立秋も過ぎましたので、そろそろテンプレートを替えました。〝読書の秋〟です。いかがでしょう?
今までの〝旅立ち〟のテンプレートは、〝虹〟へ向って行くところが結構気に入っていたんですよ。でも、やはり〝夏の旅〟という感じでしたので、そろそろ秋らしくしたんです。
ところで、「虹」は夏の季語。雨上がりに日光が雨滴にあたって屈折反射し、太陽と反対側に七色の光の弧が現れる現象。夏に多く見られるので夏の季語になっていますが、春、秋、冬のそれぞれにも見られますので、それを詠むときは、「春の虹」「秋の虹」「冬の虹」といわないといけません。
ゆけどゆけどゆけども虹をくぐり得ず 高柳重信
この気持ちよく分かりますね~。どんなに近づいても虹を潜ることはできないし、摑むこともできません。美しいけど手の届かないもの、いわゆる〝高嶺の花〟かな。でもすぐに消えてしまうから、〝はかないもの〟の一つでもありますね。
そこで、私の2冊の句集を探してみましたら、「虹」の句が一つもありませんでした。ということは、句集に入れてもよいような句がなかった…即ち碌な句しか詠んでないということですね。私は、はかなく美しいものを詠むのが苦手なんだと、改めて認識しましたよ。
でも夏の虹ではないのですが、2句ほどありました。第1句集に〈カルストの地獄台より秋の虹〉、第2句集に〈出棺の一笛へ虹時雨たり〉です。
前句は、秋吉台に石灰岩が集中してゴツゴツとしたところがあり、そこを地獄台といっていますが、そこに秋の虹が架かったのです、秋吉台は四季それぞれに風情があっていいのですが、特に秋は芒や萩などの〝秋の七草〟が咲き乱れてとても気持ちがいいです。地獄台という恐ろしげなところでも秋の虹がでると浄化され救われるような…いかがでしょう。景が見えてきませんか?
後句の虹は、「冬の虹」になります。これは、平成28年の11月19日に母が亡くなった時の句です。夜中に亡くなりましたので、病院から一旦家に戻り、そこで納棺して昼頃葬儀場に向うときのこと。別れのクラクションを鳴らして霊柩車が門を出ようとした時、さあっと時雨れて、それにまるで後光が差すようにパッと日が差してきて虹が一瞬見えたんです。〝ああ、お迎えが来たんだよね~〟とみんなで話したんですよ。ホントに!
今日の午後は久し振りの〝フラダンス〟。部屋は冷房が効いていますのでとても快適でした。そのあとリハビリへ。相変わらず今日も暑い一日でした。写真は、先日の「いぐらの館」の庭のホースから吹き出している水に小さな虹ができていました。何枚か撮りましたが、1枚だけ写っていましたが、分かります?