『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

●演劇鑑賞:『ピーターパンシンドローム』(陰湿集団番外公演)

2016年01月26日 06時46分19秒 | ●演劇鑑賞

  

  この鑑賞は、あくまでも一個人の私的感想

 昨年の大晦日の演劇鑑賞は、『わが2015年の福岡演劇(学生)を顧みて』となっています。頭に『わが-』と付けており、あくまでも筆者個人の私的な感想です。自分の趣味好みの範囲において、観たい舞台を自分で選び、鑑賞したいものを、好き勝手に評価しているだけです。それ以上でも、それ以下でもありません。もちろん、今回のような「単発の鑑賞」にしても同じです。

  一人の人間が、一年間にそう多くの舞台を観ることなどできません。見逃した優れた舞台が沢山あると思います。そのことは、「その舞台の表現者」にとっても、「観客(筆者)」にとっても、ある意味では “” であり、“” というものでしょう。老い先短い身であり、今後はいっそう自分が納得できる「劇団」や「舞台」に絞って行きたいと思います。

 とはいえ、持ち前の気まぐれや整理不得手の性格ゆえ、せっかく観劇したのにもかかわらず、優れた舞台であっても鑑賞原稿のタイミングを失くし、本欄にアップしそこなったものもあります。我ながら、何と言うことをしたものかと落ち込み、反省しきりでした。

  最近のものでは、「2013年度・九州大学演劇部番外公演」の『動物園物語』(作:エドワード・オールビー、演出[ダブル]:森聡太郎・棟久綾志郎の両氏)であり、同じく「同大演劇部2014年度前期定期公演」の『カノン』(作:野田秀樹、演出・脚色:白居真知氏)です。遅きに失した感はありますが、両舞台の「演出家」はもとより、キャスト&スタッフ各位にお詫びを申し上げます。

  ことに「前者」は友人を誘った舞台でしたが、、帰りに演出家の森氏棟久氏にエールの握手を求めたほどです。筆者が関係者に握手を求めたのは、後にも先にも、このときしかありません(※筆者は、存外、恥ずかしがり屋のため、なかなかできないのでしょう……)。同席した友人も非常に感動した一人であり、それ以来、いっそう演劇に惹かれたようです。

 

  ピーターパンシンドローム』に素直に共感

  昨年末の12月26日(土)、「陰湿集団番外公演」の『 ピーターパンシンドローム』(作・演出:大和)は、地味な舞台ながら、作・演出家の高い精神性や一途な思いが伝わって来るとともに、捻くりまわさない素直さが、確かな共感を呼んだといえるでしょう。

 番外とはいえ、「陰湿集団」らしい深い哲理を感じさせる舞台であり、手垢のつかない青年劇団の、含羞と照れを漂わせる作品でした。本舞台は1時間20分程度の中編のため、もっと観続けたいとの気持ちになり、会場を去りがたく感じたものです。体調が充分ではない筆者でしたが、おかげで爽やかな気分で帰ることができました。

 その “演出の言葉” に、次のようなチャーミングな一文があります。ちょっと長いものですが、引用してみましょう(原文のまま。抄録)。

       ☆

 《私の幼稚園の時の夢はカタツムリ屋さんでした。…(中略)…カタツムリ屋さんって、そもそもなんだよ、ありえない。意味が分からない。でもそういうのが実は夢であり、叶える努力をし続ければもしかしたらあり得るのかもしれません。夢は叶えられないから夢だという言葉は間違ってはいないと思いますが、本当は夢は今はありえないがあり得る可能性を秘めているのが夢なのではないでしょうか。》

      

  以前にも書きましたが、当日の「プログラム」における〈物語のエキスを垣間見せる言葉〉や〈作・演出家の言葉〉は、非常に重要です。なぜなら、これらの言葉は、これから始まる舞台の感動を大きく左右すると同時に、作家演出家自身の “人間性舞台芸術家としての姿勢” を “さりげなく” 示しているからです。

 と同時に、観客に対しては、「キャスト&スタッフ」が〈想像&創造した世界〉を、それとなく感じさせつつ、「観客自身」による〈想像&創造を促す働き〉を持っているからです。少なくとも、的確で優れた〈言葉〉とは、そういうものです。

