毎月、『北海道新聞』に連載している「碓井広義の放送時評」。
今回は12月ということで、「2011年の放送界を振り返る」をテーマに書きました。
震災、地デジ化・・・2011年回顧
原発事故 必要な調査報道
原発事故 必要な調査報道
3月の東日本大震災を契機に、メディア全体がその存在意義や価値を厳しく問われる1年となった。
傍観者的な民放
震災の初期報道ではテレビ5波とラジオ3波を投入したNHKの総合力が際立った。総合テレビで被害状況を伝えながら、EテレやBSが「被災者のための情報」を流し続けたのだ。
対する民放は「被災地以外の所にいる人たち」向けという傾向が強い。家屋が押し流される〝衝撃映像〟と行方不明者の数など統計情報が中心で、どこか視聴者の傍観者的な興味に迎合する印象さえあった。
一方、見直されたのがラジオだ。たとえば岩手放送は緊急自家発電によって放送を継続。ツイッターなども活用しながら安否情報の収集と発信、避難者名簿の読み上げを続けた。ラジオならではの温かみや人間性が感じられ、被災者の心に寄り添う放送となった。
また、その後の原発事故報道に関しては、「本当のことを知らされていないのではないか」という視聴者・国民の不信感が現在も続いている。
政府や電力会社側から出た情報をそのまま流す「発表報道」が多かったからだ。現場で何が起きているのか、自分たちはどうすればいいのかという疑問に答えるためにも、メディアが独自に取材、調査して伝える「調査報道」の強化が求められている。
番組は低品質化
さて、今年の放送界のもう一つのエポックが7月24日の「地デジ完全移行(東北3県を除く)」である。各家庭の負担で高画質・高音質は実現したが、番組の中身はむしろ低品質化しているのが現状だ。
全民放で総額1兆円を超す設備投資は、広告費の落ち込みとともに経営を圧迫し、その対策としての「制作費削減」が続いている。スタジオにお笑い芸人やタレントを集め、内輪の笑いに終始するお手軽な番組が目立つようになった。
逆にBSやCSとの垣根を低くしたのも地デジ化だ。地上波に飽き足らず、質の高いドキュメンタリーや紀行番組の多いBSへと〝移行〟する人たちが急増している。
ドラマでは「家族」「命」をテーマとする社会派の番組が目立った。フジテレビ「それでも、生きてゆく」、TBS「生まれる。」などだ。
そこには明らかに東日本大震災の影響がある。視聴者も制作者も生き方や価値観を無意識のうちにとらえ直し、一番身近な共に生きていく者、つまり家族に目を向けたのだ。
さらに子役・芦田愛菜をブレイクさせたフジテレビ「マルモのおきて」で描かれた肩の力の抜けた家族のつながり方も、見る者を癒やす効果があった。
◇次回は2012年1月10日(火)に掲載します。
(北海道新聞 2011.12.05)