『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・ラ・ロシュフコオの『箴言』―上(政治の季節:Ver.2010-9)

2010年09月09日 17時50分46秒 | □愛読書及び文学談義

 かつてフランスに、ラ・ロシュフコオという公爵がいた。彼は『箴言』や『考察』を残したが、その哲学的見識は少しも古びてはいない(『箴言と考察』:岩波文庫・訳/内藤濯)。

  ≪われわれの美徳は、ほとんど常に仮装した悪徳にすぎない。≫

  ≪賢人の沈着とは、心の動揺を心の中に閉じ込める技術にすぎない。≫

 およそ“人間なるものの不変的本質”と言ってしまえばそれまでだが、ロシュフコオの言い回しは、アンブローズ・ピアスの『悪魔の辞典』(※註1)を連想させる。
 しかし、ロシュフコオは「フランス革命」(1789-99)より百年以上前の17世紀の動乱期を生き抜いた実務家。19世紀半ばから20世紀の前半を、米国のジャーナリストとして生きたピアスとは、実体験に大きな隔たりがある。「戦争」に参加しただけに、その“洞察”はいっそう切実であり辛辣といえる。
 そういう彼の“箴言”に触れるとき、どこかの国の“現代政治”いや“現実的な政党・政治家”の歴史を振り返りたくなる。

  ≪小さな事に身を入れすぎるは、通常、大きな事ができなくなる。≫

 「五五年体制」(1955)以降の半世紀には特にその感が強い。『』の部分を「派閥」や「政党」に置き換えても同じだ。実質的な自民党独裁時代の「無形政治遺産」には、あまり“明”の部が見えてはこない。“暗”の部の「派閥抗争、重要ポストの割り振り、不透明な政治資金の調達、地元への利益誘導と地元政財官との癒着」といったものばかりが目を引く。中でも「不動産」にまつわる「政治家独特の錬金術」は特筆すべきであり、現実的な政党・政治家”の諸悪の根源をなしている。

 どこかの元幹事長O氏に関わる土地問題が、「政治と金」の原初的なテーマとなったのは記憶に新しい。されど、かの「田中金脈」の深部を知り尽くしているO氏にとって、そのテーマに「検察審査会」を動かすほどの法的・政治的意味があっても、「錬金術初級講座」の“軽いオリエンテーション”といったレベルでしかないようだ。おそらく彼にとっては、「天下国家の大義」という“美徳”のための、実にささやかな“悪徳”ということになるのかもしれない。

 とはいえ、さすがに『日本列島改造論』(1972年)が話題となった時代のように、二束三文の土地に「新幹線」や「高速道路」を通すというわけにもいかない。だが「地元ゼネコン」に「地元インフラ整備」の「公共工事」を割り振り、それによって組織的な「地元票固め」と「地元への利権誘導」という図式が消えることはない。無論、ゼネコンからの「キックバック」(見返り)が伴うのは言うまでもない。その仕組みに「官僚と地元議員」を絡め取れば、「権力ヘラルキー」と「自己保身」の完成度はぐんと増す。 

 このたびの「代表選」においても、“政治にど素人のうぶで忠誠心の高い女性”を「○○ガールズ」としたメリットが、さっそく機能し始めている。これも上記の「権力ヘラルキー」と「自己保身」からごく自然に生み出されたものだ。

 かくて、それらを総合的に駆使しうる政治家には、いつの世においても「剛腕」や「辣腕」といった「キング的イメージ」が付きまとう。そのため、新人議員や学習能力の低い一部の議員、それに“大衆”の間にはまことに頼もしく映る。そしてそれらの「おめでたき人びと」の辞典の「剛腕」や「辣腕」は、いつしか『指導力』という文字に置き換えられている。

 以上はあくまでも「現実的政党政治家学」の一端だが、政党と政治家の多くがそうならざるをえなかったのは否定できない。何よりも「選挙民」である“大衆”自体が、明に暗にそれを“必要悪”として黙認して来たからにほかならない。

 “大きな事”のできない議員諸氏の“粒の小ささ”を憂う前に、そのような“小粒”しか送り出せなかった選挙民としての“不明”を恥じなければならない。“大衆”が享受する「政治」そして「政治家」なるものは“大衆自身の意志”でしかなく、結局“当該大衆”以上のものでも以下でもないからだ。

 嘘でもハッタリでもいい。『国家百年の大計』を語りうる“大粒”を送り込まなければならない。そしてもしそれを“送り込むことができない”というのであれば、根気よく育てるしかない……と思うのだが……。


 【※(1)】(1613-1680:パリ生まれ)由緒ある家柄の出であり、最大最後の宗教戦争と言われた「三十年戦争」は彼の時代。“朕は国家なり”で知られる「ルイ14世」(1643-1715)の親政開始は1661年。


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