自燈明

Enjoy life !
It's not a competition !

三十番 壬生忠岑

2014年03月30日 | 百人一首
有明の つれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし

冷ややかな素振りの明け方の月が空にかかっていたあの別れから、私にとって夜明けほど辛いものはありません。

有明の 「有明」は、陰暦で、16日以後月末にかけて、月が欠けるとともに月の入りが遅くなり、空に月が残ったまま夜が明けること。また、その月。「の」は、主格(連体修飾格という説もある)の格助詞。
つれなく見えし 「つれなく」は、「冷淡だ・無情だ・平気だ」の意。何がつれないのかは、「女」「月」「両方」の三説がある。「し」は、体験回想を表す過去の助動詞「き」の連体形。
別れより この場合の「別れ」には、後朝(きぬぎぬ)の別れ、すなわち、共寝をして帰る朝の別れと女にふられて何もできなかった朝の別れの二説がある。「より」は、起点を表す格助詞。「~の時から」の意。
あかつきばかり 「あかつき(暁)」は、「明時(あかとき)」の転で、夜明け前の暗い状況。暁→曙(あけぼの)・東雲(しののめ)→朝ぼらけの順で明るくなる。「ばかり」は、程度の副助詞で、「~ほど」の意。
憂きものはなし 「憂き」は、形容詞「憂し」の連体形で、「つらい・憂鬱だ」の意。

『後鳥羽院の御時、古今第一の歌はいづれぞと定家、家隆に御尋ねありけるに、二人ながらこの歌を申されけるとぞ』。つまり、古今集一の名歌に定家と家隆は忠岑の「有明の」の歌をあげたというのである。
みぶのただみね (生没年不詳)
平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。『古今集』の撰者の一人。忠見の父。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二十九番 凡河内躬恒

2014年03月28日 | 百人一首
心あてに 折らば折ら 初霜の 置きまどはせる 白菊の花

折るならば、当て推量で折ってみようか。一面に降りた初霜が見分けにくくしている白菊の花を。


心あてに 六音で字余り。「心あて」は、当てずっぽう・当て推量。「に」は、手段・方法の格助詞。「体言+格助詞“に”」で連用修飾格。「当てずっぽうで(~する)」の意。
折らばや折らむ 「や」と「む」は、係り結び。「折らば」は、「動詞の未然形+接続助詞“ば”」で順接の仮定条件。「折るならば」の意。「や」は、疑問の係助詞。「む」は、意志の助動詞の連体形で「や」の結び。全体で、「もし折るならば、折ってみようか」の意。二句切れ。
初霜の 「初霜」は、その年の最初におりる霜。「の」は、主格の格助詞。
置きまどはせる 「まどはせ」は、動詞「まどはす」の命令形(已然形とする説もある)で、「まぎわらしくする」の意。「る」は、存続の助動詞「り」の連体形。(注)「る」は、動詞の活用語尾ではない。「置きまどはせる」で、白い初霜が白菊の花の上におりたため、初霜なのか白菊なのか区別しにくくなっていることを表す。
※ 倒置法

「心あてに」の歌を写実主義の正岡子規が酷評したのは有名。
「霜が置いたぐらいで菊が見えなくなるなど大げさで、一文半の値打もない」と切り捨てている。


おおしこうちのみつね (生没年不明)
下級官人で、九世紀後半ごろから歌人として活躍し、紀貫之と親交が深かった。
三十六歌仙の一人であり、『古今集』選者の一人でもある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二十八番 源宗于朝臣

2014年03月26日 | 百人一首
山里は 冬さびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば

山里は、冬に一段と寂しくなるものだなあ。人も来なくなり、草も枯れてしまうと思うので。

冬ぞさびしさまさりける 「冬」は、陰暦の十、十一、十二月。「ぞ」と「ける」は係り結び。「ぞ」は、強意の係助詞。山里は、どんな季節でも都よりさびしいが、中でも冬は格別にさびしさがまさることを示す。「ける」は、詠嘆の助動詞の連体形で、「ぞ」の結び。

人目も草も 「人目」は、人の気配や人の往来。「も」は並列の係助詞。「人目も草も」で、「生きとし生けるもの全て」を表す。

かれぬと思へば 「かれ」は、「人目」を受けて「離れ」となり、「草」を受けて「枯れ」となる掛詞。「離れ」は、「人が来なくなる」の意。「ぬ」は、完了の助動詞の終止形。(注)打消の助動詞「ず」の連体形ではない。「思へば」は、「動詞の已然形+“ば”」で、順接の確定条件。「思うので」の意。

