今日の予報では1日中曇だったんですが、今はいいお天気です。昨日の天気は間違いなく曖昧な空で…洗濯どうしようかと悩んだ末に実行。その後リハビリへ。その時まだ完全に乾いていない洗濯物をどうしようと思ったのですが、何となくこの雲はヤバイぞと、家に入れてから出掛けました。すると、病院へ着く頃フロントガラスにポツリポツリと…ヤッター!大正解でした。予想が当たるというのは気分いい!でも、お湿り程度で大した雨にならなかったのが少し残念でしたが…。
ところで、12日まで公共施設が使えないので、9月はまだ一度も句会がありません。今日のダブル句会も午後の部は中止、夜の部は通信と。それで気分的には解放されていますので、ゆったりしています。でも本当は通信の方が手間が掛かるので、句会の方が楽なんですがね。しかし、出掛けなくていいのと時間に縛られることがないというのはゆったりするものですね。
去年の第1回目の緊急事態宣言の一ヶ月半は、いくら句会が中止になったからといってこんなにゆったりした気分では過ごせませんでしたもの。感染者数からすれば今の35分の1以下だというのに。これは私たちがいかにコロナ禍に馴らされてきたかという証でしょうね。考えれば怖いことです。
また、更に緊急事態宣言が30日まで延長ということが9日に決まりましたから、それを受けて山口県も12日までの公共施設等の閉鎖が26日まで延長という連絡が昨日入りました。これでまた来週の火曜日、金曜日、土曜日と、句会が出来なくなりました。
今月はもう殆ど句会なしです。みんなも嫌気が差してきたのか、通信でもやらなくていいなんて言うし…。みんなの気力が萎えてくれば、私までやる気がなくなります。こういうのって、ホント疲れるんですよね!
人間って何事にもリズムが大切です。何かをやろうとしたときに、リズムに、そう上昇気流に乗れるか乗れないかでその先の結果は大きく違ってきます。だからやる〝気〟だけではダメ、その時の〝流れ〟を自分に引き寄せ掴まなくては…
よく言われました。今この流れに乗って同人にならなければ、この先は恐らくもう来ないだろうと。そんなには流れというものは来ないのだからとも。
そうですね。言うならば〝チャンス〟ということかな。人生には誰にでも公平に幾つかのチャンスが巡ってくると。それを掴むか掴まないかは本人次第…。先ずチャンスであることが見抜けなかったり、もしくはチャンスと分かっていても躊躇して逃したりと、人それぞれ。それが全てではないにしても一理はあるかと。即ち、それがなんであれ、その時の流れを、即ちチャンスを逃さず捕まえたからこそ今があるという人はたくさんいるのではないでしょうか。
あの時ああすればよかった…という後悔で終ることだけはしたくないというのが私の生きる哲学です。これは父の死に教わったこと…それからの私は何でも〝やってみる〟という生き方になりました。俳句との出会いもそうでした。ダメでも…やらないよりはマシ。そこまで努力してきたものは絶対ムダにはならず、必ず己の成長に役立っているでしょうからね。ナント偉そうなことを…ゴメンナサイ!
今年は我家の無花果(いちじく)がよく出来ました。が、鴉との競争です。最初の1、2個は美味しく食べましたが、その後鴉に見つけられてからは…。もう一日待ったら完熟かなと…するとその前に食べられ、次はちょっと早いけど狙われる前に採ろうと思っていると、それを察知してその前にもう食べている。それも頭の熟れているところだけを囓って…。クヤシイ!とうとう袋を被せて…と待ったら今後は雨でじゅくじゅくに…。ついにこの前は主人が枝を剪って小さくしてしまいました。ナント鴉の頭のいいこと!人間様の先を先を見越して行動するんですもの、マイッタですよ。
鳥に食われぬ先に無花果喰う暁闇 金子兜太
ナルホド!こういう手があったんですね。この句を早く知ってたら…。来年はそうしましょうか。エエッ、鬼が笑う?(^0^)
下の写真の無花果がかろうじての〝戦利品〟。見た目はイマイチ、でも甘くて美味しかった!