 つまりは、それらの〈キーワード〉によって、観客は自らの〈感性〉 や〈美意識〉 を “さりげなく、また心地よく刺激される” というわけです。そのため、語り過ぎず、寡黙過ぎず……という裁量こそが、作家や演出家の “感性や美意識” を、そして “知性や悟性” を示唆するものとなるのでしょう。

  したがって、そうでない「舞台」は、当然、これらの作家や演出家の葉も、本当に疑問視せざるをえないものがあり、何を言っているのか理解不能なものや、謎めいた言葉をちりばめた自己陶酔的なものが見られます。とても残念であり、観客に対して失礼です。

  そういう意味からすれば、この「陰湿集団」は、常に何を言わんとしているかがはっきりしており、また誠実にそれを舞台上で表現しようとしています。

 昨年できたばかりの「小劇団」として団員も少ないわけですが、目指す方向は “しっかり捉えており、ぶれないところ” が、素晴らしいと思います。もっと言えば、筆者が常々ここでお話している “高い精神性をいっそう高めようとしている” からです。

 それだけ地に足がついた、「青年集団」らしい、豊かな文学の香りを漂わせながらも、しっかりと社会参画を見据えている姿勢に最大の魅力があります。

 このブログをごらんの方、特に年配の方々に申し上げたいのは、ご自身や配偶者の方はもとより、息子さんや娘さんと一緒にご覧になることをお勧めします。

      ☆

 さて、「物語」はというと――、

  かつて、男性「ピーターパン」を演じていたと言う〈大和田〉。今ではクスリによる入院により療養を続ける日々――。そんな彼が、「大人」になれない〈ミレイ〉という少女と出会い、彼女を通して自分の生き方や他との関わり方というものに変化を見せ始める……。そこに、医者の〈福島〉や看護師の〈鈴谷〉、それに〈老婦人患者〉その他が絡む。

 「リノベーション・ミュージアム冷泉荘」と聞いて、一応、建築畑でもある筆者は、その方の関心もあって観に行きました。「――荘」とついているので、もしやという気もしつつ……。案の定、ハード面の「リノベーション」には程遠いものの、ソフト面でのrenovationについては、模範的といえるものでした。

 「小舞台・小客席」には、まさに “打ってつけ“。一切の無駄を省き、余計な造作や内装などは皆無。もとはと言えば、おそらく2DK程度のものをスケルトン方式で利用・運用しているのでしょうか。

 もうこれだけで、演劇関係者であれば、イマジネーションを刺激されるはずです。もちろん、観客も。ことに素朴でシンプルな建物大好き人間の筆者などは、「会場」に入っただけで、ワクワク、ゾクゾクでした。

 演劇舞台の究極は、「役者」だけで成り立つ。と考えている筆者にとって、こういう「会場」の「舞台」は大好きです。

 何と言っても、手を伸ばせば届くほどのところに役者がいるという魅力は格別です。そのため、今回も役者の顔に目に、視線に表情に、細やかな身のこなしに、感情をしっかりこめた歩き方や喋り方に、それに手の動きに、声の出し方に、そして無論、照明に、音響に、舞台背景に……と沢山の刺激と感動を貰ったというわけです。

 今回の「舞台背景(美術)」もなかなかどうして。白い布地感覚のものに、青色発光ダイオードのような色彩を発色する照明は秀逸でした。豪華なステージも、豪華な幕も、豪華な舞台装置もない、素朴でありながら、豊かな感性と創造性に溢れた独自の創意工夫……。

  ただ、ラストシーンの音楽が少し大きく、台詞が聴きとりにくかったのが悔やまれましたが……。

 では次に、「役者」陣を見て行きましょう。

      ☆

  確実に成長している役者とその布陣

  昨年の旗揚げ公演の『陰湿クラブ』では、舞台が暗めのためよく観えなかった三留夏野子嬢。今回は、冒頭からしっかりとその姿と演技を拝見しました。堂々たるものであり、声も通りがよく、ぐっと惹きつける確かな演技でした。変に片意地張ったところも、これ見よがしもなく、素直で自然な動きであり、台詞回しでした。

