≪人は他人に手を取られて歩いているとき、みずから歩いている気でいるものだ≫
≪頭は或る一つの目的に向いてはいても、心は知らずしらず、ほかの目的に人間をひっぱって行くのである≫
何事も特定の人間や組織に“任せきり”にしてはいけないという戒めなのだろう。だが“大衆”は、常に人並み外れたパワフルな「ヒーロー」を期待しがちだ。ことに混迷した時代においては、“大衆”の無力感が募るほどその傾向は顕著となり、「ヒーロー」にはいっそう強い“カリスマ性”が要求される。
例の代表選における小沢氏。良くも悪くも昔から「カリスマ政治家」として持て囃されて来た。それなりのキャリアを持つ小沢グループの多くの議員が、『このような時代こそ、小沢先生に』、『従来にない大胆な改革のためにも、小沢先生が』として“偉大な先生扱い”をしたのは、“大衆”の「潜在的なカリスマ待望論」に応えようとしたからかもしれない。
だが側近達がカリスマ性を強調すればするほど、小沢氏とそのグループに対する“大衆の違和感”はいっそう強まったようだ。
このたびの小沢氏の敗北は、“政治と金”に関するマイナスイメージが大きかったと言われる。だが私は、「小沢ガールズ」や「小沢チルドレン」と言われる新人議員が、菅氏に比べて圧倒的に多かったことも敗因の一つと思う。
満足な政治理念やビジョンをまだ持たない「新人議員」。加えて、独自の判断や行動力にも乏しい。しかし、それは小沢氏のカリスマ性に頼る同グループの「ベテラン議員」達にも言えたのではないだろうか。ということは結局、党員やサポーター、そして“大衆”の多くは、彼らの無力感や主体性のなさを敏感に感じ取ったはずだ。
菅氏が「チームによる変革」を説き、「民主党員412人による内閣を」と真逆の考えを述べたことも、“アンチ・カリスマ意識”を際立たせたような気がしてならない。別の見方をすれば、政治家としての絶対的な能力や圧倒的な存在感に乏しい菅氏には、この戦法をぶつけるしかなかったともいえる。
≪あまり性急に恩返しをしようとするのは、一種の忘恩行為である。≫
『総理大臣にしていただいたのは、ひとえに○○先生のお陰……』と、先の代表選挙において語った元総理のH氏。ご承知のように、“鳩の恩返し”の支持表明は、あっさりと“前言を翻した”(菅総理支持)上でのものだった。それだけに国民・政治家双方に驚きの目で見られた。そしてこの“性急な報恩”が「○○先生」に対する「世論」の反感を高めたことも否めない。
あの場はせめて、『政権交代をさせていただいたのは、ひとえに国民のみなさまのお陰です。この獲得した政権の延長線上に総理大臣という職責があります。そこでこのたびのわが党代表選出の選挙に当たっては、その唯一最大の候補として○○先生を』と言えば、多少は救いがあったのかもしれない。たとえそれが、“その場しのぎ”のカル~い言葉であったにしても……。
――だからあたくし『ハーさん』に言ってやったの。“おとといいらっしゃい”って。そしたら横にいらした『オーさん』が、眼と笑い皺との区別がつかないほど笑って(でも本当には笑ってなかったような……)。
あたくし思うの。ハーさんも早く引退なさって、軽井沢の別荘で静かにお過ごしになればいいのに。だってソーリをお辞めになった方は引退すべきだっておっしゃってたでしょ? 違ったかしら? それに、オーさんもオーさんよね。「一兵卒」だか何だか……本当のところどうなさるのかしら? あの方、ハーさんと一緒に幹事長を辞めた3か月前も『一兵卒になって』とおっしゃったのよ。
え? ハーさんとオーさんに「メッセージ」を伝えてくれですって? フランスの公爵様のお言葉を? それがこれってわけなのね、なるほど。でもこの言葉って『カーさん』にもあげたいわ。それに……あなたにも……。
≪自分は人に喜ばれる人間だと思い込むのは、しばしば人に喜ばれない一つの道となる≫