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明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

「大グモvsかおり」の巻

2011-07-09 21:41:37 | 生活
この間、夫の部屋に入ったら、床に何やら黒い物体が……

ムカデ!!

うちは山の中にあり、ムカデ、クモ、ダンゴ虫、カマキリ、よくわからない黒にオレンジ模様の毛虫などなど、
家の周りにはそんな虫がウジャウジャいるので、多少のことには驚かない。

しかし、家の中はふいうちやね……
心臓止まるかと思った。

それも大ムカデで、体長15センチ近くある。
こんなヤツに家の中で逃げられたら、ゆっくり眠ることもできないので、あわてて殺し道具を用意。
自分の部屋にあったいらない雑誌を丸めて持って来て、

スパーン!!

一発でしとめてやった。

無駄な殺生をしてしまったが、不法侵入なので仕方がない。
ムカデは刺されるとえらいこっちゃなので、正当防衛である。

3日ほど前も、トイレに行こうと思って廊下に出たら、またムカデ!!

今度は8センチくらいで小さめ。
玄関付近だったので、今度は靴でスパーン!としとめた。

しかし、なんで家の中にこんなのがいるんだ?!
どっから入ってくるねんな……
危険やなぁ。
小さい子供とかいたら、ほんまこわい。

夫が帰ってきてその話をしたら、めっちゃびびっていた
我が家では、虫退治は私の役割である

そして、昨日。

飲みに行って夜中に帰宅すると、夫がリビングで立ちすくんでいた。

そして、情けない声で「かおり~クモがいる~」という。

はぁ……、クモくらいで情けない……
小さなクモなら私はつかんで外に出してやるのだが、夫はそれを見ていて驚き、
「かおりって、すごいなぁ…」と感心していたことがあった。

またクモか……、それくらい自分で外に出してよ……と思いながら、夫の指差すほうを見て驚いた。

タ、…タランチュラ?!

階段の壁に、手のひらくらいの大きなクモが這っていたのである。
さすがの私も一瞬ひるんだよ…
こんなのどこから入ってくるの?!

しかし、こんなのと同居なんてできないわけで。

夫が「殺す?」と聞いたが、クモは家の守り神というから殺せない。
だいいち、こんなでっかいの殺したら、その感触がとれずにしばらくうなされるで……!

「いや、逃がす。ちょっと窓開けて見張っといて!」
と言って、洗面所へタオルを取りに行った。
そして、それをムチのようにしならせ、大グモを窓のほうへと追いやった。
クモはなんとか窓のほうへ逃げてくれたので、外に出たらすぐに窓を閉めた。

よっしゃ!!

しかし、帰宅してすぐのこの格闘。酔いもさめるわ……こりゃ

夫はまた「かおりってすごい」と尊敬の目で私を見ている。

いやいや……男のあんたの仕事でしょ、これは

その後、布団を敷こうとしたら、夫がまた「かおりー!またクモー!」と呼ぶ。
見ると、1センチくらいの小さなクモがいた。
どう見ても、さっきのタランチュラの子供なのだ。
この家に引っ越してきてからいろんなクモと出会ってきたが、あのタランチュラは(タランチュラじゃないけど)すごく手足が長くてこれまでに見てきたクモとはちょっと違った。
そして、この小さなクモはその縮小型といってもいいほどそっくりだったのだ。

親とはぐれたんやな、と思うと、こんなクモにも同情と、チクリと罪悪感を感じる私。
さらに、あまりに小さいので動きが素早すぎて、捕まえることができない。
とりあえず害はないので放っておいてるが、夫はちょっとビクビクしている。

なかなかワイルドな家である。
私も強くなるわー

くるくるパーマ

2011-07-08 13:12:31 | 生活
夏は熱いので髪の毛をくくることが多い。

今年はくくったときにちょっと感じよくなるようにと思って、5年ぶりくらいにパーマをかけた。

結果は・・・

失敗

今はこう、エアリーに、ふわっとしたパーマが一般的なので、
私のようにストレート力の強い髪質は、そういうパーマがかかりにくい。

初日は気に入っていたのだが、2日目になると、もうとれてきたような……
カラーリングも入れて4時間もかかったのに!!

