『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・『銀河鉄道の夜』(下)ージョバンニの寂寥

2011年03月05日 01時50分21秒 | □愛読書及び文学談義

 母親と二人暮らしのジョヴァンニ

 ジョバンニには両親と姉がいる。だが姉と父は登場しない。「母親」は「自宅療養中の寝たきりの身」であり、ジョバンニはとても “母親想い” の少年として描かれている。主人公を語る上で重要なポイントだ。

 ジョバンニは学校帰りに「活版所」で「植字工」として働いている。そこで得た1枚の「硬貨」で母親のために「パン」と「角砂糖」を買う。彼は「新聞配達」少年でもあり、カムパネルラの家にも配達している。

 ジョバンニは母親の「牛乳」に「角砂糖」を入れてやりたいとねがっている。そのため「配達されなかった牛乳」を店に取りに行くものの、店の都合で入手できなかった。だが最後の場面で何とか手に入れる。カムパネルラの死を知るのはその直後であり、このエピソードは大きな意味を持っている。

 ジョバンニ少年のいじらしさが感じられるとともに、すでに母親を亡くしている親友カムパネルラの切なさや母恋しの想いが痛切に伝わって来る。と同時に “カムパネルラの死” に対するジョバンニの “寂寥感” の深さを表してもいる。

 この母親との関わりを語った「二、活版所」と「三、家」の部分は、併せても6ページほどしかない。だが “ジョバンニというキャラクター” が丁寧に書き込まれている。そのため「銀河列車」での “不可思議な出来事” などが、ジョバンニの目線でリアルに伝わるとともに、彼の存在感と魅力を際立たせてもいる。
 
 漁師と思われる父親は、現在家にはいない。ジョバンニは、父親が『北の方の漁に出ている』と思っている。しかし母親が語る『お父さんは漁に出ていないかもしれない』との内容は、微妙な意味を秘めているようだ。

 それに対してジョバンニは、『きっと(漁に※)出ているよ。お父さんが監獄に入るようなそんな悪いことをしたはずがないんだ』と応じる。前後の説明もないまま、突然「監獄」という言葉が出てくる。そのため当初は “ありきたりの家庭” と思われていたジョバンニ一家が、何とも “謎めいた家庭” として映る。
 
 一方、「カムパネルラ」は、「博士」である「父親」と二人の「父子家庭」であり、「母親」はすでに死去している。カムパネルラの “死”は……、と、これ以上は物語の核心であるため控えなければならない。ぜひ作品を読んで確かめていただきたいと思う。

 ところでジョバンニとカムパネルラは、その父親同士も友達であることが判る。そのことはジョバンニの母親の言葉や、カムパネルラの父親の言葉からも明らかだ。
 ともあれ銀河鉄道 “死の世界” へ旅立ったカムパネルラ。そのことによって、彼は “死に別れた母“……………。
 
 一方、ジョバンニは銀河鉄道から戻った後、現実世界における “カムパネルラの死” を知り、無二の親友を失った悲しみに泣きくれる。読者ことに男性としての郷愁や憧憬が混じっているにしても、何度読んでも、少年ジョバンニの“純粋さ”や“健気さ”は少しも色あせることはない。筆者がこの作品を好きな最大の理由といえる。

 「午后の授業=学校・友達との場」から「活版所=職場(生計を得る場)=大人たちとの交わりの場」、そして「=家族・家庭」という物語の流れは、実に周到に考慮されている。彼が何度も書き直しを繰り返したことや力の入れ具合が良く判る。彼はこの作品に、自分の文学の集大成をと考えたのではないだろうか。そんな気がしてならない……。

 今回読んでみて、やはりこの賢治作品の不可解さの魅力を改めて感じた。「登場人物」達の “謎めいた言動” に加え、「現実」と「夢」、「生」と「死」、「地上」と「天空」といったファクターが巧みに織りなされながら幻想的な世界が展開して行く。
 筆者のお奨め作品であり、家族や友人知人、クラスメイト、読書会などにおいてぜひ読んでいただきたい。

 あと何回、この『銀河鉄道の夜』を読むことになるのだろうか。(了)

 
  ※筆者註



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