『東京新聞』に連載中のコラム「言いたい放談」。
今回は、映画「いちご白書」のニュープリント・デジタルリマスター版を観たことから始まります。
「いちご白書」から40年
新宿の映画館で「いちご白書」のニュープリント・デジタルリマスター版を観た。一九七〇年の作品だから、スクリーンでの再会は約四十年ぶりとなる。
キム・ダービーは相変わらず可憐で、こんな女の子がバリケードの中にいたら、つい闘争に参加しちゃう青年がいてもおかしくない。
あらためて、この映画は“時代の空気感”のようなものをフリーズドライしているところに価値があると思った。
公開から五年後の七五年、バンバンが歌った「『いちご白書』をもう一度」がヒットする。
歌詞の中に、それまで無精ひげと髪を伸ばしていた主人公が就職することを決めた時に髪を切り、恋人に「もう若くないさ」とやや自嘲気味に言い訳するシーンがある。
この時代、学生から社会人になるということは、そういう一面も含んでいたのだ。
例年より二ヶ月遅れの今月、大学三年生の就職活動がスタートした。新品のスーツでキャンパスを闊歩する彼らに、就職できるかという不安はあっても、全共闘的葛藤はない。
現代の男子学生で無精ひげや長髪はもともと少数派だし、多くの女子学生も髪の色は既に黒に戻している。
そんな彼らに伝えたいのは、世の中には想像以上に多様な仕事があり、企業が存在するということだ。頭は柔軟に。選択の幅は広く。就職自体が人生の一通過点に過ぎないのだから。
(東京新聞 2011.12.14)