すごく中途半端だ。
もうただのクセ毛で、髪の汚い人みたいになっている……
もしくはパーマとれかけでずっと美容院行ってない人。

おろしているときはまだマシだが、くくると完全にパーマかクセ毛かわからない。
ボサボサの人がくくってるようにしか見えない。
なので、おろすしかない。

これじゃあ、パーマかけた意味ないやん!
ストレートのままにしておけばよかったと後悔。

濡れているときはいい感じにくるくるなので、これをなんとかキープしたいと、強めのスタイリング剤をつけたり、
ワックスで固めたり、いろいろやっているのだが、乾くとすぐにボサッとしてくる。
なんか思ってたのと違う……

今日は新たな戦法で、緩めの三つ編みにしている。
もちろん家にいる間だけで、出かけるときはほどくと、何もしないよりはくるくる度がマシ。

でも、こんなアナログで原始的なやり方ってどうよ?

中学生のとき、三つ編みをほどいたらくるくるになって「パーマみたい!」って喜んでたけど、あれと同じやん。

とりあえず1ヶ月だけ我慢して、ストレートに戻すか……
なんかいい方法ないのかなぁ?




守りたい人と、淋しさとの付き合い方

2011-07-07 22:54:24 | 生活
「感情」と「言葉」の溝を埋めるために、とりあえず書いていくことにする。

6月はいろいろと家族行事があった。
うちの実家の両親と食事に行った話は書いたが、その翌週には、夫の両親とも食事に行った。

夫の両親は、うちの両親とは正反対で、体が弱く、控えめで、良い意味で質素に真面目に生きている人たちだ。
だから、外に食事に行くということも、ほぼない。

そんな両親にたまには贅沢してもらおうと、天王寺にある料亭「まつむら」へ。
天王寺駅から徒歩3分なのに、全く違う場所に来たような静かな場所にある。
建物は大正時代からのもので、旅館に来たような雰囲気。

私も行ったことがないお店だったが、夫の実家から行きやすいということもあってそこにした。
そういう雰囲気のある建物で食事をすると、お母さんが喜ぶと思ったこともある。

案の定、お母さんは「旅行に来たみたいねー」と言って、少しはしゃいでいる。
その笑顔を見て、ホッとする。

通されたのは、本当に旅館の1室のような和室。
廊下からは中庭が見える。
紫陽花が咲いて、とてもきれいだった。

お母さんがまた嬉しそうにはしゃぐ。
なんだかそういう姿を見るだけで、じんとする。

お料理は普通においしかった。(写真は一部)









手も込んでいたし、ボリュームもあった。

もちろん私はペロリと食べられたが、小食な両親は食べられないだろうなと心配していた。
やはりお父さんは途中から箸が進まなくなり、後半はほとんど残してしまった。

うちの実家の父が、一瞬で口に放り込むような量が食べられない。
(夫が「かおりのお父さん、食べるの早すぎやろ…」と後で言うほど、父は早食いだ)

お母さんも残すだろうなと思っていたのだが、なぜかお母さんは残す気配なし。
最後まで「おいしいわ」と言って、ほとんど残すことなくコースを食べてしまった。
自分は大食漢なので、自分の基準ではよくわからないが(私は余裕だった)、
夫ですら、「おなかいっぱい」と後々まで言っていたことを考えれば、かなり量はあったはずだ。
なのに、あんな食の細いお母さんは全部食べてしまった。

私はそのことに、また胸が痛くなった。
お母さん、無理したんだ……

「珍しいお料理ばかり出るから、ついつい食べてしまったわ」と言っていたが、
お母さんの性格から考えれば、絶対無理して食べていたはず。
そういう人なのだ。

後で「旅行に行ったみたいで楽しかったです。外食をあまりしないので珍しいものばかり食べさせてもらって、嬉しかったです。ありがとう」とメールをくれた。

喜んでくれて本当によかったなと思うと同時に、慣れないことで帰ってからしばらく寝込んでいたんじゃないのかなと思った。
それくらい体の弱い人なので……。

お母さんは夫を産むときにも悩んだという。
体の弱さから死を覚悟して、夫を産んでくれた。
だから、今の私がある。
この世で一番恩のある人。
何があっても、絶対に守ると決めた人。

