繊細な感性による音のグラデーション
もう少し「照明」と「音響」に触れてみましょう。筆者がこの両者を“プロ的”すなわち通常の「大学演劇部」等(※註1)との感性及び技術上の“差”と感じるのは、次のような「シーン」です。
この舞台では、〈エアリエル〉という妖精がたびたび出て来ます。この妖精は、みんなには見えない形で登場するわけですが(※註2)、その際の「照明」の“処理”をはじめ、「音楽(BGM)」の「選曲」に「音量」の“絞り込み”、“イン・アウト(音の出し・入れ)”、“強弱”のタイミングが素晴らしいのです。
その中を巧みな演技の役者が、素晴らしい声と歌と踊りで華麗に、そしてリズミカルに登場したり、退場したり、また飛んだり跳ねたり、舞ったりいているわけです。
もう一つの例として、役者が台詞を喋っているさなか、低い声の役者が、しみじみと語っているとき、そのバックに高音の音楽(メロディ)を、非常に絞った音量によって “かすかにかぶせて” いるのです。もちろん、ほかのときとは明らかに違う、繊細な感じの音量の絞り込みです。無論、どのような曲のどの部分のメロディを流すかも重要です。
後述するミラノ公〈ブロスベロー〉役の本山真帆嬢の声でした。無論、他の劇団や演劇部でもやっているでしょう。しかし、こういう繊細さは、記憶にありません。このようなシーンが効果を持つのは、何度も言うように、開演前のBGMを極力抑えることや、劇中音楽の選曲や音量が巧みにコントロールされているからです。
その上で、大きいから小さいまでの音のグラデーションを、一瞬一瞬のシーン(情景)や役者(その置かれた立場や心理、意識)、そして台詞に併せてオペレーションしているからでしょう。
つまりは、ぎりぎりまで“余計な音楽や音量やイン”を抑えながら、“最高の音楽である役者の声” をいかに魅力あるものとするかでしょう。
そのためにも、音楽のメロディを、抜群のタイミングで “出し入れ” しながら微妙な “強弱” を調整し、それと同時に「照明」とコラボしていく……。
前回述べた「開演前の落ち付いた静かな音量の音楽(BGM)」に、今述べた劇中における素晴らしい「照明」と「音響」と優美で繊細な「アイディア(プランニング)」と「オペレーション(操作)」のコラボレーションということです。
筆者は、この「舞台」によって、「観客」にとっても、どのような心づもりで「音楽」や「効果音」を聴き、かつそこからどのように自分のイメージに “繋げていく” のか、あるいは “膨らませていく” のかということの本質を学び取ったような気がしました。
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その他では、余計なものが一切ない、シンプルな舞台美術(背景)も素敵でした。シンプルであるからこそ、観客それぞれのイマジネーションを心地よく刺激し、またそのクリエイティビティを広げて行くのです。
それに加えて、余計なデザインや色調を排除した白っぽい衣装の一体感も、『あゆみ』のときと同じように、イマジネーションを膨らませるものでした。とはいえ、キャラクターがそれぞれかなり異なるため、「舞台」に不慣れな人々には解かりにくかったかもしれません。この件は、次回触れたいと思います。
岡崎、本山両嬢の存在感
では、「役者陣」(女優陣)をみて行きましょう。
何と言ってもミュージカル・スター並みの熱演をした岡崎沙良嬢を挙げなければなりません。彼女は、筆者の正味14年に及ぶ「学生演劇歴」の中でも、ひときわ輝く役者の一人であり、女優です。先ほど述べたように、演技、台詞回し、歌、ダンスといったすべての面で、とても一介の「女子大生」とは思えない役者ぶりであり、ミュージカル女優でした。
その存在感は半端ではありません。筆者のような、ミュージカルやダンス等に疎い者でも、彼女の抜きん出た役者そしてミュージカル女優としてのセンスは、凄いものがあると直感しました。そういう持って生まれた才能を感じさせるとともに、歌やダンスについて、専門的なトレーニングを積み重ねているような印象を受けました。
彼女が演出した『あゆみ』も、今回、演出・出演の『The Tempest』も、いずれもミュージカル仕立てのものであり、彼女の魅力を遺憾なく発揮したと言えるでしょう。
ところで、まもなく開演の『NINE』は、ミュージカルですね。この際、筆者も「ミュージカル」の勉強を「生の舞台」を通してして学んでみたいと思います。まだ「チェット」もあるかもしれません。興味がある方はどうぞ(巻末)(※註3)。