人間が美味しいものは、カラスも美味しいでしょうから~
100均で売っている、ゴーヤなどに使う、ネットをかぶせたらいかがでしょう。
簡単に数か所を止めておけば、取れないでしょうから。
私も、トマトが赤くなり始めると、そのネットを使います。
鳥は、羽が大事ですから、ネットで傷つくのを、嫌うと言われます。
このまま食べても、美味しいですか?煮たものは、食べた事ありますが
生で食べた事無いです(^^;
そうなんですよ。ネットを買ってきて被せようと主人に言ったのですが…
ホームセンターかと思ったけど、百均に売ってるんだったら今度買いに行こうかな…でももう来年のことね。
無花果…生で食べたことないってホント?
それはビックリですよ。煮てジャムなどにしたりするのは余って腐らせないためと完熟でないのや美味しくない物とかです。砂糖とかでごまかすんですからね。
無花果は完熟の生が一番。あの美味しさが分かると…だから鴉もなんですよ。
鴉は何でも人間より美味しい物を食べて口が肥えてるんです!
トマトでもそうでしょう。悔しいけど…
ゆく河の流れは絶ずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、・・・・
昔は格調が高かったな
文語とは音から入るが、聞いて良い
流れに掉さして
も良く聞くな
流れは他者が作るな。我関せずだな
金子兜太とは俳句、俳人と言われているが、あれは思想家だな
秩父では、秩父事件にしても当事者たちは、井上伝蔵にしても俳句を詠んでいたな、俳句に接していた
秩父の百姓や養蚕家は昔から俳句に接していたと
従って金子兜太も父親が馬酔木だったかな、俳句を嗜み、かつ村民が金子家に集まって俳句を詠んで酒を飲んで喧嘩をして、良き人々であったな
母親は俳人とは人に非ずとか、俳句など接するではないと、兜太を与太と言ったとか
秩父は貧しい、寒い、まさに秩父の出だな
秩父の産土だな
ポン銀でも定年まで勤めたから偉い
俳句も五七調が幼少から身に沁みついていたと
加藤周一同様、親子二代で作ったとも言える
戦地へ出向くときには、親子そろって素っ裸で秩父音頭を踊ったと
俳句とは季語があると
金子兜太は季語など無くても良い、5・7・5の定型で無くても良い、花鳥諷詠を嫌ったと
自由な主観で感性で俳句を作った
暁闇とは
ギョウアンでなく、アカツキヤミかな
字余りだが、気にしない
無花果を詠ったが、むしろ暁闇を詠いたかったかな
暁闇とは夜明け前
夜明け前が一番暗いとか
夜明け前は島崎藤村の世界、夜明け前だと五字だが暁闇の方が良いな
浅川マキは夜が明けたらで世に出た
死に接していた人は強いな
金子兜太さんに詳しいですね。何か本でも読まれましたか?
近著では黒田杏子さんが金子兜太のことをいろいろ書いておられましたが…
〈曼珠沙華どれも腹出し秩父の子〉という句をご存じですか?結構有名な句です。
兜太の誕生日は9月23日…秋のお彼岸の日です。この前後には必ず曼珠沙華が咲きます。だから〝彼岸花〟とも。
この句については、ご本人が仰っていますが、自分のことではなくたまたま秩父に帰ったとき見た景だと。
しかし、〝子供のころの自分ととっさに重なったことは間違いなく、ああ秩父だなあ、と思った〟と。
俳句で反戦作家といわれるのは他に渡辺白泉が思い浮かびますが…
兜太さんのお父さんは金子伊日紅という馬酔木の同人でしたが、話に聞くだけでよく知りません。「秩父音頭」の生みの親だとか…
「暁闇」は普通〝ぎょうあん〟として詠みます。〝あかつきやみ〟とも言いますが長くなりますので。
古典ではこの刻々と変化していく朝の情景を…暁闇、あかとき、曙、東雲、朝ぼらけなどと、細かに美しく表現していて、教える度に感心していましたね。
〈死に接していた人は強いな〉…
〝死〟を悟って乗り越えたらもう怖いものがないからでしょうか。
風の盆さんは?