ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

兼題は〝身に入む〟

2020年11月04日 | 俳句

 昨日は11月最初の俳句教室でした。兼題は〝身に入む〟で、秋の季語。

 「みにしむ」と読み、秋冷の気が体に深くしみ入るように感じることで、感覚的な響きの強い季語です。もともとは平安朝の和歌に愛用され、秋風について「秋風身にしみて」と表現された後、「もののあわれ」をにおわせる語となって、季語となったもののようです。

  野ざらしを心に風のしむ身かな

 松尾芭蕉の紀行文『野ざらし紀行』の有名な巻頭句です。句意は、〝旅の途中、山野で行き倒れて野ざらしになるかもしれない。そうなってもままよ、と覚悟して旅に出立するとき、秋風がひとしお身にしみることだよ〟ということ。〝野ざらし〟というのは、風雨にさらされて白骨になった頭蓋骨、すなわち〝されこうべ〟のことです。

 〝身に入む〟の例句として、もう一つ有名な与謝蕪村の〈身にしむや亡き妻の櫛(くし)を閨(ねや)に踏む〉もありましたが、この句などはまさに〝身にしむ〟という思いが痛切に感じられるでしょう。

 ところがですね~、この句には面白い話があるんですよ。

 蕪村は45歳頃結婚し、この句を詠んだのは62歳の時といいます。句意は〝秋の夜、暗い寝間の片隅でふと踏んだのは亡妻の櫛であった。なぜ今ごろこんな所にあったのだろう。今さらながら秋の夜の独り寝の寒さと無常の思いが身に沁みることよ〟となっているのですが…

 実はこの句は、「小説的虚構の句」(『蕪村全集一 発句(一八〇八)』)なのだとあるのです。蕪村が結婚した妻は、蕪村の死後30年後ぐらいに亡くなっているようですので、この句の「亡き妻」はこの妻ではないのです。そうすると単なる空想上の妻かもしれませんが、もしかしたら思い人(愛人)だったのかも。蕪村は文人としての付き合いもあったでしょうし、芝居好きで茶屋遊びなども好んでいたそうです。当時江戸時代からすれば女遊びや愛人を持つなどというのも、出世した男の〝甲斐性〟などといわれていた時代なんでしょうからね。事実愛人がいたという記録もあるようですし…。ただ、この句を詠んだときに、愛人がいてそれが亡くなっていたかどうかということは…分りませんでした。

 考えて見れば、俳句だって文学の一つなんですから、創作の部分が多分にあってもいい、即ち〝虚構〟でもいいんですよ。だから以前から私もよく言っているでしょう。俳句では、〝あり得るウソはついてもいい〟ということ。もし自分の周りの事実だけで俳句を詠んでいるとすれば、すぐに限界がきますものね。

 以前初心の人からよく聞きました。〝最初の頃はいくらでも俳句が出来ていたのに…この頃全く詠めなくなりました〟と。そうなんです。初めての時というのは何もかもが目新しく、何を詠んでも新鮮だったのです。それが、1年…2年と過ぎていくと、これも詠んだ、あれも詠んだ…と、詠むものがなくなってくるのです。

 俳句はそこからが勝負だといわれています。自分の体験だけだと発想に限りがありますので、知らない世界を開拓するのも必要…ただ、俳句層は高齢の方が多いので、現実的に新分野への挑戦というのは難しい面があります。が、イメージの中だけならいくらでも膨らませることが出来ます。だから、自分の持っている感覚を刺激して、イメージを膨らませるためにも、いろいろなものを見たり味わったりと、外の世界へ出掛けることが必要になってくるのです。吟行もその一つ。美術館や博物館などへ行くことも…映画や演劇、音楽などを鑑賞するのもそのため。そうやって自分のイメージを広げることが、ひいては俳句の世界を広く深くすることにつながり、いい句も詠めるということになるのです。だから、何にでも興味を持って、頑張りましょう。

 さあ、鮮やかな紅葉の秋も終りになりますが…。でも、その後に来る冬の〝枯れ〟の世界も捨てがたいものです。〝枯れた字〟〝枯れた味〟〝枯れた色合い〟〝枯れた人〟〝枯れ木〟だって…み~んな好きです。アッ、〝枯れた花〟はダメかな?…じゃあ、お肌を枯らさないように手入れをしなくっちゃ!でも、今はマスク暮しがジャマをする~、コロナが怨めしい!打倒、コロナだ!でも、コロナは……

 写真は、また若返った〝ジンジャーの花〟。我が家にはこのみずみずしい花が再び咲き始め…蕾もまだいっぱいついています。もう冬だというのにどうなっているのでしょうね。これは〝返り花〟とはいわず、改めて一から出直している感じですよ。あの〝花の命は短くて〟…なんていうの、ウソよね。私もあやかりた~い!

 


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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2020-11-05 05:34:23
お早うございます!
生姜の花を拝見させていただき有難うございます。
調べてあるところによると、
“花は、通常ほとんど咲くことはなく極稀に、白色よりクリーム色と朱色の混色の花が、8月末~11月頃咲くことがある”とありました。
気候の変化で、生姜の花も見られるようになったのですね。
貴重な、素晴らしく見とれてしまう、お花、ありがとうございます。 K.M 
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Unknown (ちわき)
2020-11-05 19:44:15
K.Mさん、こんばんは!
コメント有難うございます。
この写真のジンジャーは、ショウガ科ですから生姜と似ているのですが、同じ種ではないんですよ。
ジンジャーリリーとか花縮砂といわれて、花の鑑賞用の品種として江戸時代に日本に持ち込まれたものらしいです。だから、食用としての利用はできません。漢方にも「縮砂(シュクシャ)」という名前の植物がありますが、これも同じショウガ科の植物ですがジンジャーリリーとは別の植物なんですって。
食べる生姜の花は咲くことはあるんですが、余り必要が無いので見過ごされているのかも知れませんね。
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