幸い、自分の両親が異常な健康体なので、私は夫の両親のことだけ考えられる。
もちろん、健康なうちの両親にも感謝。

結婚とは、守らなければならない家族が増えるということなんだな、と結婚後に知った。
そのためにも、自分は健康でいつまでもバリバリ働ける人間でいなければならない。
そういう責任を感じると同時に、4年経った今も、新しい家族ができたことを嬉しく思う。

結局のところ、私は人が好きなんだな・・・

でも、その反面、高校生のときから、1人でふらふらするのが好きだった。
誰でもいいから、浅い関係でもいいから、とりあえず人の中にいたいというタイプではなかった。
学校さぼって、喫茶店(カフェなんておしゃれなものが当時はなかった)に1人でいたりとか。

大人になってからも、ビールスタンドはともかく、1人でよくバーに行く。
最近は、高槻のベルギービールの立ち飲み屋によく立ち寄る。
考えてみれば、周りの人間は酒飲みが多いけど、女性で1人で飲みに行く人なんてそうそういない。
「1人なんて淋しくないの?」といわれることもあるが、そんな表面的な淋しさは私には関係がない。

私はいつも思うのだ。
最初から1人でいるということは、誰からも孤独にされないための最も有効な手段だと。

誰かといるのに孤独を味わうほど、淋しいことはない。
それを防御するためには、最初から1人でいればいいのだ。
それに、最初から1人なら、別れ際の淋しさを味わうこともない。

そんなことを思い、そこまでして孤独から逃げようとする自分は、なんて淋しい人間なんだろうとも思いながら、
またふらりと1人で飲み屋のドアを開ける。

「好きなこと」をもう語れない

2011-07-07 05:05:27 | 想い
変な時間にうたた寝してしまったせいで、こんな時間に目が覚めた。(5時)
布団で転がっていても眠れないので、起きて日記でも書くことに。

最近、「自分」と「文章を書く」ということの溝が深まる一方で、少しヤバイな、と感じている。

何に関しても「習慣」というものは力になる。
読み続け、書き続けていれば、自分の感情と綴る文字との距離はどんどん縮まる。
でも、いったんこの習慣が崩れると、自分の感情を綴ることが難しくなり、時間がかかる。
そのことにどんどん嫌気がさし、離れていく、という悪循環にもなりかねない。

もう一度、「習慣」を作らなければ、という気持ちでいる。

最近、読書もあまりしていない。
「本好き」だったはずなのに、おおっぴらに宣言できなくなってきた。

今日、仕事で知り合った古くからの友人Tさんと久しぶりに会って、本の話になった。
もう15年ほどの付き合いにはなるが、彼と会ったのはまだ合計10回程度。
なので、付き合いは長くても、お互いのことをあまり知らない。

「好きな作家って誰ですか?」と聞かれ、一瞬、言葉が出なかった。

こういうとき、できれば話は盛り上げたい。
わりと読書量はあるので、Tさんが好きそうな作家を挙げて、「いいですよねー」なんて話が続けばいい、というサービス精神まで働く。

しかし、彼の趣味まで深く知らないので、何を言っていいのかわからなかった。

「……村上春樹、とか」

失敗。
乗ってこなかった。

村上春樹が好きなのは、もちろん事実。
たくさんいる好きな作家の中で、できれば共通する人物を挙げたい。

「吉田修一、とか」
知らない。

「最近面白かったのは、高田郁の『みをつくし料理帖シリーズ』」
知らない。

「一昨日は、有川浩読んでた」
「あー・・・『阪急電車』の人」
知ってるけど、興味なし。

でも、こうやって話しながら、心の中で、「あれ?私って誰が好きなんだっけ?」とも思っていた。
昔は、別に人が知っていようがなんだろうが関係なく、「この人が好き!」と言える作家が何人かいたのだけど。

さっき、布団の中でぼんやりとそのことを考えていた。

自分が本当に好きな作家。

やっぱり川端か。
これはどうしたって不動の1位なのである。

最近読まなくなったとはいえ、自分にしみついているのは、やっぱり近代文学で。
昔は躊躇なく、川端康成、堀辰雄、安部公房を挙げていた。
それは、ちゃんと彼らの作品について「語れるもの」があったからだと思う。