みなもとのむねゆきあそん  (?~939) 
平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。光孝天皇の孫でありながら、官位に恵まれず正四位下右京大夫にとどまる。『大和物語』に不遇を嘆く歌を残す。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二十七番 中納言兼輔

2014年03月24日 | 百人一首
みかの原 わきて流るる 泉川 いつ見きとて 恋しかるらむ

みかの原を分かつように湧き出て流れる泉川ではないが、いつ逢ったということで、こんなにも恋しいのだろう。

みかの原 「瓶原」。歌枕。山城(京都府)の木津川市。奈良時代には恭仁京が置かれた。
わきて流るる 「わき」は、「分き」と「湧き」の掛詞。「湧き」は、「泉」の縁語。
泉川 現在の木津川。「いづみ」から「いつみ(何時見)」へと音を重ねて続く。ここまでが序詞。
いつ見きとてか 「見」は、「逢う」の意。「き」は、過去の直接体験を表す助動詞。「か」は、疑問の係助詞。後の「らむ」と係り結び。この歌には、解釈の手がかりとなる人間関係が示されていない上、状況を説明する詞書もなく、男女関係がない状態で詠んだ歌なのか、かつての恋人について詠んだ歌なのか、空想上の物語を用いて言葉の技巧を凝らしただけなのかは不明。そのため、古来よりこの部分の解釈が分かれている。なお、兼輔の歌ではないという説もある。
恋しかるらむ 「らむ」は、原因推量の助動詞の連体形で、「か」の結び。

ちゅうなごんかねすけ (877~933)
藤原兼輔 (ふじわらのかねすけ)  平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。加茂川の近くに邸宅があり、堤中納言とよばれた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二十六番 貞信公

2014年03月22日 | 百人一首
小倉山 峰のもみじ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ

小倉山の峰の紅葉よ、もし、心あるならば、今少し散らずに待っておれよ。
今度は天皇の行幸もあろうほどに。

小倉山 京都市右京区の山。大堰(おおい)川をはさんだ嵐山の対岸。トロッコ嵐山駅周辺。紅葉の名所。
藤原定家が、この地で百人一首を撰定したことから、後に『小倉百人一首』と呼ばれるようになった。

今ひとたびの 『拾遺集』の詞書によると、宇多上皇が大堰川に御幸された際、
その景色を子の醍醐天皇にもお見せしたいとおっしゃったことを受けて、天皇の義理の兄である藤原忠平(貞信公)がこの歌に託して奏上したということ。

みゆき待たなむ 天皇の「みゆき」は「行幸」、上皇・法皇は「御幸」。この場合は、醍醐天皇の「みゆき」なので、「行幸」。「なむ」は、願望(他者に対するあつらえ)の終助詞。

ていしんこう(880-949)
藤原忠平。「貞信公」はおくり名。関白太政大臣藤原基経の四男。
兄、時平は菅原道真を大宰府に左遷させたが、忠平は聡明で人柄が良かったという。
従一位関白の座まで上り藤原氏が栄える基礎をつくった。贈正一位
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二十五番 三条右大臣

2014年03月19日 | 百人一首
名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな

「逢坂山のさねかづら」というその名前にそむかないならば、なにとぞ人に知られないで、
その人が逢いにくる方法はないだろうか。
かずら(蔓)はくる(繰る、手繰る)ものではないですか。

さねかづら(俗に美男かずらという)
さね(小寝):共寝すること。
くるよしもがな ― 「くる」は、「来る」と「繰る」の掛詞。「繰る」は、「人を手繰り寄せる」で、「さねかづら」の縁語。
「よし」は、「方法・手段」の意。
もがな」は、願望の終助詞で、「~があればなあ」の意。

さんじょうのうだいじん(873-932)
藤原定方。内大臣藤原高藤の次男。三条に邸宅があったので三条右大臣と呼ばれた。
和歌や音楽に秀でていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリミア自治共和国の新検事総長

2014年03月18日 | ピクチャー
 ウクライナからの独立宣言をしたクリミア自治共和国。新たな検事総長となったナタリア・ポクロンスカヤ(33歳)が「美人すぎる!」とTwitter上で話題になっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピタゴラスからのメッセージ

2014年03月16日 | ピクチャー


Do not say a little in many words but a great deal in a few.
- Pythagoras

たくさんの言葉で少しの中身を語るのではなく、少しの言葉で多くの中身を語るようにしなさい。
      
<ピタゴラス:古代ギリシアの数学者、哲学者。ピタゴラスの定理は有名。>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二十四番 菅家

2014年03月16日 | 百人一首
このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに

この度は急な旅立ちでしたので、幣の用意もできませんでした。
代わりに、手向山の錦のように美しい紅葉を、幣としてお供えします。
神よ、どうか、御心のままにお受け取りください。

菅家は菅原道真の尊称。

かんけ(845~903年)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二十三番 大江千里

2014年03月12日 | 百人一首
月見れば 千々に物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど

月を見ると、どうも無量の感情が起きて、もの悲しくてならない。何も自分だけの秋ではないのに。

月とわが身、千々とひとつ、を対比させた構成の面白さ。
月、悲しい、秋、の三つに注目して、秋のしみじみとした感じを味わおう。
白楽天の詩を踏まえた歌としても知られる。

おおえのちさと(生没年不詳)
九~十世紀の人。参議大江音人の息子で、在原業平、行平の甥にあたる。
漢学者の父の影響を受けて漢詩の素養が高かった。
歌集『句題和歌』がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年 読了

2014年03月10日 | Lettura
図書館で半年待たされて借りた。
理屈っぽいマゾヒストが、自分で自分の首を絞めて楽しんでいるような内容だった。

退屈な370ページを読み切った自分を褒めてやたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二十二番 文屋康秀

2014年03月09日 | 百人一首
吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ

この風が吹くと、秋の草木がなびき伏して、弱ってしまうものだから、なるほど、山風を「嵐」と名付けたのだなあ、もっともじゃ。

「山」と「風」を合わせれば「嵐」になるという遊びも盛り込まれている。
その中に、嵐に「荒らし」を掛け、また、なにもかもが枯れる「秋」への哀しみを感じ取ることも。

むべ:なるほど

ふんやのやすひで (生没年不詳) 縫殿助文屋宗干の息子。官職は低かったが六歌仙の一人。
三河の国に下るときに小野小町を任地へ誘い、小町がそれに応えた歌を贈った話が有名。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二一番 素性法師

2014年03月06日 | 百人一首
今来むと言ひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな

今すぐに来ると言ったものだから、それをあてに待って、とうとう九月の長い夜も更け過ぎて、有明の月の出るまで待ってしまった。

○ 今来むと ― 「今」は、今すぐの意。「む」は、意志の助動詞。「来む」で、「来よう」の意。これにより、作者は男性であるが、女性の立場で詠んだ歌とわかる。「と」は、引用の格助詞。
○ 言ひしばかりに ― 主語は、恋人の男性。「し」は、過去の助動詞「き」の連体形。「ばかり」は、限定の副助詞。
○ 長月 ― 陰暦の九月。晩秋で夜が長い。
○ 有明の月 ― 「有明」は、陰暦で、16日以後月末にかけて、月が欠けるとともに月の入りが遅くなり、空に月が残ったまま夜が明けること。「有明の月」は、その状態で出ている月。
○ 待ち出でつるかな ― 八音で字余り。「待ち」の主語は、自分(女性)。「出で」の主語は、月。「つる」は、完了の助動詞。「待ち出でつる」で、「(あなたを)待っていたら(月が)出てしまった」の意。「かな」は、詠嘆の終助詞。

(そせいほうし)
生没年不詳 遍照の子。平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。左近将監に任官した後に出家し、権律師となる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女性警官 在中国

2014年03月05日 | ピクチャー
中国にはこんな美人警官がいるらしい。
美しい北京語で、職務質問されたい
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百人一首 20首まとめ

2014年03月05日 | 百人一首
秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ
春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣干すてふ天の香具山
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む
田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ
奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき
鵲の渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける
天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも
わが庵は都の辰巳しかぞ住む 世をうぢ山と人はいふなり
花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに
これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬもあふ坂の関
わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣船
天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ 乙女の姿しばしとどめむ
筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる
陸奥のしのぶもぢずりたれゆえに 乱れそめにしわれならなくに
君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ
立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む
ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは
住の江の岸に寄る波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ
難波潟短き蘆のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや
わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ

一応、これだけ暗誦しました。
忘れないよう、復誦しよう。
まだまだ、先は長い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする