場面転換 における 照明 と 音響・効果音 の 相乗力
前回述べたように“舞台が単調に流れた要因”は、「A.場面転換」における「B.照明演出」及び「Ⅽ.音響・効果」の3点だった。正確に言えば、「a.ABC3点それぞれの演出・表現の曖昧さ」と「b.ABC3点の相乗効果の不足」と言える。
そしてその最大の場面こそ、前回述べたように“明転における出捌け“すなわち“照明が灯ったまま”での〈役者の登場と捌け方〉にあった。つまりは、この「A.場面転換」における「B.照明演出」と「Ⅽ.音響・効果」が、やや“素っ気ない=不充分な”ため、「場面の転換」が観劇者にスムーズに伝わらなかったようだ。
といっても、筆者個人は事前の“傾向と対策”のお陰で“これと言った不都合”を感じることはなかった。だが「舞台観劇」にあまり慣れていない人にとっては、“戸惑う”場面がいくつもあったように思う。筆者の座席は舞台〈上手〉の最後尾右端であり、劇場全体がよく見渡せた。そのため、観劇者のそういう雰囲気を感じ取ることができた。
ついでに言わせて貰うなら、“観劇中の筆者の脳”は以下のようなものかもしれない――。
“刻々と進行する瞬間ごとの中心的な役者”に目を遣りながらも他の役者にも注意を払い……もちろん〈照明〉にも〈音響・効果〉にも無意識のうちに心を配りつつ……時には素早く“ノートにメモ”しながら……“心の声”は次から次へと感じたことを猛烈なスピードで呟き続けている……………
《……この波音……ちょっと短い……あと“ひと呼吸”あれば……できたら日本海の荒波の感じでドバッも悪くない……そうなれば波の効果音は短くてもいい……設定場面の状況も瞬時に伝わるはずだ……》
《……この〈明転〉の捌け方……もう少し“コソコソ感”が必要……今ここは「総合病院」……やはり屋内への転換を感じさせる〈照明に変化〉を……それに宇宙人の策動によって“概念を奪われた多くの人々”がこの病院に連れて来られているはず……その騒々しい雰囲気(効果音)があれば……登場人物それぞれの未来へ向けた心の不安や怖れも、いっそう伝わって来るのでは……》
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■もたらされた今後の課題■
確かに〈暗転〉を使えば、簡単に〈場面転換〉は可能となるだろう。しかし、それでは〈①場面と場面との“繋がり具合”〉が損なわれかねない。また〈②登場人物の“微妙な心の変化”が途中で断ち切られる〉おそれもある。何よりも〈暗転〉は、〈観劇者の心を“舞台から引き離す”〉危険を孕んでいる。
舞台上の役者の“安全第一”を考えるとき、〈明転〉が多くなるのも無理はない。「2時間10分」もの長丁場の“どこをどう削っていくか”あるいは“短くしていくか”……演出家や舞台監督、照明や音響・効果等スタッフを大いに悩ませたことだろう。
だが《舞台表現としての分かりやすさ》の向上のために、〈場面転換〉時の〈照明〉や〈音響・効果〉による演出が、今後の大きな課題として残ったことは否定できない(※注1)。
そして「その解決法」が何であるのか、この舞台を観た読者はすでに理解されたと思う。「波の音」や「病院内の雰囲気」を表現する〈騒擾音〉一つにしても、「創造的想像力」によるアイディアによって、さまざまなバリエーションがあるはずだ。我々観客は、密かにそれを期待している。
※注1:「著作権」に関する脚本内容の許諾において、特に役者や場面の設定、それに台詞については厳しい制限があるはずです。そういう厳しい制約が「照明」や「音響・効果」にも及んでいたのでしょうか。著者によっては、かなり柔軟な運用を認めるケースもあるようですが……。