『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・『ぼくらは生まれ変わったこの葉のように』/学生演劇の課題ー番外編:4

2013年07月28日 10時40分57秒 | ●演劇鑑賞

   7月9日紹介の「九州大学演劇部」の2作品、①『ぼくらは生まれ変わったこの葉のように』(作:清水邦夫、演出:森総太郎)と、②『動物園物語』(作:エドワード・オールビー)を観劇しました。今回は①について述べてみましょう。

      ☆

   『ぼくらは生まれ変わったこの葉のように

  照明が落ちると、開幕を告げる「夜の闇」が現れる。車が激しく何かに衝突したクラッシュ音――。いきなり「住家」に「車」が飛び込んで来る。車は住家に“めり込んで”停車した様子。乗っていた「男」は、その住家の中に投げ出され、「女」は車と住家とに挟まれたまま。しかし、「男女2人」の命に別条はなく、会話を交わすだけの意識は残っている。

  一方、「住家」にいる「夫婦」と「その妹」。この「3人」に先の車の「男女2人」を加えた「5人」の奇妙な“共棲”が始まる……。 

  舞台背景に配された「細く裂かれたような紐状の布(?)」。加えて、建設工事等に用いる「長いロープの複数の束」。それらは、人間関係の“危うさ”や“束縛”さらには人間の意志や行動の“脆弱さ”を暗示しているようです。舞台が進行するにつれて、これらの「背景の存在と意味」が徐々に伝わって来ます。

   「紐状の布」や「ロープ」という「何処にでもある物」を使っての舞台美術。“必要最小限なそれらの物により“シンプル”に表現された舞台背景。……これぞ筆者が秘かに求めてやまない学生演劇の真髄と思います。住家の「妹」が、そのロープをギター代わりに弄ぶシーンは斬新であり、舞台によく溶け込んでいました。演出家の豊かな感性を感じました。

   「5人によって作り出される人間関係とその存在意義」。“諦念”と“喪失”に蝕まれながらも、“救い”や“希望”が微かに息づいてもいるようです。登場人物個々の台詞や行動は不条理に満ちてはいますが、その思惑や感覚は存外しなやかであり、少なくとも“各人の中”では正当化されているのでしょう。そういう演出に徹した演出家の才能や心意気に共感を覚えます。

       ☆ 

   ただ、冒頭の車が飛び込む「クラッシュ音」にもう少し“明瞭感”があれば。それに、やはり“一瞬”でも「車のヘッドライト」の“照射”があったほうがよかったような気がするのですが。無論、“照射”は「室内の3人」には一切当てず、室内に飛び込んできた「男」だけであることは言うまでもありません。

  その方が、少なくとも観客にとっての“シチュエーション”の把握が、遥かに容易ではないでしょうか。それに“照射された光”は「車の男女2人」と「夫婦と妹の3人」が“つながれていくメタファ”を象徴するような気がします……。

 


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