、競技。テロなどの非常事態が起きぬことを祈るばかりだ。その上で、日本選手の活躍もいいが、とにかく「世界レベル」というものを楽しみたい。

現在、手持ちの北京五輪関連本、以下の通り。結城和香子さんの中公新書は前回のオリンピックの年に書かれたものだが、「五輪ビジネス」にも言及していて興味深い。篠山紀信さんの写真集も、(これに限らず)一種の<世界レベル>だと思うのだ。

オリンピック物語―古代ギリシャから現代まで (中公新書ラクレ)
結城 和香子
中央公論新社

このアイテムの詳細を見る


北京オリンピック放送をぜんぶみる ! 2008年 9/1号 [雑誌]

NHKサービスセンター

このアイテムの詳細を見る


VENUS北京―篠山紀信北京オリンピック女子アスリート写真集 (サブラムック)

小学館

このアイテムの詳細を見る