 筆者がもっとも好む“自然流自然体”であり、手垢のつかない若者らしい発声や動きだからこそ、より感動が深まったというものです。いっそう精進して頑張ってください。

 長野真結嬢に村上悠子嬢。この両嬢も「舞台」ごとに確実に上手くなっています。それも単なる“小手先のうまさ”ではなく、役の“人間像”をしっかり受け止めことができるからでしょう。それだけ、人間的な成長があるということでしょう。それは、今回のように、“等身大ではない役” をしたときに、その真価が発揮されるものです。

 そういう意味では、今回、筆者が観た〈村上・ミレイ〉は、その関門を突破していたと言えるでしょう。今回は観ることができなかった〈長野・ミレイ〉でしたが、筆者は、この両嬢については、以前より秘かに注目していた一人です。確実に高いレベルの役者として成長しています。三留嬢とともに楽しみです。

 それもこれも、やはり「陰湿集団」の持っている“高い精神性”と“白居真知主宰山本貴久丸尾行雅両君等の確固たる哲学”の賜物といえるでしょう。演技や台詞回しは、それだけの訓練で上手くなるというものでは絶対ないようです。やはり、その役者個人の人間としての成長が何よりも大きいと思います。

 その意味において、「精神性高い劇団」での「出演」やそのための「ワーキング」こそ、やはりすべての面における成長のカギではないでしょうか。そういうことを、この「劇団」には感じます。

  それだからこそ、観客としても、どのような役者が、どのような成長をみせてくれるのかという楽しみとともに、“演劇の可能性” に対する期待を膨らませてくれるのです。

 そういう意味では、石川悠真木下智之の両君も、前述の女優陣同様、確実に成長し、かつ高みを目指しつつある役者と言えるでしょう。ことに今回、〈老婆〉役の木下智之君の演劇が光ったようです。脇役ながら、どうしてどうして、しっかり他の役者を脅かしたかもしれません。秀逸な演技でした。

 主人公のテラバイト☆ゆういち君については、今回の舞台だけでは、正直言ってよくわかりません。欲を言えば、少なくとも前半においては、「ピーターパン」役の華やかりし時代と、心身ともにボロボロになっている現在との違いを際立たせて欲しいというのが筆者の希望でした。

 つまり、もう少し「シンドローム」性を出した方が、“鬱屈感”や“屈折感”がいっそう描かれ、それだけ人物の魅力が増したと同時に、〈ミレイ〉もいっそう活かされたのではないでしょうか。ということは、この二人を見守る〈福島〉〈鈴谷〉そして〈老婆〉や〈ファンの女性〉などもさらに具体性を持って描き出されたような気がします。少し、“穏やか過ぎた”かな、というのが筆者の偽らざる感想です。

 しかし、なかなかの熱演でした。 

      ☆

 筆者は、『陰湿集団』の哲理ともいえる頑固なフレーズが、お気に入りです。「プロフィール」に、こう書かれてます――。

 九州大学演劇部OBを中心に結成された陰湿な劇団。日々、まがりくねったものをもとめて活動中。》

 チラシも品位と美的センスともにgoodでした。ソフトフォーカス気味のドローイングが何とも味があっていいですね。作画は、宣伝美術担当の本村茜さん?! 

 

  ☆作・演出:大和

  キャスト】 

  〈ミレイ〉 ●長野真結  ■村上悠子  ※ダブルキャスト

  〈大和田〉 ■テラバイト☆ゆういち  福島〉 ●石川悠真 

  〈鈴谷〉 ◆三留夏野子  〈その他〉 ○木下智之

 スタッフ】 

  舞台美術・音響・制作:●山本貴久 

  照明:○大園和人 

  宣伝美術:○本村茜 

  ※註:所属 ●陰湿集団 ■九州大学演劇部(伊都・箱崎キャンパス)

   ◆九州大学・大橋キャンパス演劇部

 

  今回のすべての「キャスト」及び「スタッフ」各位に讃嘆と感謝を捧げるとともに、演劇活動に対する真摯な態度と情熱とに敬意を表します。

   花雅美 秀理  

 

    


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