「囲碁」は厳粛な“勝負”であり、その“一手”の持つ意味は大きい。実力が拮抗している相手との対局は、“一手打つ”ごとに形勢が入れ替わるほどの微妙な局面を生み出す。その“スリル”と“緊迫感”こそ、囲碁のもう一つの魅力でもある。
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昭和43年(1968年)当時、母校の「囲碁部」では、各クラスごとに部内の「リーグ戦」が行われていた。まず「対外試合」に出場する5、6人からなる「選手リーグ」があり、彼等はいずれもアマチュア5段以上の猛者だった。
その下に、A級、B級、C級そしてD級までの「クラス」があったように想う。(※註1)。ちなみにこの年、母校は「関東リーグ」を制し、各地方ブロックの優勝大学による全国大会も制覇した。
習いたての筆者は、無論、一番下の「D級」だった。それでも2年生になる頃には、「碁会所」の2、3段と互角の勝負をしていた。
「リーグ戦」はどの「クラス」も10局闘い、記憶では6勝以上で「昇級(昇段)」、4勝以下は「降級(降段)」という規則になっていたようだ。そのため、各クラス「リーグ戦」の対局はまさに「真剣勝負」であり、一局に3時間以上を費やすことも珍しくなかった。
対局後は一局を振り返りながら並べ直すわけだが、熱が入るとこれが1時間では終わらないのが常だった。
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そういう、「格式」や「作法」に基づいて「囲碁」を学び、また「真剣勝負」を心がけて来た筆者には、「飲酒をしながら碁を打つ」ことなど、想像もつかない。
「囲碁」は本来、「十九路盤」(交点の目数=361)を使用する。しかし現在、「初心者」用として「九路盤」(交点の目数=81)や「十三路盤」(交点の目=169)がある。当然「十九路盤」に比べて、「勝負時間」も「手数」もかなり短くなるようだ。
何と言っても、「九路盤」の「マス目」は、「オセロゲーム」の「マス目」とまったく同じ64。どうもこの「オセロ」感覚が「九路盤」に乗り移り、その気軽な「ゲーム感覚」が広がっていったのではないだろうか。……と、ひとり筆者は想うのだが……。
……とここまで綴って来たとき、ようやくフリーペーパー『碁的』(goteki)の「名称」の意味が判りかけてきた。まさに≪碁的≫であって、≪碁≫そのものではないという意味なのだろう。
あくまでも、≪……的≫と、“ちょっとそれっぽいけれど……”といったニュアンスなのだろうか……。
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「そうなの? な~んだァ! それでいいんだァ! 格式とか作法とか、難しく考えなくったっていいんだ!」
「要するに、“的(teki)”なのね。 また“的(teki)”で、いいってわけね」
「そうそう。今度のユウキ君との対局のとき、このネイル見せちゃおうかな~」
「かおり。その前にツバサ君に「定石」教えて貰いな」
「ユミね、今度ナオト君と9路番の早碁やるんだ! 彼、フルーティなチュウハイがいいんだって」
「え! 酔ったら……ヤバイじゃん!」
「大丈夫だよ。あっと言う間に終わるから。酔う暇なんてあるわけないさ」
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――あれ? どうなさったの? 何だか落ち込んでいる様子ね。 え? 何ですって? 「碁会所」に行きたいけれど……もし、対局相手が女の子で、その中指にネイルアートがあったらどうしょうかですって? 彼女たちが一手打つたびに、中指のネイルがチラチラと見えるから気が散る……。何? それよりも、囲碁の神聖さが損なわれることが問題……。それをどう説教するか……ってわけなのね。
大丈夫よ。そういうのを“取り越し苦労”って言うの。だって、彼女たちがあなたと「対局」するなんて、太陽が西から上ることがあっても絶対にないと想うの! (了)
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※註1:記憶に多少曖昧な部分があります。当時の部員の方、教えていただければありがたいのですが。