堀辰雄にいたっては、大学3回生のときに1年かけて研究をやっていたし、
その頃書いていた小説は、文体が完全に堀辰雄の影響を受けていた。

谷崎も好きだったし、志賀直哉、太宰、漱石あたりは文学者として「基本」だったし、
田山花袋や樋口一葉、梶井基次郎も好きだった。

そういうことを、もう自分は「語る」ことが難しくなっていることに気付いた瞬間だった。

文学から随分遠く離れたところに来てしまったんだなぁ、と痛感。
少し寂しかった。

近代文学でなくとも、以前は好きな作家を挙げろといわれれば、
宮本輝、鷺沢めぐむ、それから、小説家じゃないけど、沢木耕太郎の名は必ず出た。
やはり彼らについても全作品を読み込んでいたし、「語れる何か」があった。

佐藤多佳子や伊坂幸太郎なども今よく読む作家だけど、
「あれ、面白かった」くらいしか、語れるものが見つからない。

だから「好きな作家」を挙げるときに、迷ったんだろうか。
私の「話を盛り上げたい」という変なサービス精神ではなく。

遠いなぁ……文学から。

Tさんは数年前から織田作之助が好きになり、ハマりきって、織田好きな人が集まる会にまで参加している。
芸術家肌で文学とは縁遠い人だと思っていたので、意外だった。
私はあまり興味がなかったので、細かな内容は話されなかったけれど、「どれほど好きか」ということは十分伝わる熱さだった。

自分にも何かそういう、「語れるもの」がもう一度欲しいな、と思った。

ランチとお茶の後、「中之島図書館」に行こうということになって、久しぶりに足を運んだ。
(織田文庫の資料を見たかったらしい)

大学4回生のとき、毎週のように通った場所。
大学の図書館蔵書は悲惨だったし、国文科研究室にもまともに卒論を書けるような資料はなかったので、よくここにお世話になった。

私は「中之島」という場所が好きだ。
明治時代に建てられた、ルネサンス様式の建物が並ぶ場所。
見ているだけで嬉しくなる。

ビジネスマンが闊歩する街なのに、一歩川へと降りると世界が変わる。
ぼーっとしている人、明らかに浮浪者……
そこは時間の流れが違った。

あの感じが好きで、私もよくそこでぼーっとしていた。

図書館の中にも久しぶりに入った。
懐かしい。
空気が以前と変わらなかった。
昔聴いていた音楽を久しぶりに聴いたときのような感覚。
その時代がよみがえってくるような。

図書館を出た後、橋を渡るときに、
「ここに来るといつも宮本輝を思い出す…」とつぶやいたら、Tさんが初めて反応した。
「宮本輝、読むんですか?」と。
ああ、共通項はこんなところだったのか、と思った。
随分回り道をしたものだ。

ここを歩くと、いつも宮本輝の『泥の河』を思い出すのだ。
今でもあの作品を読んだときの衝撃は忘れられない。
大学のとき、奈良から帰る近鉄電車で読んでいた。
電車が京都に停まった後も、言いようのない感動で、しばらくベンチから動けなかった。
「こういう文学を探していた、ずっと!」と思った。
ストーリーがどうだとか、そういうことではなく。
BLUESを聴いたときみたいに、soul to soulで文学を感じられたのだ。

後で知ったが、これは宮本輝のデビュー作で、氏は無謀にもサラリーマンを突然辞めて作家になると決め、この作品を書いたという。
後がない。
もう引き返せない。
自分がどうしても伝えたかったものを吐き出す!

そういった、鬼気迫るものすら、この作品からは染み出てくる。
それが、まだ20歳だった私の魂に、ドッカン!と直撃したのだ。

そして、自分も小説を書き出した。

でも、これももう「過去」の話。

今の自分には語れるものは何もない。

だから、Tさんにも特にこんな話はしなかった。
食いついてはくれたけれど、温度差があった、ということもある。

「宮本輝が読めるんだったら、織田作も読めますよ」
とTさんは言った。

「読めるんだったら」という言葉がひっかかった。
「いや、読めるも何も、あんなわかりやすい文学ないでしょう」と言ったが、
「わりと男の世界なんで、女性は苦手っていう人も多いんですよ」と言われた。
そうなのか?
私の周りは結構普通に読んでる人ばかりだけどなぁ、と思ったが、統計をとったわけではないので言わなかった。

