ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

桜紀行 その4 会津の〝鶴ヶ城公園〟へ!

2024年05月19日 | 日記

 投稿が遅くなりましたが、5月12日の第2日曜日、はい、〝母の日〟でしたよね。昨年はお婆ちゃんが居ましたので、私たちが義母を祝ってお花などをあげましたが、今年はもう…だから仏壇にお花と大好きなお菓子を。

 私は今年は娘から〝魔法のお箸〟を、息子からはお花と食事で祝って貰いました。〝魔法のお箸〟というのは、お箸で未来を創造する企業、あるふぁちーむ合同会社の〝あるふぁスティック〟で、一度使ったら虜になるという摘まみやすさと一般市場には出回っていないという希少価値の高いものなんだそう。〝父の日〟のも合せてと、二人分を貰いました。写真がなくてゴメンナサイ!

 また、息子のくれた今年の花は〝ベゴニア〟で、花言葉は〝幸福な日々〟…ありがとね!更に私が海老を食べたいと言ったので、昨年お婆ちゃんと行った秋穂にまた行こうと…ところが、予約をしていなかったので海老料理専門店は全部ダメ。仕方なく国民宿舎の〝あいお荘〟へ行くことに。ここには以前行ったことがあるのですが、海眺の宿と言うぐらいでレストランからは周防灘が一望できます。この日はお天気が今イチでしたが。そこで食べたのが…私は刺身定食、主人は何とステーキ定食、息子は天刺定食とみんなバラバラ…でも、名物の海老はフライの単品で注文して食べましたよ。やはりこの辺りは魚が美味しい!お刺身はみなプリプリして…さすがです。ゴチソウサマでした。みんなみんなアリガとさん!

 玄関外にクサフジ(ナヨクサフジかも?)がたくさん咲いていました。    

 それでは「桜紀行」のその4にいきましょうか。喜多方の〝日中線〟のシダレザクラの次は会津〝鶴ヶ城公園〟の約1000本のソメイヨシノでした。しかし、ここも残念ながらやっと開花宣言がなされたばかりで、殆どがこれからでしたね。でも会津へ来たいという念願は一応叶いました。が、私の一番観たい白虎隊の飯盛山などは、残念ながらバスガイドさんから〝あちらのほうですよ〟という説明を聞いただけで又の機会にと…。クヤシイ!

 喜多方からは40分ほどでここに到着。お城の入口まで誘導して貰い、自由に城内を1時間ほど散策。その後城の出口にあるレストランに集合して、名物「会津わっぱ御膳」の昼食でした。でもこれは…ちょっと期待はずれでしたね。だから写真もありません。

 さて、この城は、至徳元年(1384)に葦名直盛が築いた東黒川館を起源とし、文禄2年(1593)に蒲生氏郷が東日本で初の本格的な天守閣を建てて「鶴ヶ城」と命名されました。慶応4年(1868)の戊辰戦争では新政府軍の一か月に及ぶ猛攻に耐え、武士の誇りを貫き通した難攻不落の名城として有名です。明治7年(1874)までに天守閣をはじめとするすべての建物が取り壊されましたが、昭和40年(1965)に天守閣が再建。平成に入り茶室や隅櫓も復元されて、平成23年(2011)には、屋根瓦が幕末当時の赤瓦にふき替えられましたが、この赤瓦の天守閣が観られるのはこの鶴ヶ城だけだそうです。

 天守閣への入場は別料金でしたので、膝の悪い私は遠慮して主人だけが観に行きました。この日は下で待っているだけでも汗を掻くぐらい暑い日でしたが、私は待っている間にいろいろと写真を…ではご覧下さい。

〝タカトウコヒカンザクラ〟が一本だけよく咲いていました。ああ、今度は高遠へ行きたいな!

 さて、ここでこの調子なら次の新潟県の〝弥彦公園〟での桜もきっとまだ早いだろうと…ということで、予定コースには入っていない〝弥彦神社〟に寄って行くことになりましたが、そこはナント……。でも、これはまた次にね…乞うご期待! 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする