ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝言葉遣い〟は生き方のあらわれですって!

2021年09月08日 | 俳句

 今日の昼頃、宇部市に豪雨注意報が出たとメールが来ました。しかし、外に出てみると全くそんな気配はなく、青空は見えてるし太陽まで燦々と…どうなってるの?最近の天気予報はどうもズレてるような気がするのは私だけかしら。午後はリハビリと毎月の通院で夕方帰りましたが、空を見るとヘンな雲行きでしたね。(写真1枚目は午後3時頃、2枚目は午後5時頃の空)

 昨日もあまりパッとした天気ではなく夕方から雨も降り出したんですが、植木鉢などに水をやらなくてよかったのはラッキーでした。

 この頃は余程のことがない限りもうエアコンもいらなくなりました。でも関東のように寒いというほどではなし…では秋の代表的な季語〝爽やか〟というような日和かというと、そんな日はまだ少ないんですよ。

  爽やかや風のことばを波が継ぎ  鷹羽狩行

 さすがですね。〈風のことば〉なんてもう〝詩〟そのものでしょう。おまけにその風のことばを波が〈継ぎ〉と、きちんと音声にして聞かせるんですね。本当に何気ない言葉遣いなのに、それがまるで音楽を奏でるように詩の世界を醸し出すのですね。

 最近読んだものに次のような文章が…

 文章で世に立つことなど念頭になくても、日常、生活の土台に言葉をおいて物を見たり考えたりしている人とそうでない人の言葉遣いには、おのずからの開きがあるようです。そこでは、言葉遣いは単なる上手下手の次元のことではなく、その人の生き方のあらわれとしての象徴性をもつことになります。(竹西寛子著・「茶の間の辞典」より)

 要するに〝日常の言葉使いが、その人の生活の基礎をつくる〟ということなんですね。俳句においてもそれは通用するのではと思います。

 昔よく先生から言われたことがあります。〝句を読めば、その作者の生きる姿勢が見える〟と。そういう生き様の見える俳句を詠みなさいと。いくら綺麗な言葉を用いたからといっても生きる姿勢が悪ければ、いずれメッキが剥げてボロがでてくるものだよとも。

 つまり生き方が正しく美しいと、自然に言葉遣いもそうなると言うのでしょうか。そうすれば技巧を凝らさなくてもそのような人はいつも〝詩人〟なんですね。俳句でも短歌でも詩でも…。子供の頃から言葉の教育が大事ということにもなりますか。豊かな自然環境で育つ子供たちには豊かな情操が自然と身につくように…。

 ところで、昨日の朝のニュースで富士山の初冠雪が観測されたと、テレビに映像が流れていました。これは平年より25日早くて、2008年以来13年ぶりの早さなんだそうです。

 俳句では、「富士の初雪」で、初秋の季語になっているんですよ。

  初冠雪富士山らしくなりにけり  清水初代

 やっぱり雪を被らなくっちゃ富士山らしくない…と、誰でも思うんでしょうね。でもあの太宰治はどうだったんでしょう。彼が書いた短編小説『富岳百景』では、富士山は好きではないと、〝まるで、風呂屋のペンキ画だ〟とクサしています。一方、「三七七八メートルの富士山と立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすくっと立っていたあの月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合ふ」と、月見草のことはべた褒めです。皆さんよくご存じでしょうが、この文章から〝富士には月見草がよく似合う〟という言葉が有名になったんですよ。

 この小説は、御坂(みさか)峠の天下茶屋(富士河口湖町)にいたときの体験をもとに書かれたものですが、太宰治がここにいたのは昭和13年9月13日から同年11月15日までの約2ヶ月間でした。ということはこの時期に「月見草」が咲いていたということになりますよね。ところが月見草は夏の季語なんです。更に、本来の月見草は少なくて、大待宵草(おおまつよいぐさ)が一般的には月見草とよばれていて、きっと太宰の見た月見草もこれだったのでしょう。その時の富士山はもう初冠雪していたのでしょうか?

 今の温暖化と違って、その当時の9月中旬ならもう雪が降っていても当然かも。でも月見草は?とも思うのですが、これは創作なんでしょうか…。この写真はお借りしました。ゴメンナサイ!

英人の単車魂 月見草

z10906.png

 ところで、最近の関東方面では雨が多くて気温も25度前後だと。先日は急に11月頃の気温になって寒くって…という東京の方のブログも読みました。もしかしたらこのまま超特急で秋を通過し、あっと言う間に冬へ突入ということもあるかも。だって思い返せば去年もヘンな気候で、急激に寒くなって早々に落葉してしまったかと思うと、また夏のような暑さがぶり返し、木々たちがビックリして今度は新芽を出すということにもなったんでした。そのお陰で昨年はキレイな紅葉が見られませんでしたものね。さてさて、今年はどうなんでしょうか。とても気になるこの頃です。


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8 コメント

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こんにちは (ミルク)
2021-09-09 12:03:10
富士山の雪、驚きでした。
7~8年前に、「富士山を8ヶ所から眺める」と
いうツアーに参加して、宿泊は河口湖畔でした。
夜明け前から、窓を見て🗻が見えてくるのを
待って、影絵のように見えて来たときは、感動でした\(^o^)/
明るくなって、湖畔を散策 ず~~と見られて幸せでした♪
10月25日ころでしたが、その年は、雪が遅くて、冠雪🗻でなかったのです。
がっかりしました(^^; そのあともう一度
同じツアーに、参加したいと思っていたらコロナで・・・

もう一度冠雪の🗻を、この目で見たいです。
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Unknown (ちわき)
2021-09-09 14:56:55
ミルクさん、こんにちは!
コメントありがとうございます。
やっぱり日本人にとっては桜と富士山は特別ですよね。
何度見ても感動しますもの…
あの完璧さに太宰は負けたんでしょうが、そもそも自分と富士を比べようなんて…
誰だって富士山のようにはなれませんもの。それに富士は孤高でしょう。美しいけど淋しい山ですよ。
私は富士山を眺めるだけでいい…
どんな富士山でもいいけど、くっきり見えたときは幸せな気分になれましたもの。
最後に見たのは3,4年前かな…有名な忍野八海へ行って…堪能しました。
コロナが収まったらまた行きたいなあ…。そして、そこでミルクさんと逢えたらいいのに…ネッ!(^▽^)
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Unknown (信州人)
2021-09-10 19:48:11
ちわきさま、こんばんは。
一昨日朝はやけに冷えるなあと感じましたが富士の初雪でしたか。
一転、今日は夏日の信州です。

富士山はいいですね、北斎の画集も一応手元に。
尾州不二見原の大樽の中の富士がまた気持ちがいいです。
驚いたことに、三重県南伊勢町からも見えるそうです。
諏訪へ行く道すがら、一瞬富士山を望める場所がありますが、そうはなかなか見えません。
確率が高いのは木々が冬木立になってからです。

「富岳百景」自分も好きですねえ。
半分エッセイのような趣もあり、また人物も軽快にあらわれ、まだ太宰が幸せだった頃でしょう。
また、この朗読CDを聴きながら運転もいいものでした。
甲府といえば「畜犬談」もユーモラスに描き出しておりました。
実際は明るい人だったのかもしれません。
甲州、信州からは裏富士になります。
裏富士の初雪湖の風を聞く  信州人

みずうみをうみと読むのはアウトでしょうか。
表富士なら海なのですが・・・
交ひてはちがいて、です。ああ、恥ずかしや

明日も仕事になりそうで、飲んで早寝をいたします。
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Unknown (ちわき)
2021-09-10 23:18:55
信州人さん、こんばんは!
そちらはまた夏日ですか。
こちらはスカッとした抜けるような秋空…と言いたいところ、まだ一度もお目に掛かってません。いつもヘンな雲が漂って…〝爽やか〟の季語がなかなか使えません。イヤですね。
あの富士山が見えると今年は縁起がいいと…昔修学旅行に行くと言っていました。
私が勤めていた頃は、いつも新学期が始まった4月に3年生を引率して、東京から日光と富士山へのコースでしたから。
私はいつも縁起が良かったんですよ。だって私が行ったときはいつも快晴で…前日や次の日は雨が降ったり曇で隠れたりだったのに…不思議でした。それがいまだに受け継がれていて…私晴れ女なんですよ。
太宰は『富岳百景』を書いた頃が彼の人生の中で一番平穏でいいときだったようですね。
でもいつか小栗旬が太宰を演じたドラマ?映画かも…を見ましたけど、すぐにいやになって見るのを止めましたけど…
やっぱり〝人間失格〟だなあと。
あこがれて青森の〝斜陽館〟へも行ったんですけど…まあ人それぞれでしょう。
〈裏富士の初雪湖の風を聞く〉…
湖を〝うみ〟と読ませるのは、俳句では当たり前なんですよ。字数制限から俳句では特に短い読み方が重宝されますので、そういう俳句独自の読み方が他にもたくさんあります。それを覚えるのも勉強ですからね。
〈裏富士の初雪〉は〈初雪の裏富士〉の方がいいと思います。
なぜでしょう?考えてみて…
〈湖の風を聞く〉はなかなか詩的で…これ狩行のもじったんでしょう?
〝学ぶ〟は〝まねる〟ことですから、結構、結構!
返信する
Unknown (信州人)
2021-09-11 20:29:29
ちわきさま、こんばんは。
昼は暑く、蝉も鳴きだし,蛙の声はしきり、日没とともに虫のこゑとは、混沌とした一日でありました。

狩行のもじり、まったくその通りです。
ジャズの達人たちのアドリブもはじめはコピーからとか。
正直、途中まで勢いよく読んだのですが、息切れとなり先達の力をお借りした次第です。
うーん、〈裏富士の初雪〉〈初雪の裏富士〉の宿題、難しいです。
何回も唱えていたら、〈初雪の裏富士〉のほうが富士山が句の主題となってきた感じがしました。
心なしかリズムもいいですね。
答えになっていないような。

うちは祖父の代まで紙器製造をしておりました。
和菓子の箱が中心で、紙器に張る紙の見本帳は伝統調からポップまで美しく楽しかったです。
和菓子の蓋ってほんのりふくらみがありますでしょう。
当時は蓋をごろごろして膨らみをつける道具があり、自分も手伝いました。
今おもうとあれは肩こり、腰痛にいいかもです。
角も留め方にも違いがあり、・・・
あ、余計なことで長々すみませんでした。
こほろぎや風にめくるる見本帳  信州人

明日は早起きしてはじめてNHK俳句を観てみます。
おやすみなさいませ。
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Unknown (ちわき)
2021-09-11 23:32:36
信州人さん、こんばんは!
〈裏富士の初雪〉と〈初雪の裏富士〉の宿題難しかったですか?
でも何回も唱えていたら…ほら分かったじゃないですか!
俳句は「舌頭千転」と言われています。舌に千回転がしてそのリズムを味わってみよ…ということ。
信州人さんの句は、初雪を見てではなく初雪の裏富士を見ながら湖からの風の音を聞いているという景なんでしょう?また、初雪なら裏富士でなくても富士だけでいいでしょうし。これで納得できました?
実家が和菓子の箱を作っていらっしゃったのなら綺麗な紙がいろいろあったんでしょうね。そんなところでも信州人さんの感性は磨かれたのかも…感謝しましょう。
〈こほろぎや風にめくるる見本帳〉…
わあ…〈めくるる〉とは何?
風にだったら〈めくれる〉でしょうし、風がだったら〈めくる〉でしょ。
それに見本帳だけでは何のかが分からない…それは面白くないですよね。
ここは風を削って自分が捲るようにした方がいいと思います。
〈こおろぎを聞きつつ捲る紙見本〉とかに…捲るがあれば帳がなくても分かるでしょうからね。
また、頑張って!
それはそうと久女は終ったんですか?
返信する
初冠雪 (風の盆)
2021-09-14 19:44:41
富士山の初冠雪とは甲府気象台から目視すると
機械が発達した世でも眼で確認するんだな

その数日前、太平洋岸から山頂を見ると雪がかかっていたと。物事には表と裏がある。裏日本とは今は差別用語かな

どんな山でも、雪がかかった方が見た目には美しい。雪が見えた方が様になるんだな。雪が無ければボタ山になっちゃう

太宰治と松本清張とは同じ年に生まれたとか
同じ年に生まれても、産地、経歴は全然違うな
太宰治は箱根を越えて三島宿から西へは行ったことが無かったとか

玉川用水などは、今は小川なんだな
良く入水出来たな

津軽富士もある。岩木山だったか。あれも美しい
津軽の作品もある。あれは安定期の作品。津軽の風景が描かれている。だが白神のブナ林は訪れていない
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Unknown (ちわき)
2021-09-15 09:58:50
風の盆さん、お早うございます。
数々のコメントありがとうございます。
桜の開花宣言も基準木が咲いたかどうかを目視して、発表するということを以前聞きましたが…そういう〝季節観測〟が今では高度な自動観測機が置かれて代わりに予測しているとか…富士山の初雪はまだ目視なんですか?知りませんでした。
〈太宰治と松本清張とは同じ年に生まれたとか 同じ年に生まれても、産地、経歴は全然違うな…〉
二人の一番大きな違いは家柄、貧富の差ではと私は思っています。
太宰はどう言っても地元では押しも押されもしない名家の出身…生まれつきの差というのは隠しようがなかったのでは?結局はどこかに甘えがあったのでは…
それに引き替え清張は貧苦の生活の中で尋常小学校を出たらすぐに働きに出ています。
この差はどうあがいても自分の力では埋めることができないのではないでしょうか。
持って生まれたもの…宿命というものは自分で選択できませんもの。
こんなことを書いていると、あの中島敦の『山月記』を思い出してしまいました。
そういえば山口の中原中也も名家の生まれですよ…でも彼は病気で自殺ではありませんでしたけどね。
太宰が入水自殺したという玉川上水…行ったことがない!今度行ってみたいな…
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