その後、Tさんとは別れ、1人、梅田のビールスタンドで立ち飲みしながら考えていた。
最初に村上春樹とか、たまたま一昨日読んだ有川浩とか、そういう作家の名前を挙げてしまったから、流行作家のものしか読まない人と思われたんかなぁ、と。
文学なんて縁遠い人で、「やっと宮本輝が読める」レベルかと。
もうちょっと賢そうなことを言っておけばよかったな、と後悔。
でも、実際、今の自分は文学から遠いので、反論もできない。

「無趣味だよな……」とひとりごちて、家路をたどった。

多趣味なつもりでいたが、いつの間にか無趣味になっていることに最近気付いた。
読書量はガクンと減ったし、昔みたいに毎週のようにライブハウスに行くこともなくなったし、
子供の頃から夢中だったお菓子作りや手芸もほとんどしなくなったし、旅にも出なくなった。
料理は趣味とは言えるレベルのものじゃないし(好きやけど生活やから)、
「酒」というのは簡単だけど、なんだか悲しすぎる。。。

書くことまで遠ざかってしまった今、語れるものが何もない。

たまにこういうことを言うと、「めっちゃ趣味あるやん!」と言われるが、なんか違うんだよなぁ…
例えばBLUESひとつとって考えてみても、私は楽器も弾かないし、知識だって本当に好きな人と比べたらぜんぜん……

で、次に言われるのが「私だって特にないよ。別にいいんちゃう、なくても」という話。

そう。
別に趣味がなくてもいいのである。
好きなことはたくさんあるし、人生を楽しんでいるのだから、それでいいのだと思う。

ただ、なんか淋しいんだなー。
昔は寝食を忘れるほど夢中になれるものがあったし、それらに情熱を注ぐことで随分自分はいろんなものを得た。
知識であったり、感動であったり、技術であったり。
そういうものが何もない自分というのが淋しく感じられる。
でも、ただそれだけのことで、無趣味だからダメだと思っているわけではない。

だけど、文学に関しては、「宮本輝が読めるんだったら……」なんて人に言われるようじゃ、さすがにあかんやろ。
「文学部 国語国文学科 国語国文学専攻」出身やのに(笑)

こんなことをだらだらと綴っているうちに、すっかり夜が明けた。
雨が降り続いている。

明け方にこうして自分と向き合うのはいいな。とても静かな時間だ。

いろんなことを失っていってもいいけれど、「文章を書く」ことからはもうこれ以上離れたらいけないな、と思う。
少しずつ溝を埋めていこう。
「感情」と「言葉」の。

キャベツと豚肉の味噌炒め

2011-07-03 23:23:53 | 美味しいもの
追い込みも終わり、とりあえずこの土日は休みだった。
それも、久しぶりに何の予定もない休み。
本当の意味で「休んだ」。

また明日、朝から取材だけど……。
まあ、仕事がほどほどにあって、休みもきちんとあるというのがベストだから、いい感じかな。

先日、コメントをいただいた「キャベツと豚肉の味噌炒め」の件。
リーフさんへ
とりあえず、レシピをこちらに載せますので、よかったら作ってみてください。

【材料】
豚肉薄切り(ロースorバラ)150g
キャベツ 4分の1個
にんにく、しょうが 各1片
ごま油 大さじ1
塩・こしょう
いり胡麻 大さじ2

味噌だれ
・みそ 大さじ1
・酒 大さじ1
・みりん 大さじ2分の1
・豆板醤 小さじ1
・醤油 小さじ2分の1

【作り方】
1、味噌だれの材料を合わせて混ぜておく
2、キャベツと豚肉を一口大に切る
3、フライパンにゴマ油を熱し、にんにく、しょうがを弱火で炒める
4、豚肉、キャベツの順番に強火で炒めていく。塩コショウもふる
5、味噌だれを一気に入れて混ぜ合わせ、胡麻を振ってできあがり!

ちょうど材料が家にあったので、久しぶりに作ってみた。



この日の1人居酒屋。


夫、翌朝キャベツと豚肉の味噌炒めを食べて「うまい!」と絶賛。
初めて食べたようだった。
ということは、6年以上も作ってなかったのかな?

ちなみに、今晩のごはん↓



レタスの豚肉巻きを久しぶりに作ったら、こちらも夫が喜んでいた。
大好物らしい・・・

1人居酒屋もいいけれど、やっぱり「おいしい」と喜んでくれる人がいるのもいいな

とりあえず、この2日間はのんびりした~
(酒びたり・・・)