『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

●演劇鑑賞:『The Tempest』(福岡女学院大学・岩井ゼミ):上

2016年02月01日 21時26分33秒 | ●演劇鑑賞

 

 演劇鑑賞の魅力と難しさ

  筆者が「演劇鑑賞」を綴りたいとする最大の動機は、 “優れた舞台の感動を、せめて言葉を通して表現したい” との思いにほかなりません。それは同時に、舞台の「表現者」(総てのキャスト&スタッフ)に対する、筆者なりの “賛辞と敬意” を示すことでもあるのです。

  舞台終了後の「感想」において、『素晴らしい舞台でした。また観に来たいと思います』というだけでは、「表現者」に対して礼を失するような気がします。第一それでは、あまりにも芸がなさすぎるというものであり、何よりも筆者自身、大いなるフラストレーションに苛まれるでしょう。

  言い方を変えれば、“優れた舞台”とは、それだけで筆者自身の「鑑賞文」の作成意欲を掻き立てるものといえるのです。何とか「鑑賞文」をまとめることができたとき、新たな発見と次の課題を手にしたような気分になります。それは同時に、多少なりとも筆者自身が自己の成長を感じる瞬間でもあるのです。

 そういう意味において、『The Tempest』のきちんとした「演劇鑑賞」に着手できなかったことは、筆者にとっては何よりも辛いものでした。

 もう半年以上も前になりますが、718日付の本ブログにおいて、「陰湿集団」の『通話する男、森を忘れるな』の「演劇案内」をした際に、78に観た同舞台の感想に簡単に触れ、《後日、きちんとした「演劇鑑賞」を書きたいと思っている》と結んでいました。その感想は、おおむね次のようなものでした。

       ★  

  “総てに洗練された秀逸な舞台だった。(中略)なぜこの「舞台」は、こんなにも感動を与えるのだろうか。なぜこんなにも役者が活き活きと、そして、瑞々しく演じ切ることができるのだろうか。今回は「音響」も「照明」も文句なく、優れたプランニングそしてオペレーションだった。少なくとも、これについては、もう  “プロ級” といってよい。

   何と言っても、「音響」と「照明」と「演技」との、息をのむほどのコラボレーションに圧倒された。今こうして原稿を綴りながらも、そのときの興奮と余韻とが甦って来る。それにしても、「この劇団」は多くの魅力にあふれている。 

        ★ 

  そしてその後、旧臘大晦日の「わが2015年の福岡演劇(学生)を顧みて(総評編):上」においても、「わが最優秀舞台」として、次のような表現を用いて評価していました。

  “総合的な完成度の高さ

 “別次元の芸術性と感動” を余すところなく伝えてくれた作品

  ……とした上で、『このたびのゼミの学生諸君を高いレベルで指導して来られた、岩井 眞實 教授のご尽力』という表現を用い、同教授の優れた指導を、この舞台創造の要因の一つとしていました。

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 「岩井ゼミ」中心の関係「四団体」の相乗力 

 今思うに、「岩井ゼミ」とは、歴とした「大学の専門的な研究機関」であり、「文化的及び言語的表現」を学門研究の対象としながら、その研究及び学習成果の実践の場として、「演劇の舞台」をその一手段とする。……そういうスタンス、そしてニュアンスであると、筆者なりに理解しています。

 したがって、そのような「専門学問研究」機関の「舞台」を、「大学文化サークル・演劇部」の「舞台」と比べること自体、「岩井ゼミ」の関係各位に対して失礼ではないだろうかという気がします。

 逆に「大学の演劇部」から見るとき、そのような高いレベルの専門機関と比較されることは酷な気もします。

 しかし、「大学演劇部」からすれば、無論、相手にとって不足はないわけですから、比較されることは大いなる励みとなるはずです。また是非そういう気持ちで挑戦して欲しいと思います。

 問題は「岩井ゼミ」の関係各位の立場と言うことになるわけですが、そこは、“同じ大学生”あるいは、“ほぼ同世代” の “演劇を愛する仲間” という気持ちで赦していただければと思います。

 要は、「優れた劇団」の「キャスト&スタッフ」同士が、高い次元で競い合い、励まし合い、ときには議論し、競演することが大切なのかもしれません。そういう “切磋琢磨”の中で、さらなる「優れた舞台」の創造を願うものです。