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次は、ミラノ公〈ブロスベロー〉と〈キャリバン〉(※註4)の「二役」を演じた本山真帆嬢――。この「二役」を演じ分けた力量は見事です。この舞台の「二役」は、何度も同じ場にいるとの設定のため、必然、連続して登場したり、その場で “早変わり的に二役” を演じるというものでした。その “掛け合い” は大変難しいものでしたが、それをうまくやり通したと思います。
ことに声の使い分けがうまいため、最初は「別の役者」と思ったくらいです。それほど、巧みに演じ分けたということです。ことに〈ブロスベロー〉としての彼女の声は秀逸でした。
この役の声を、目を瞑って聴けば、誰もが「中年の男性役者」と思うでしょう。それくらい、巧みな発声でした。しかも、それが無理した「作り声」ではなく、自然に出していた……いえ、出ていただけに、観客はすんなりとその役を受け止めることができたと思います。
筆者は、後日、実際に彼女に会ってその「肉声」を聴いただけに、役者としての発声の見事さに、あらためてびっくりしました。ごく普通の、ちょっとナイーブな感じの、うら若き女子大生の声だったからです。
この本山嬢の声は、しっかり、しかしソフトにお腹の底から響き渡る声であり、この役の特徴を声だけでもよく表現していたと思います。そしてこの声の魅力は、空気の妖精〈エアリエル〉の岡崎嬢との絡みにおいて、その本領を遺憾なく発揮したのです。
器楽に例えれば、「クラシックベース」のような彼女のミラノ公〈ブロスベロー〉の声が、岡崎嬢の「ピアノ」の高音部のように弾む妖精〈エアリエル〉の声と相まって、独自のハーモニーを創り出していたようです。つまりは、それだけマッチしていたということでしょう。
また両者ともに声質がクリアで通りが良いと言うことも、魅力の一つでした。この二人の声の“かけあい”は、ジャズの「インプロヴィゼーション(即興演奏)」を彷彿とさせるものであり、大変リズミカルで印象深いものでした。
二人の声のハーモニーが、台詞の流れという一曲の “主調” となって、他の役者たちの台詞にメリハリを付けたともいえるのです。
それが結果として、他の5人を巧みに活かしながら、それらのキャストの魅力をいっそう引き出していたと言えるでしょう。
〈ブロスベロー〉の娘の〈ミランダ〉の大塚愛理嬢が、まずそうだったでしょう。ミラノ公の娘に相応しく、なかなかチャーミングな役回りを的確にこなし、また声もしっかりしていました。最初の段階での大塚嬢と本山嬢の声のハーモニーも魅力の一つでした。
この王女に対する〈ファーディナンド〉の濱畑里歩嬢も、しっかりした声でした。宝塚的にならず、見ていて自然でよかったと思います。
〈アントーニオ〉の藏園千佳嬢、〈アロンゾー〉と〈トリンキュロー〉の橋本美咲嬢、それに〈ゴンザーロー〉の畑島香里嬢もなかなかの熱演でした。どの役者も、役作りに相当苦労したと思われます。
なにしろ、「癖のある男」を演じるのですから。それも「シェークスピア劇」という、いずれも際立った個性の人物です。それを “うら若き女子大生” が演じるのですから……。生半可な努力や考えでは務まらないというわけです。この件も次回にあらためて論じたいと思います。
女子大生らしい一面に共感
また、今回だけでなく、『あゆみ』のときも感じたのは、「演出家」も「キャスト」も、そして「スタッフ」も、単に若い演劇好きの「女子大生」という枠を越えたところにいるような気がします。つまりは、それだけ高い次元の「演技」や「台詞回し」であり、「音響」や「照明」、さらには「舞台美術」に「衣装」、「小道具」ということでしょう。
日頃からアイディアやオペレーションに対するクリエイティブな姿勢を保ち続けているという印象でした。要するに“浮ついた気持で演劇をしているのではない”という明確な意思表示であり、覚悟を感じました。それが爽やかな印象を強めたような気がします。
それはやはり、「学問研究」として学んでいるという真摯な姿勢であり、その「成果」を地域社会に還元しながら、学習の進捗と各自の人間性の成長に活かして行こうとする明確な目標があるからでしょう。
それに何よりも、誠実さや清楚感であったと思います。何と言っても、「学生」であり、「若い女性」であるわけですから。
※註1 もちろん、「演劇会場」がどこかにもよります。また「大学演劇部」といっても、筆者が知る限り、「九州大学演劇部・伊都キャンパス」や「西南学院大学演劇部」は優れています。それでも、この「演劇会場」でのこの「舞台」の「照明&音響」は、正直言って抜きん出ていました。
※註2 ミラノ公のブロスベローには見えるようです。
※註3
ミュージカル舞台公演のご案内
本ブログの「演劇案内」が出て来ます。
※註4 ミラノ公〈ブロスベロー〉に救われ、奴隷のようになっている怪物。