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 息をのむ“演技・照明・音響”の一体化

 さて、舞台の鑑賞ですが、既に述べたように、この「舞台」は優れた「演技」と「台詞回し」と「音響」と「照明」の調和に尽きるでしょう。ことに今回は、「照明」がいっそう素晴らしかったと思います。7名もの「照明スタッフ」というのも頷けます。

 このときの「会場」は、専門的な小劇場の「ぽんプラザホール」であり、優れた「照明プラン」や「オペレーション(操作)」がいっそう要求されたはずです。それを見事にこなしたといえるでしょう。筆者もこの劇場には10数回足を運んでおり、ここでの照明の難しさは、門外漢ながらもよく判ります。

 ことにこの舞台の「照明」の素晴らしさを引き立てたものは、やはり「音響」でした。選曲といい、音量といい、もちろんオペレーション(操作)のタイミングといい、つまりは “音に対する繊細な感性と芸術性” とが余すところなく表現されていたのです。

 ことに〈エアリエル〉(空気中に棲む妖精)が、文字通り “妖精として” 軽やかに、そしてリズミカルに踊り跳ねるシーンは、まさにミュージカルであり、岡崎沙良嬢の非常に質の高い演技に、歌に、そしてダンスに、圧倒されていました。

 それをいっそう際立たせたものこそ、秀逸で繊細なプラン&タイミングの「照明」であり、「音響」だったのです。

 〈エアリエル〉が、やや逆光の中で歌い踊りながら、その五体をしなやかにのけぞらせて消えて行くシーンは、まさに “秀美の極み” でした。抜群のタイミングの「照明」と「音響」があってこそのものであり、また役者の「演技」でした。それによって、筆者はこの舞台一番の感動に酔いしれることができたのです。

 そして、こうした “ここぞ” という際の「照明」と「音響」をいっそう魅力的にした最大の貢献者こそ、開演前の“抑制の効いた静かなBGM”であり、“ぐっと控え気味の舞台照明”でした。このような点が、まさにプロ級、いえプロそのものといえるでしょう。

 開演前、BGMの音に敏感な筆者ですら “少し音量が小さいのでは?” と思えるほど、音量を抑えたBGMでした。しかし、その “抑制された音響” だからこそ、舞台が始まった冒頭の “嵐(tempest)” のシーンが、“うるさい音量”にならず、品位と深みを持ったシーン構成となったのです

 開演前のあの「音響」(BGM)こそが、「冒頭シーン」を格段に活かし、劇的効果をいっそう高めたのです。筆者は心の中で、ほんとに『まいりました』と呟いていました。もうこの「冒頭」の段階で、これらの舞台の成功は半ば約束されたといっても過言ではありません。

 開演前のBGMが “静かに流れる” ということは、いやが上にも、開演を待ちわびる観客の心を静かに整え、徐々にその観劇姿勢を高めながら、観客のイマジネーションを優しく刺激しているのです。

  このような華麗かつ繊細な表現は、やはり「岩井ゼミ」生を中心とする「四団体」公演の『あゆみ』(昨年)や、「演劇部」単独の『フローズン・ビーチ』(一昨年)にも確実に活かされていました。

 最近、この「岩井ゼミ」をはじめとする「福岡女学院大学」の「演劇活動」の実態の “謎” が、ようやく筆者にも、少し分かるようになりました。「四団体」とは、「岩井ゼミ」を中心に、「演劇部」「ESS」(英研)そして「クロコブ」という団体(組織体)の合同を意味するようです。

  ちなみに「クロコブ」とは、この団体のTwitterによると、《照明や音響を勉強しながら大学の学生ホールを管理運営する委員会のことで、正式名は「学生ホール管理運営委員会」》と言うようです。

  道理で、『The Tempest』(主催:岩井ゼミ)も『あゆみ』(主催:四団体)も、そして『フローズン・ビーチ』(主催:演劇部)(※註1)も、素晴らしい「照明」そして「音響」だったのです。

 

 ※註1 「演劇部」単独主催となった『フローズン・ビーチ』は、一部の「照明」や「音響」に指摘した点はあったものの、「一大学の演劇部」としては、高いレベルにあったことは確かです。ことに開演前のビートルズの曲が、開演後のステージをいっそう活かし、また意味を深めたのは事実です。

 実はそれ以降、筆者は「ビートルズ」を耳にするたびに、この舞台が甦って来るようになりました。もちろん、女優陣の演技や舞台美術等にしても同じです。

 

 

 


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